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あなたとロマンチックしたい


 段ボールはあらかた片付いて、少ない食器や洋服もちゃんとあるべき場所に落ち着いた。日曜日の昼下がり、ようやく俺の一人暮らしが始まる。
 大学進学をきっかけに、俺は十八年も住んでいた家を出た。両親は俺の一人暮らしについて特に反対はしなかったが、ただ『ご飯はなるべく作った物を食べなさい』と言った。料理の苦手な俺はきっと、コンビニ弁当だとかカップラーメンばかりを食べると思っているのだろう。料理が出来る男はモテるのよ、そう言って、母さんは一人暮らしのお祝いにエプロンをくれた。お祝いにエプロンって……と、最初は少し落ち込んでいたが、これが結構役に立つから驚きだ。熱い物は掴めるし、濡れた手も拭ける。実は早めの昼食に、ネットで検索したレシピを見てチャーハンを作ったのだ。自分では結構美味しく出来たと思ったが、一緒に食べる相手がいないから本当のところは分からない。

 綺麗になった部屋を見回してみる。トイレも風呂もしっかりついた、1DKの少し狭い部屋。テレビはまだ小さいが、バイト代を貯めたらもっと大きなものを買おうと決めている。まだバイト先なんて探してもいないけれど、まぁなんとかなるだろう。多分。
 それにしても、この家には自分の居場所しかないなんてなんだか奇妙だ。実家は自室やリビングくらいだったのに、ここは全部が俺の場所。そう考えると、心が踊るのと同時に少しだけ寂しさも滲んでくる。

「あかあし、」

 なんとなく呟いたのは大好きな名前だ。声は、こんなにも狭い部屋のどこかに消えた。赤葦は今年で三年生になる。最高学年で、受験生で、部活の主将。俺だって、ついこの間までそうだったのに。
 あーあ、寂しいなぁ!今度はさっきより大きな声で呟いてみた。孤独感が増すばかりだ。実家の自室から持ってきた見慣れた時計は、規則正しく時間を刻む。その音を聞きながらソファに沈んだ。脚がはみ出る黒いソファは、両親からのお祝いに貰った。俺のひとり立ち祝いだそうだ。そう嬉しそうに言っていた両親の顔が忘れられない。距離は遠くても、俺は一人じゃない。それはとても嬉しい事だと改めて思った。





「木兎さん、起きてください」

 赤葦の声が遠くに聞こえる。木兎さん、木兎さん。そんなに呼ばなくても聞こえてるって。聞こえてはいるけど声が出ないんだ。声が出ないから返事をしたくても出来ないんだ。仕方のない事だ。赤葦の声を少しうっとおしく思っていると、突然頬に痛みを感じた。驚いて目を開けると、赤葦の顔がいちばんに目に入る。

「おはようございます、木兎さん。コロッケ買ってきたんで置いときますね」

 何事も無かったかのようにビニル袋をテーブルに置いた赤葦は、勝手に冷蔵庫を開けてうわ、と声を漏らした。

「何も入ってないじゃないですか」
「あ、ごめん……って赤葦!? お前なんで居んの!? 」
「きっと木兎さんコンビニ弁当ばっかり食べてると思って。ご飯作りに来たんですよ、俺」
「まじで!?」

 赤葦の訪問も、ビンタで起こされた事も、全部があまりにも突然の出来事で驚いた。でも、それ以上に凄く嬉しい。あの赤葦が、俺の為に料理を作ってくれるなんて! 一人暮らしを始めてよかったなぁ。

「でも、もう少し起こし方とか無かったわけ? ビンタって……」
「だって木兎さん、何回呼んでも起きなかったから。キスの方が良かったですか?」
「え! キスの方が良かった!」
「冗談ですよ」

 俺がしょんぼりと肩を落としていると、これ使って良いですか?と赤葦がエプロンを持って見せた。

「いいぜ〜。それ、母さんからの一人暮らし祝い」
「そうなんですか。良いお母さんですね」

 お母さんも俺と同じで、木兎さんの食生活が心配だったんでしょ。後ろでにエプロンの紐を器用に結んだ赤葦は、なんだか俺の奥さんみたいだ。そのまま流し台を見て顔を歪ませる。しまった、洗い物そのままだった。

