■ カガチと婚姻届

「……よし、結婚するか」
『はっ??』

お互いの家に入り浸る友人生活から、同棲を始めて2年目。カガチさんの口から出てきたのは、思いがけない言葉だった。
雑誌に目を落としたままのカガチさんは、いつも通りの表情を崩さない。

『え、待って待って、私たちってそもそも付き合ってるの?』
「は?付き合ってるだろ?」
『…………』

とぼけた返事をするカガチさんを、私はジトーッと睨みつける。そもそも私、告白の言葉すら聞いてないんですけど!という思いを込めて。伝われ、この思い。

確かに、私とカガチさんは、友人としての一線を超えたことも幾度かあった。酔った勢いの時もあったし、おふざけ半分の時もあったし、……二人とも、朝までずっと真剣な時だってもちろん、あった。
しかしそれはあくまでも『セフレ』という位置付けとしてなのだと、私はカガチさんの本命にはなれないのだと、私は勝手に頭の中で決めつけてしまっていた。

『この際はっきりさせておきたいんですけど、……カガチさんにとっての私って何?』

うわー、我ながらめんどくさい女のテンプレみたいな質問してる。
そう思いながらも、口をついて出た言葉は取り返すことができずに、宙を彷徨う。きっと今は、カガチさんの特徴的な鼻の前あたりに浮かんでいるのだろう。

「逆にお前は、俺を何だと思って毎日飯作ってくれてたんだ?」

カガチさんは私の質問にも困った顔をせず、逆に真顔で尋ね返してくる。

言えない。
本当はセフレなんだろうなと思っていたけれど、本心からカガチさんのことが好きだったからこの関係に甘えていただなんて、恥ずかしすぎて口が裂けても言えない。

「んー?言えないようなことなのか?」

ニヤニヤしながら私の顔を覗き込んでくるカガチさん。
これは、きっと、見透かされている。これだけ長い付き合いなのだから。

「なあ、これなんかいいんじゃないか?」

雑誌に目線を戻したカガチさんが、ずいっと雑誌を私の方へと突き出してくる。
そこには、私好みのパステルカラーのふわふわしたデザインの婚姻届があった。切り離されかけた袋とじの特典で、どうやらこの雑誌の特別仕様の物のようだ。

『えっ、はっ、本気で……?!』
「本気じゃなかったらこんなもの男が買わねえっつーの」

ひらひらと見せつけるように私の前に差し出した表紙は、かの有名な結婚前準備などの情報誌、『ゼ●シィ』だった。

『え、な、何でカガチさんがこんなの買って…?!』
「お前そろそろ結婚適齢期逃すだろ。相手が俺しかいないんじゃかわいそうだと思ってよ」
『余計なお世話だよ!』
「へえ……じゃあこれは要らないか?」

そう言って目の前で高く掲げられるのは、ぴらぴらと動く袋とじの婚姻届。よく見ると、『夫となるもの』の欄には、意外にも綺麗な字で必要事項が几帳面にびっしりと記入されていて、実印まで押されていた。

『カガチさん……』
「おら、要るのか?要らねえのか?」
『い、いる!』

カガチさんから雑誌を受け取った私は、こんなぴらぴらして書きづらいところによく整った字をかけたなぁ、と不思議に思いながら、手渡されたボールペンを握り直した。

『……終わったぁ』
「これで、明日から俺たちは夫婦だな」

夫婦、という響きに今さらながらに恥ずかしさが湧き上がってきた私は、手近にあった枕を手に取ってカガチさんに軽く投げつける。
それは、いつぞやの通販ブームの時に、おふざけで買ってみた『YES』or『NO』枕だった。

「やったな?!」

カガチさんはにやりと笑って、枕を持ち直すと投球フォームに入る。
まずい、コントロール抜群のこの人相手に、投げの勝負を挑むんじゃなかった。
そう思っても時はすでに遅し、私は顔面に『YES』の字を食らうことになるのだった。

『くっ…こっちも負けてられるかぁ〜!』

私は再度枕を手に、応戦する。目に映る文字は、また『YES』。
本当は、私だけ、両面が『YES』の印刷になっている枕を買ったのだ。……きっと、そのことにも、カガチさんは気づいていて、あえて触れないでいてくれたんだろうけど。

部屋に私たちの笑い声が響く。隣の部屋と通じる壁から、ドン!と一喝の音が鳴る。私とカガチさんは肩をすくめると、どちらともなく静かに布団に入った。

「……なあ、今日は、YESなのか?」
『み、見れば分かるでしょバカっ!』

赤くなっているであろう顔を見られるのが恥ずかしくて、私はカガチさんの顔にグイグイと枕の『YES』を押し付ける。

こうやって、私たちのバカバカしい生活は続いていくのだ。
明日も明後日もその先も、きっと何十年も先まで。

私は仰向けに転がされ、カガチさんと手を繋いだ。いつもより少し余裕の無さそうな表情のカガチさんと、見慣れた古臭い天井が見える。

婚姻届に印鑑を押した時の感触を思い出しながら、私はカガチさんと指を絡めた。

境界線、越えてもいいですか

[ prev / next ]
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -