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呼吸を止めて、待ってるからね

モブ女がでます


 俺が手嶋さんに告白したのは、インターハイも夏も終わった、暑さがまだ少しだけ残る秋の昼休みだった。

「俺、手嶋さんの事が好きです」

 好きです、とても。インターハイが終わってから伝えようと思っていた言葉。本当は、インターハイが終わる頃には消えてくれたら良いと思っていた気持ち。それは夏の暑さと一緒に消えてはくれなくて、秋の風では俺の熱を冷ますにはぬるすぎる。
 制服姿でこうして向かい合う機会はあまりない。学年が違うというのもあるし、部活以外の接点が何もないという事でもあった。もっと知りたいと思ってはいたけれど、その手段を俺は知らない。

「今泉、お前恋ってした事ある?」
「え?」

 あ、"手嶋さん"っていうのはナシな。そう言った手嶋さんは、照れているのか困っているのか分からない顔をした。そんなの、ノーに決まってる。素直にいいえと答えれば、手嶋さんはそーかそーかと表情を緩めた。

「じゃあさ、お前の俺に対するそれは恋心じゃないぜ」
「……は?」
「お前モテるんだから、彼女なんて作ろうと思えば簡単だろ! クラスにお前の事が気になるって言ってた女子がいたぞ。紹介してやろうか?」

 いえ、あの、……はぁ?
 手嶋さんが何を言っているのか理解できない俺は、くらくらと目眩までしてくる始末だ。俺の手嶋さんに対する気持ちは恋じゃない? この人は一体何を言っているんだ。そんな俺を置き去りにして、手嶋さんは「実は俺、昼飯まだなんだわ。また後で連絡する!」と言い残して駆けていった。はぁ? 今日何度めか分からない俺の素っ頓狂な声は、誰も居ない中庭に消えた。



 手嶋さんから連絡があったのはその日の夜だった。珍しい名前がスマートフォンのディスプレイに浮かび上がり、俺は少しだけソワソワしてしまう。『部活おつかれ』というタイトルのメールを開くと、本文は六行ほど。内容を要約すると、『日曜日の午後一時に駅前に来い』というものだ。
 最初は舞い上がった。だって、好きな人から休日に呼び出されたんだ。嬉しくない訳がない。でも、何故だか素直に喜べない俺がどこかに居た。


***


 指定された時間の十五分前。駅前は日曜日だということもあり、たくさんの人で賑わっている。人混みはあまり好きじゃない。腕時計やスマートフォンを何度も見ては、進まない時間に苛立った。

「今泉くんっ!」

 俺が到着してから十分ほど経った頃。どこからか俺を呼ぶ女の声が聞こえたような気がした。気のせいだろうか? こんなに人が大勢いれば、俺と同じ名字のやつだってそりゃあ居るだろう。そう決めつけて、もう一度腕時計に目を向けた時。

「ねぇ、今泉くんってば! ごめんね、待った?」

 顔を上げると知らない女が、まるで俺と今日ここで会う約束をしていたかのような口ぶりの女が、走ってきたのか、肩で息をしている女が、俺を上目遣いで見上げていた。
 ……誰だ? 人違いじゃないのか。俺はこの人を知らない。にも関わらず女は俺の腕を引いて、「とりあえずどっか入ろっか!」と笑っている。

「あの、ちょっと」
「あっ、ゴメン! 腕組むの嫌だった?」
「いや、そうじゃなくて……あの、どちら様、ですか?」

 そう問うと女はとても驚いた顔をして、「手嶋くんに聞いてない?」と訪ねてきた。突然出てきた名前に、今度は俺が驚いた顔をする番だ。「私、手嶋くんと同じクラスの」と、学年とクラスと名前を教えてくれたが、"手嶋くんと同じクラス"であの時の言葉が思い浮かんだ。

『クラスにお前の事が気になるって言ってた女子がいたぞ。紹介してやろうか?』

 この人は、あの時手嶋さんが言っていた人に違いない。
 

***


 昨日は折角のオフだったのに、散々な一日になってしまった。先日手嶋さんを呼び出した中庭で、全く同じ人を待っている。昨晩、俺はくたくたになりながらも手嶋さんにメールをしていた。昼休みにここで待っているという本文に、ちゃんと昼食を食べてから来てくださいの一文を添えて。

