小説 | ナノ

口ずさむ僕らはあどけなく


 任務を終えたジョルノを出迎えたのは、いやに上機嫌なブチャラティだった。何か裏があるなとは思ったが、好きな人の機嫌が良いのは素直に嬉しいものだ。何がブチャラティを上機嫌にしたのかを考えながら、羽織っていた薄手のトレンチコートを壁にかける。ブチャラティの言った通り、春の風は案外冷たかった。

「おかえりジョルノ。疲れただろう? お土産があるんだ」
「なんです? 僕は疲れているから甘いものが食べたいな」
「お前もきっと喜ぶぞ」

 そう言ってジョルノに席に着くよう促して、ブチャラティはテーブルの上に大きなアップルパイを置いた。ナイフを入れるとリンゴの甘い香りがふわりと広がる。皿に取り分けられたそれから温かい匂いがして、パイが焼きたてだと分かった。

「わぁ、美味しそうですね」
「気に入ったか?」
「はい、とっても。 でもブチャラティ、これどうしたんです? あんたリンゴはだめじゃないですか」

 テーブルの上のアップルパイは、まだ半分以上残っている。普通、こんなに大きいものなら皆で食べられる苺ケーキなんかを買うだろう。どうしてわざわざ自分が食べられないリンゴの入ったパイを買ったのか? ジョルノは不思議でならなかった。それでもアップルパイは美味しくて、フォークは皿と口とをせわしなく往復している。

「実はこれ、頂き物なんだ。ほら、お前も知ってるだろう? 街角にある花屋の娘さんからだ」
「……へぇ、そうでしたか」

 ジョルノがパイにフォークを刺す音が、さくりと空気を変えた。しかしその変化はとても些細なもので、ブチャラティは勿論、音をたてた本人であるジョルノさえ気付いていない。だから、そういえば、とジョルノが話題を変えたのは偶然であった。最悪な偶然である。

「この花はどうしたんです? 瑞々しくってとても綺麗だ」

 テーブルの上にあったのはパイだけではなかった。真っ赤なチューリップの花が数本、白くて首の長い花瓶に挿してある。殺風景なこの部屋には、その赤がまるで最初からあったかのようにぴったりと似合った。

「あぁ、それはパイと一緒に貰ったんだ。あまりにも綺麗だからどこかに飾りたくてな、古い花瓶を引っ張り出してきたよ」
「……ブチャラティ、チューリップの花言葉を知っていますか? 色によって違うんですよ」
「いや、知らないな。 赤にはどんな意味があるんだ?」
「愛の告白」

 そう言ったジョルノの声は、冷たく部屋に響いた。声の持ち主であるジョルノもそれを聞いたブチャラティも、今度の変化には流石に気付く。もう取り返しがつかないくらいに最悪な雰囲気なのだけれど。

「そうか。じゃあ俺は告白されたってわけか?」

 困ったなぁ。なんて少しおどけたようにブチャラティは言うけれど、なんだか満更でもなさそうな顔である。それを見たジョルノが大人しく「良かったですね」と微笑む事が出来たなら。いや、普段のジョルノならきっとそれが出来ただろう。「毎日水を取り替えるのを忘れないで下さいね」と捨て犬を拾ってきた子供に言い聞かせる母親のような事を言って、でも結局は自分が花の世話をする事になるんだ。きっと、いつのも二人なら。

 食べかけのパイを皿に残して、ジョルノはかちゃりとフォークを置いた。

「ご馳走様でした」
「どうした? まだ半分以上残っているじゃあないか」
「ご馳走様でした」

 不機嫌を隠そうともせずに溜息をひとつ吐き出して、ブチャラティと真っ正面から向き合う。言いたい事が沢山あってどこから話して良いか分からない。頭の中に浮かんでくる言葉すべてがちっとも賢くないものだったが、そんな事を気にしている余裕など今のジョルノは持ち合わせていなかった。

「だから僕言いましたよね。あの花屋の女性はブチャラティに気があるって。僕、言いましたよ。それなのになんで、どうして僕が居るのに違う人に手を出したんです。僕だけじゃ駄目ですか? やっぱり女性が良いですか? このアップルパイは食べられません。他の人にあげるか、捨てて下さい」
「捨てる、だと? 」

 何か言いたげな顔をしながらも黙って話を聞いていたブチャラティが、ジョルノの最後の言葉に眉がぴくりと動いた。

「お前は、人がせっかく作ってくれたものを捨てろと言うのか? それはあんまりだ。最低だぜ、ジョルノ」
「最低なのはどっちですか」
「確かにお前の言葉を忘れていた俺も悪かった。それは謝る。 だが、お前には俺が二股でもするような軽い男に見えていたのか? 最悪だな。……パイ、ナランチャ達にあげてくる」

 アップルパイの皿を手に持ったブチャラティは、表情こそは普段と大差ないものの、誰がどう見ても怒っているということが丸分かりだった。纏う空気がピリピリしている。一方、ジョルノは少しずつだが冷静さを取り戻していた。だからこそ、ナランチャ達の居る部屋に向かったブチャラティを引き止めることはしない。今のふたりにきちんとした話し合いなど出来るとは思えなかったからだ。
 気持ちのこもっていない謝罪の言葉など火に油を注ぐようなものだから。ジョルノはそっと目を伏せた。悪い事をしたとは思っている。普段は言わない我儘を言ってしまった事は、本当に後悔している。せめてもの罪滅ぼしにと、取り分けた皿に残っていたアップルパイを少しずつだけれど食べた。ゆっくりと時間をかけて、味わいながら咀嚼する。冷めてしまっても味は変わらず美味しくて、こいつに罪は無いなと思った。これを作った人も、これを貰ったブチャラティも、なんの罪も無い。悪いのが誰かなんて、そんなのは考えなくても分かる。

