君が僕の頬を撫でて笑う
 

「最悪」

潤んで霞む視界で天井を眺め呟いた。おでこの熱冷ましシートの冷たさや、氷枕の寝心地の悪さ、息苦しいマスク全てに苛立つ。それでも、こうなったのは自分の責任だ。苛立ちをぶつける相手なんて居るはずもなく、天井に向かって伸ばしたじんじん熱い右手をぎゅっと握った。
目を開けているのも辛くなってきたので、ゆっくりと瞼を閉じる。するとなんだか目頭が熱くなった。

今日は俺の誕生日だった。今年で十八歳という、大人と子供の間みたいな半端な歳になる。ようやく岩ちゃんと同じ年齢になるというのに、そんな日に風邪を引いてしまうだなんて。昔からあまり風邪は引いた事がないし、インフルエンザにもかかった事がない。それなのに何故、それもこんな大事な日に。本当についてない、としか言い様が無い。
枕元で携帯が鳴った気がしたが、瞼を開けるのも億劫でそのまま眠りについた。


夢を見た。俺は体育館に立っていて、みんなも立っていて、どこからともなく俺の誕生日を祝う歌声が流れてくる。バレーボールは全部ケーキで、周りには色とりどりの風船が浮かんでいた。高い天井から吊るされたくす玉からはキラキラと舞う紙吹雪と一緒に『誕生日おめでとう』の文字。オレンジジュースで乾杯したら皆でボール型のケーキをつついて食べた。みんな笑顔で、いつも怖い顔ばっかしてる岩ちゃんも笑顔で、それが嬉しくて俺も釣られて笑う。
おかしな夢だけど、でもとても幸せな夢だった。


とても良い気分で目を開ける。すると、怪訝な顔をして俺の顔を覗き込む岩ちゃんが居た。

「あれ、岩ちゃんだ。まだ夢見てるのかな」
「風邪で頭いかれたか?」

触れようと伸ばした手はあっさり捕まえられた。少しだけ冷たい手が気持ちいい。

「本物だ…。どうしたの岩ちゃん、俺に会いたくなった?」
「まぁ、そんな感じだ」

なんだか今すごく嬉しい言葉が聞こえた気がした。寝起きと熱でぼうっとした頭では理解出来なかったけど。ボイスレコーダーとか、買っておけばよかったなぁ。
それにしても、どうして岩ちゃんがここに居るのだろう。夢から出てきたのだろうか。何も言わずに俺の前髪を上げて、熱冷ましシートを変える岩ちゃん。冷たい刺激が頭に響いて顔が強ばった。そんなの気にせずおでこをパシリと叩かれて、反論しようと思ったら声が出なかった。どれくらい寝ていたのか、口の中はからからだ。

「なんか飲む物ちょうだい」
「ほら」
「ん、ありがと」

いつもなら怖い顔してあぁ?だとか、自分で取れ!だとか言うのに、今日はやけに優しい。もしかしたら、今なら何でも我が儘を聞いてくれるのではないか?もしそうなら風邪も案外悪くないかもしれない。試しに何か頼んでみよう。お粥をあーんして食べさせてもらう、とか?調子乗んなって怒られちゃうかも。
岩ちゃんに貰ったスポーツドリンクを飲みながら考えるけど、中々いい考えが浮かばない。あ、そうだ。

「今日俺誕生日なんだよね」
「知ってるっつの。メールしただろ」
「ケーキ食べたい」
「今食べてもどうせ吐くだろ」
「吐かないよ!」

まぁ、確かに何も入っていない胃にあんな甘い物を入れたら確実に気持ち悪くなるだろう。吐かないけど。
でも、誕生日といえばやっぱりケーキだろう。夢に出てきたボールケーキ美味しそうだったなぁ。さっき見た現実とはとてもかけ離れた夢の話をしようとしたら、先に岩ちゃんが口を開いた。

「甘いもの食いたいのか?」
「んー、」

別にそういう意味じゃ無かったんだけどな。岩ちゃんは本当鈍いよね、だから女の子にモテないんだよ。俺以外にモテるとか許さないけど。
でも、少しお腹が空いているのは確かだ。そろそろ薬も飲まなければいけないから、何か食べないと。

「ケーキは無いけど、こんなのはあるぞ」
「何それ」
「桃缶」
「食べる」
「じゃあ開けてくるから待ってろ」

待ってろ、だって。命令口調なのに、優しさが伝わってくる。岩ちゃんの優しさは不器用すぎていつも分かりにくいよ。俺は全部分かってるけどね。
もう一度スポーツドリンクを飲もうと体を起こしたら、横にあった携帯が光った。確認してみると、メールが数通と着信が二通。岩ちゃん電話くれてたんだ、眠ってたから気付かなかったや。そして、メールは部員や友達からだった。一つ一つ開いていくと、全部に誕生日おめでとうの文字。あぁ、こういう時なんて言えばいいのかな、とても幸せだ。