 やっと来た手嶋さんは、やっぱりいつもと変わらない表情だった。しかも、開口第一声が「お前、上村振ったんだって?」だ。上村とは昨日の女である。

「当たり前じゃないですか」
「結構お似合いだと思ったんだけどなぁ……」

 結局昨日は流されるまま、先輩とカフェに行ったり、買い物に付き合わされたりした。本当はすぐに逃げ出して、ロードに跨がり何も考えずにペダルを踏みたいと思ったが、そんな事をしたら仲介人気取りの手嶋さんの面目が立たない。勝手にこんなお節介をされて、それでも先輩の事を考えている俺は、我ながらどうかしていると思った。
 そして告白されたのは帰り際。俺の事が好きだと言った先輩に、すいませんと素直に断った。これで終わりかと思いきや、先輩は「ならどうして今日私とデートしてくれたの!?」と顔を真っ赤にして怒り出した。手嶋さんの面子の為です。なんて言える訳もなくて、言葉に詰まった俺はとりあえず謝罪の言葉を口にする。すると、「思ってもないくせに謝らないで!」とわんわん泣き出した先輩。一体俺にどうして欲しいんだ。手嶋さんとデートだと思えば知らない女が来て、その人は手嶋さんが紹介してくれた人で、断る事も出来ずに好きな人に紹介された人と半日を過ごして。泣きたいのは、怒りたいのは俺の方だ。
 そんな気持ちを表情から察したのかどうなのか、終いに俺は、左頬に手の平を食らった。
 
 平手打ちされたんですよ、とまだ少しだけ赤みがかった左頬をさすれば、手嶋さんはけらけら笑った。悪かったって。あいつがそんなやつだなんて思ってなかったから。モテる男は大変だなぁ。全く悪びれもしない口ぶりである。

「俺、すごく怒ってます」
「だろうな」
「怒ってるんですけど、まだ好きなんですよ。おかしいですよね、手嶋さんの事がまだ諦められません」

 手嶋さんはずるい人だ。きっと彼女に俺を紹介したのはわざとで、それに気付いた俺が手嶋さんに絶望すると思っていた。いっそ嫌われてもいいぐらいの覚悟だったのだろう。なのに俺は、手嶋さんを嫌いにならなかった。嫌いになんて、なれなかった。予想してた言葉とは正反対のものが降ってきて、手嶋さんはさぞ驚いた顔をしていることだろう。ざまあみろ、だ。
 なんて心の中では悪態をついてみながらも、好きな気持ちが変わらないのは本当で。なにも言葉がない張りつめた空気に、不安な気持ちが募る。

「なんで何も言ってくれないんですか。気持ち悪いですか? その、男の俺が男の手嶋さんを好きだって事が」
「そういうわけじゃない!」
「じゃあなんで……!」

 そういう訳じゃないんだよ。手嶋さんはそう呟いて、風に揺れた髪を耳にかけた。柔らかそうにウェーブした、真っ黒な癖っ毛だ。
 前も言ったけど、と前置きをして話しはじめた手嶋さんの顔も声も、まるで作り物みたいに真っ直ぐに俺を捉えていた。

「今泉はさ、女子にモテるだろ? 恋人なんて簡単に作れる」
「俺が欲しいのは恋人じゃない。恋人の手嶋さんです」
「いやぁ、参ったな」

 手嶋さんはこの後なんと言うのだろうか。雲が太陽を隠してしまい、景色が少し暗くなる。少しだけ距離を詰めて自分より低い肩にもたれた。これくらいは許してくださいよ。だって手嶋さんは、こんなに俺を傷付けた。けど、触れてしまうのはズルだよな。手の平に爪が食い込むくらい強く握った拳は、肩の力を抜くのと同時に自由になった。そして、指先から熱を持つ。

「手嶋さん」
「うん?」
「良い加減俺のこと、好きって言ってくださいよ」

 肩にもたれて呟いた言葉は、手嶋さんにはどうやって伝わったのだろう。はじめて触れたこの熱を、秋の風には冷まさせない。


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タイトルは魔女


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