小説 | ナノ

とろけるような熱をきみと

 バイトをやめた。理由はとてもありふれたもので、勉強とバイトの両立が難しくなったから。だからって自転車の時間を削るなんてあり得ないし、まぁ貯金もあるから少しの間は大丈夫だろう。
 俺がいなくても、あの店は明日も明後日も変わらずに動くんだ。交代でレジやって、休憩して、品出しして、その他にも仕事はたくさんあった。けど、俺にはもう何もできない。このバイトが特別好きだったわけじゃないけれど、初めてだったからその分思い入れも強い。みんな良い人ばかりで、店長は勉強が落ち着いたらまたおいで、と言ってくれた。帰り際に売り物のおでんまで持たせてくれて。そういえばひとり、趣味程度らしいがロードに乗ってる人もいたな。あの人とはもっと話したかった。男にしては唇が厚ぼったくて、言葉を交わす度に俺は新開を思い出していた。
 なんていうか、あの場所は暖かかった。そんな事を言えば、俺を知っている友人たちは笑うだろうか。
 大学にくる前は、こんなに沢山の人と俺が関わるだなんて思ってもみなかった。せいぜい同じ研究室のやつとか、部活の人たちくらいだと思っていた。人はこうやって知り合っていくのか。そして、こうやって別れていく。急に、柄にもなく高校時代が懐かしくなった。
 
 貰ったおでんはもう冷えてしまっただろうか。そう思いながら歩いていたら、目の前から派手な頭のやつが歩いてくるのが見えた。ちょうど駅のある方向だ。俺はあの色を知っている。

「やすとも、」
「新開……?」

 寒さに弱いそいつは何枚も服を重ねているようで、前より大きく見えた。本当に服のせいならいいが。




 寒空の下で立ち話もなんなので、とりあえず新開を俺のアパートに招いた。想像通りの散らかりようだなと笑ったそいつに暖房のリモコンを投げつける。お前が来るって分かっていたら、もう少し綺麗にしてたっつーの。
 部屋が暖かくなって、新開はやっと上着を脱いだ。良かった、大きく見えたのはやはり服のせいだ。まぁ、そりゃそうだよな。新開だって大学でロードを続けているんだ。そんなに簡単に太ったりはしないだろう、たぶん。そんな事を考えているそばから、新開は俺がもらってきたおでんに目を光らせている。

「食っていいか?」
「自分でチンしてこいヨ」

 顎でキッチンの方を指すと、サンキュ、と言ってそちらへ向かった。変わんねェの。電子レンジの前で、チンの音をまだかまだかと待っている新開を思い浮かべる。呆れた気持ちを前面に出して、でもどこか少しだけ安心している俺がいた。



 久しぶりに会えた嬉しさとお互いの体温が俺たちを駄目にしていく。新開を部屋に入れて、おでんを食べさせてやったその後。二人はずっとベッドの上で抱き合って、今まであった何でもない日常の話をしている。俺がバイトをやめたと言ったら、あいつは最近新しいバイトをはじめたばかりだと言った。俺たちはどこまでも似ないなって笑い合った。
 ずっと動かずに抱き合ったままでも腹は減るようで、空腹を感じたらしぶしぶ離れて飯を作った。飯と言っても袋ラーメンを煮るだけである。狭いキッチンでネギを刻む俺の後ろで、新開はラーメンに卵を入れるか入れないかで真剣に悩んでいた。明日の朝食べる卵が無くなると言ったら、じゃあやめるわって言って箸をテーブルに並べる。俺の言葉ひとつで、あんなに悩んでいた問題が簡単に解決してしまうのがなんだか嬉しい。

 新開がうちに来てから三日が経った。部活はないけどそろそろロードに跨りたい。ペダルを回して、苦しくて気持ちの良い汗をかきたい。それはきっと新開も同じだろうに、今日も今日とて俺たちはひとつだ。
 抱き合ったまま目が覚めて、食事をしてまた抱き合って、尽きない話をしながらたまにキスなんかもして。そういえば、もう三日も風呂に入っていない。