 食器を流しに下げた後も、ジョルノはぼうっとしていた。遠くでナランチャやミスタの声が聞こえる。きっとブチャラティも笑ってる。なんだかとても惨めな気持ちになった。


***


 
 次の日も、その次の日も、ブチャラティとジョルノの関係は変わらなかった。喧嘩した後と変わらないのではなくて、喧嘩をする前と、だ。しかし、それは仕事中の間だけである。

 報告書を提出するためにブチャラティの元を訪れたジョルノは、ただ淡々と任務の内容や結果を報告した。それを相槌をうちながら聞いているブチャラティの雰囲気や表情も、いつもと変わりは無かった。しかし、報告書を出し終わったジョルノが背中を向けた瞬間、ブチャラティの顔が険しいものになる。なにか思い詰めたように眉間に皺が寄り、難しい顔をした。
 仕事中には何も考えないようにしていた。いつだって俺は仕事とプライベートはきっちり分けていたし、それはジョルノも同じである。だから、今だけはお互いこんなにも普段通りなんだ。例えば今が真夜中と言っても良いくらい遅い時間で、もし今ここが街中だったとしたら。そこでたまたま二人がすれ違っても、きっと他人のふりをするだろう。ブチャラティはそう思っていた。そしてジョルノもきっと、ブチャラティと同じ気持ちである。

 部屋から出ようとドアノブに手を伸ばしたジョルノ。その反対側の手はブチャラティによって捕まえられてしまった。一瞬、ここだけ時間が止まったかのようだ。反射的に伸ばしてしまった右手を見ることが出来なくて、ブチャラティはジョルノの後頭部ばかりを見つめる。

「まだ何かありましたか?」
「……ジョルノ、少し外に出ないか」

 やっと絞り出した声は緊張の色が見え隠れしていて、良い大人がまるで思春期真っ只中の学生みたいだと自嘲した。




 コーヒーを片手に二人ならんでベンチに腰をおろした。犬の散歩をする老人ひとりが目の前を通りすぎて公園から出て行く。先ほどまでここを賑やかにしていた子供たちは、いつの間にか母親に手を引かれてどこかへ消えた。まるで皆が空気を読んだみたいに、アジトからいちばん近くの公園はブチャラティとジョルノの二人きりだ。

「うわ、このコーヒー苦いです」
「ん? ……本当だ、俺のは馬鹿みたいに甘いぞ」

 どうやら二人のコーヒーは逆だったようだ。ジョルノが飲んだコーヒーは苦いブラックで、ブチャラティのは砂糖とミルクがたっぷりのカフェオレだった。中身の見えない紙コップだったから、コーヒー屋の店員が渡すのを間違ったのだろう。なんだか間抜けな話ですねといつの間にか二人は顔を見合わせて笑っていた。
 些細な事が何故かとても面白く思えて、二人の笑い声はしばらく公園に響いていた。男が二人、ベンチに座って大笑いしている光景は、傍から見ればなんだか奇妙である。

「あぁ、こんなに笑ったのは久しぶりだな」

 舌に苦いブラックコーヒーの味を楽しみながら、ブチャラティは空を見上げて目を細める。水色とオレンジが混ざり合った空を二匹の鳥が横切った。ジョルノはそうですねと返事をして、意を決したようにブチャラティ、と名前を呼んだ。

「この間はすみませんでした。僕としたことが感情的になってしまい、酷い言葉であんたを傷付けた」
「ジョルノ、あれは嫉妬だったのか?」

 ずっと優しい表情で空を眺めていたくせに、僕をからかう時は心底楽しそうな顔をする。ジョルノは心の中で文句を言いながらも、実はその顔がとても好きだった。

「……すいませんね、可愛く嫉妬できなくて」
「いや、構わないさ。俺だって悪かった。それに、嬉しいものだよ。好きな人に嫉妬されるのは」
「でも、その度に喧嘩するのは嫌ですよ」

 拗ねたような顔でジョルノが言うと、ブチャラティはあははと笑って頷いた。もう空になった紙コップを手の中で遊びながら、何か良い解決策はないかぼんやりと考える。ブチャラティが僕に愛想を尽かしていなくて良かった。思考の大半はそればかりで、解決策なんて少しも浮かばない。

「そうだなぁ。言いたいことがあればちゃんと言う、ってのはどうだ? お前は自分の意見を飲み込む所があるだろう」
「……だって、僕はまだこんな年齢で、何を言っても子供の我儘に聞こえてしまう。それが嫌なんです。」
「そうか? 何も言わずに拗ねてしまう方がよっぽど子供みたいだと俺は思うが」

 言われてはっとした。僕はいつもそうだった。気持ちの良くない感情は、あまり顔に出さないように務めてきた。けれど、きっとブチャラティにはそれが分かっていたのだろう。「今回のジョルノは上出来だ」と頭をぽんぽんと軽く叩かれる。そんな事言ってブチャラティ。あんただって僕の言葉に本気で怒っていたじゃあないか。

「ブチャラティ、僕はブチャラティが街の人たちから好かれるのが嬉しいし、なんだか誇らしい気持ちになります。嫉妬は……するかもしれませんけど」
「あぁ」
「それでも、受け止めてくれますか?」
「もちろんだジョルノ。お前が何をどんなに心配したって、それは全て杞憂に終わるだろう」

 俺はお前だけだからな。なんて、少しスカしすぎだろうか? まるで酒でも飲んだみたいに、気持ちがふわふわとしている。とても気分が良いんだ。ブチャラティはおもむろに立ち上がり、紙コップをゴミ箱に投げた。ジョルノはナイスシュート、と少しだけ赤い頬のまま声を上げて、得意気な顔をするブチャラティの頬にキスをした。
 

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タイトルはリラン


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