「持ってきたぞーって、何にやにやしてんだよ。気持ちわりぃ」
「なんかね、みんな俺の誕生日覚えててくれたみたい」
「そりゃあお前、一週間前から毎日自分で言ってたからじゃねぇの」
「そ、そうかもしれないけど!でも、やっぱり嬉しいなむぐぅ」

開きかけた口に冷たい甘さが広がった。どうやら無理やり桃を口に突っ込まれたようだ。

「嬉しいなら、早く風邪治してお礼言いに行けよ」
「うん、そうする」

もぐもぐと咀嚼していると途端に空腹感が湧き上がってきた。それもその筈だ、今日は朝から何も食べていない。口を開けて次を待っていたら、食べやすいサイズに切られた桃が口に運ばれてくる。
なんだ、頼まなくても食べさせて貰えたじゃん。やっぱりちょっと、風邪も良いかもしれない。そんな気楽な考えが伝わったのか、岩ちゃんは持っていたフォークを皿に置いて真面目な顔をした。

「もう十八なんだから、体調管理くらい自分で出来るようになれっつの。また夜更しでもしてたんだろ?部活で疲れてるんだから程々にしろよ」
「はい…」
「お前は馬鹿だから自分で気付いてないかもしれないけど、部長だからって気張って、その上練習だって人一倍頑張ってるんだから、その分人より疲れてるんだよ。頑張るなとは言わないし、無理をするなとも言わない。どうせ言ったって無駄だろうし、俺はそんな及川が好きだから」
「わ、」
「でも、心配はかけんなよ。きつかったら直ぐ言え。俺の事何だと思ってるんだよ。副部長で、お前の恋人だぞ?」
「うん…ありがとう」

小さく、おう。と返事をした岩ちゃんの頬は柄にもなく少しだけ赤みを帯びていて、自分で言っておきながら照れてるなんておかしいの。
優しいなぁ、岩ちゃんは。そんな所が大好きで、本当に大好きで、心配をかけてしまったのは本当に申し訳ないけれど、やっぱり風邪を引いて良かったかもしれないと思った。だって、誕生日に二人っきりで過ごせたから。プレゼントも、おめでとうの言葉も無くったって、岩ちゃんが隣に居るだけでこんなにも嬉しくて、楽しくて、幸せ。だから、昨日までの岩ちゃんとの日々は十七歳の俺への誕生日プレゼントなんだよ。そして、今日からの一年間が十八歳になった俺へのプレゼント。
岩ちゃんは毎日俺に幸せをくれるけど、俺は岩ちゃんに幸せを返せているのだろうか。今日だって、わざわざお見舞いに来てもらってしまった。少し不安になり俯いていたら、桃にフォークを刺しながら岩ちゃんが笑った。

「てか、誕生日に風邪引くとか本当馬鹿だよな」
「酷い!結構気にしてたのに…」
「でも、こうして二人っきりで過ごせたのは良かった」
「迷惑じゃなかった…?」
「迷惑とかじゃなくて、なんつーか、ずっと看病してたら何か、新婚みたいで、幸せ、だった…」

徐々に小さくなっていく言葉は耳を澄ましていなければ聞こえなかっただろう。だが、幸せだと言った岩ちゃんの言葉はしっかりと俺の耳に届いた。予想外の台詞に目をぱちくりさせると、岩ちゃんは恥ずかしそうに頬を掻いた。真っ赤になっていく岩ちゃんの顔を微笑ましく思うが、多分俺の顔も負けなくらい真っ赤なのだろう。

「もう、自分で言って恥ずかしがらないでよ!」
「うっせーバ川!」
「バ川!?」
「馬鹿のくせに風邪なんて引いてんじゃねーよ!迷惑だ!」
「さっきと言ってる事真逆だよ!」

少しして、どちらともなく笑い合う。幸せだなぁ。岩ちゃんはさっき新婚みたいだったって言ったけど、じゃあこういうのが夫婦喧嘩というものなのだろうか。そうなら、夫婦喧嘩も悪くない。喧嘩する程仲がいいとも言うし。


「じゃあ俺もう帰るから、ちゃんと寝ろよ」
「え、やだ」
「あ?」
「ね、寝付くまで!だめ?」
「はぁ。三分で寝ろよ」
「やった!ありがとう!」
「はいはい」
「おやすみのチューは?」
「はいはい」

マスク越しに唇が触れた。短い間だったが、確かに唇に感触が残っている。キスは何度もしてきた筈だが、今日のは何故かいつもより嬉しく感じた。

「直接は?」
「風邪が治ってからな」

そうか、それなら早く治さなきゃ。まだ岩ちゃんと話していたかったけど、薬のせいかキスのおかげか瞼が重い。寝付くまでって言ってたけど多分、次に起きた時も側に岩ちゃんは居るだろう。岩ちゃんは優しいから。だから眠るのは怖くない。
起きたらもう一度、ありがとうと言おう。あと、大好きだって事も改めて伝えよう。

「おやすみ岩ちゃん」
「おやすみ及川、誕生日おめでとう」

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