イチにおどおどニにあわあわ、サンシがなくて、ゴにおろおろ。簡潔に言うならば苗字名前というあの子は内気である、と隣の席の篠岡千代は思うし、何より苗字本人もそれを気にしている節があるので事実だ。

授業中である今、右隣の彼女はいつになく定まった視点を黒板と机上のノート交互に向けながら、右手のシャーペンを動かしていた。胸元まで伸びた髪は一度も染めたことを知らない艶やかな黒色で、窓から射し込む陽射しできらきらと輝いている。時折顔にかかって邪魔なのか、耳にかける仕草が見られる。普段の彼女ならば顔が晒されるのを恥ずかしがってしようとしないそれに、篠岡はこっそりと目に焼き付けながら口元を緩めた。

(この席になって、もう二ヶ月か……)

入学式から変わらないこの席は篠岡にとって、毎日を楽しく過ごすための一部になりつつある。言わずもがな、それは苗字が隣にいるからだ。

苗字は入学式の日に初めて知り合った最初のクラスメイト。高校生活に理由もなく期待していた篠岡は、彼女がどんな人物なのかも知らないまますぐに話しかけた。これからよろしくね。ありがちなマニュアル言葉。すると返ってきた言葉はこうだ。

うあ、えっと、あの……よ、よろしく、お願いします……。

か細くて震えた、どこからどう考えても頼りないソプラノ。加えて徐々に尻すぼみになっていったため、最終的に篠岡は思わず首を傾げる羽目になった。

そして同時に思ったのは、話しにくい子だなということ。笑顔を向けても、強張った表情にふらふらと泳ぐ視線。

ソフトボール部だった篠岡にしてみれば、あまりにもハッキリしない態度に苛立つもの。多分彼女とは上辺だけの関係で、ただのクラスメイトの女子になるんだろうなと悟ったりもした。

しかし、二ヶ月経った今はこれだ。未来というのは実に興味深い。

おどおど、あわあわ、おろおろ、ふらふら。曖昧なそれらは篠岡の心をくすぶるものがあった。気が付けば苗字の小動物さながらの態度に取り込まれてしまい「一番仲良い子はだれ?」という質問には「名前ちゃん」と返すほど。

(テスト明けたら、席替えかな……)

入学式から二ヶ月。来週からは中間テスト。期末テストもあるけれどその後はすぐに夏休みがやってくる。すると席替えをするとなれば、中間テスト明けが丁度いい。

ちらりと右に目をやる。苗字は消しゴムを落としてあたふたと無駄に慌てていた。そんな慌てなくても皆気付いてないんだから。過剰すぎる反応に思わず口元で笑みを溢せば、聴こえたらしく苗字がこちらを向いた。それはもう恐る恐るというふうに。

意図は分からないが泳いでいる視線にもう一度笑ってから、篠岡は自分のノートの端っこにシャーペンを走らせた。

だれも気づいてないよ。そう書いたノートを右に寄せてやれば、苗字は曖昧な態度。分かってるけど反射的に……そう言いたげな視線だ。

髪の毛じゃま?再びノートを見せる。途端苗字は耳にかけた髪を下ろした。頬がちょっと赤いところからして、やっぱり恥ずかしいらしい。苗字は俯いて垂れた髪で顔を隠す。照れ屋なのか何なのか。とにかく彼女は顔をまじまじと見られるのが嫌みたいだ。

(人見知りというか、引っ込み思案というか……)

篠岡は今までにこんな清々しいほど内気なタイプは見たことがない。というかそもそも、そのタイプの人と仲良くなったことがない。篠岡は運動部なので周りは明るく元気なタイプが多く、自分もまた一緒になって笑うほう。

比べて苗字は控えめでおとなしくて、話は聞き役になるほう。少し違うタイプで最初は戸惑ったけれども、時々見せるはにかんだ笑顔で、困惑はすべて精算されてしまう。

シャーペン片手にまだ視線を泳がせている苗字は、入学式の頃からあんまり態度は変わらないよなあなんて。まあ、ちょっとだけ仲良くなれたのかなあなんて。

(名前ちゃん、最近はよく笑うようになったし)

それでも他のクラスメイトとはあまり話したことがなければ、おどおどしてばかりで笑うどころの話でもない。そう考えると、やっぱり私とは打ち解けのかな、なんて。

今日は二人で途中まで帰ろう。昨日からテスト週間なため部活がないので、久々にそうしようとノートに書く。ちらりと苗字を見る。

すると苗字は目を合わさずに自身のノートの端っこにシャーペンを走らせた。す、と控えめに寄せられたそこに視線を落とす。

ひまだったら、一緒に勉強しませんか?

なんで敬語なんだろ、と笑う前に篠岡は笑顔で頷いていた。
ちなみに今は授業中である。しかし二人は暫く先生の目を盗んで、放課後についての筆談を繰り返すのだった。



≫迷走スランプ中の産物。使えるかもと思いましたが、やけに篠岡がデレてるというか百合くさいというか……。本編で使えそうならいつか移動するかもしれない。もしくは数文を拝借したりとか。

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