「あー、俺も自分で昼飯作ったんだけどさぁ」
「片付けまでが料理ですよ」
「すいません……」

 口では謝っているけれど、俺の顔は緩みっぱなしである。だって赤葦の小言を聞くのは久しぶりなんだ。そりゃあ嬉しくもなるだろう。
 赤葦が冷蔵庫を開けながらうんうん唸っているのを背に、俺はスポンジを泡立てる。食器は一人分だから、洗うのにそこまで苦労はしなかった。自分の仕事が終わったので赤葦に声を掛けると、休んでいて良いと言うのでお言葉に甘える。うちのキッチンは二人で立つには狭すぎた。


 漂ってくる良い匂いに、腹の虫がぐぅと鳴いた。エプロン姿の赤葦が運んで来たのは、山盛りのご飯と味噌汁。コロッケの皿には千切りキャベツが添えてある。あれ、意外と普通というか、庶民的というか、なんというか。赤葦ならパスタとかグラタンとか、お洒落な片仮名の料理が出てくると思っていた。まぁ、パスタもグラタンもうちには材料が無いのだけれど。

「肉は?」
「肉じゃがコロッケです」

 うーん……まぁ、いっか。
 二人揃っていただきますを言って手を合わせた。手作りの味噌汁なんて久しぶりだ。レトルトより断然こっちのが美味い。肉じゃがコロッケも美味い。なんていうか、お惣菜コーナーの味。

「赤葦ってもしかして、料理したことなかったりする……?」
「ありますよ。家庭科で何度も」
「それカウントするか!?」
「まぁ、なきにしもあらずって感じですね」

 なんでもないように箸を口に運ぶ赤葦は、何か文句でもありますか?という目をしていた。別に良いんだけどね、味噌汁美味しいし。キャベツ残っててよかった。
 それにしても、こうして居るとやっぱり同棲してるみたいだなぁ、なんて思ってしまうわけで。もし本当にここが俺たちの家なら、二人で住むにはいささか狭すぎる。息苦しいのを我慢して同じベッドで眠るなら、ここでもなんとか大丈夫そうだけど。なんて、赤葦との幸せな同棲生活を思い描いては幸せな気持ちになった。

 



「じゃあ、あまり部屋散らかさないで下さいね」
「はいはい。お前ほんと母さんみたいだなぁ」

 夕飯の後片付けは二人でやって、そのあと小さいテレビを肩を並べて観た。泊まっていくかと尋ねたら、明日は練習があるからと断られてしまった。じゃあせめて送って行くと家を出たのが五分前。春休みだからか、駅はいつもより人が多い。
 
「今日はありがとな。今度は俺が飯作ってやるよ! いつ来られる?」
「期待しとくんで、ちゃんと食べ物作ってくださいね」
「お前失礼!」
「次はいつになるか分かりませんが、春休み中にもう一回は来たいです」
「おう、連絡してくれ!」

 来たいです、だって。可愛いやつだなぁ。思わず頭をぐしゃぐしゃに撫でたら、心底迷惑そうな顔で睨まれた。そんな照れ隠しも可愛いんだ、赤葦は。
 そろそろ時間だからと、赤葦は背中を向けて行ってしまった。その後ろ姿が人混みに消えるまで見届けたくて、俺はその場所をまだ動けない。すると、遠くなった赤葦がくるりとこちらを向いた。両手を口元に添えて、何か言いた気だな表情だ。

「戸締り、ちゃんとしてくださいね! あんな部屋でも泥棒が入ったら大変ですから!」

 赤葦にしては大きな声で、やっぱり母さんみたいな事を言った。俺が思わず笑って、それでも負けないくらい大きな声で返事をすると、満足そうな顔で人混みに消えてしまう。

 これからあの部屋に帰ったら、一人で生活しなければいけないなんて。最初は楽しみだった一人暮らしが、たった半日赤葦と過ごしただけで寂しく感じる。次はいつ会えるのだろう。いっそ、あの狭い部屋で一緒に暮らせばいいのに。そんな我儘は流石の俺でも言えなかった。でも、赤葦が卒業した後なら……
 夕飯時に考えた幸せな未来をもう一度考えて、これを赤葦に伝えるかどうか少し迷った。だって、一人暮らしは寂しいんだ。将来、赤葦がもし一人暮らしをするのなら、俺と同じ寂しさを味わってほしくない。そんなエゴを伝えたら、赤葦はどんな顔をするのだろうか。呆れた顔で、『食事は当番制ですよ』なんて言ってくれたら、それはとっても幸せだ。
 

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タイトルはリラン


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