「髪とかベタベタして気持ちわりィな」
「風呂、一緒に入るか?」
「バァカ、うちの風呂は二人も入んねェよ。 とりあえず、風呂沸かすから離れてくんない?」

 しぶしぶといった様子で離れた新開に、テレビのリモコンを投げた。新開はそれをしっかり両手で掴む。ナイスキャッチ。

「勝手に見ててもいいヨ」
「あぁ……なぁ、靖友」
「あー?」
「どこにも行かないでくれ」
「バァカ、風呂沸かさなきゃ入れねェだろ」
「そうだけど! いや、そうじゃなくて……」

 歯切れの悪い新開に、イライラしているみたいに頭をガシガシと掻く俺。新開は何かを決意したような顔で口を開くけれど、その口からは何の言葉も生まれない。

「言いたい事あんなら言えば? それとも、俺が言おっかァ」
「え?」
「俺たちの関係ってなんだろうな」

 俺の言葉が図星だったようで、新開は一瞬目を見開いた後にそれなんだよなぁと困った笑顔を浮かべた。
 だってその通りだろう。俺たちはただの友達だったはずだ。なのにこの三日間、やってきた事はまるで恋人のようじゃないか。どちらからそうしたのかは覚えていないし、俺も、たぶん新開も、この三日間心地が悪い思いはしていない。少なくとも俺は幸せだった

「聞いてくれ、靖友」
「なに」
「お前の事が好きだ」
「あぁ、あー……そうかよ」

 俺は逃げるように背中を向けた。





 靖友は風呂場に行ってしまった。暖房の音だけの部屋が居ずらくて、手に持っていたリモコンをテレビに向ける。リモコンを投げられるのはこの部屋に来て二度目だ。チャンネルをばちばちと変えてみたけれど、全部同じ番組に見えたからやっぱり電源を消した。
 
 俺は冬が好きではない。正しくは冬ではなくて、冬の寒さが。
 三日前の朝。起きたら鼻先がツンと冷たくて、カーテンを開けたら少しだけ雪が降っている。窓の近くは空気が冷たくて寒かった。もう一度カーテンを閉めてしまおうとした瞬間、窓の外に一人の男を見つけた。その人は全然知らない人だけれど、見慣れたマフラーを巻いている。去年の冬に毎日見ていたそれを、俺が忘れるはずがない。マフラーは靖友がしていた物と同じだった。
 靖友はどうしているのだろう、靖友に会いたい。そう思うのと窓から離れるのは、きっとほぼ同時だった。気が付いたら俺は、携帯と少しのお金だけ持って靖友の前に居た。

 靖友の体温は暖かくて気持ち良くって、靖友の作ったラーメンは美味かった。散らかった部屋は高校時代を思い出したし、毛の細い黒髪が俺の顔にかかる度に幸せだと思った。靖友が何も言わなければ、俺は今の状況を打破出来ずにいただろう。この正しいかどうか自分でも分からない気持ちを、見ない振りで靖友にキスをしていた。
 
 まだ返事は貰っていない。きっと二人とも同じ気持ちなんだ。逃げてしまった靖友を、追いかけるのは俺しかいないだろう。



「靖友」
「風呂はまだだヨ」
「靖友、好きだよ」
「……さっきも聞いた」
「靖友は?」

 ずっと蛇口から出るお湯を見つめていた靖友が、やっと俺の顔を見た。その目はなんだか困っているように見える。
 靖友は、何を思って俺が触れるのを許したのだろう。キスをしている時は、一体どんな気持ちだったんだ? 聞きたい事は山ほど出てくるが、そのどれもが靖友を困らせてしまうのだろう。だから俺は何も言わない。本当は、『お前は俺が好きだろう』と、そう言って早く同じ気持ちを共有したいんだ。

「お前と過ごした三日間、楽しかったヨ」
「うん」
「バイト辞めたばっかりで、ちょっとばかし沈んでたんだけどさァ。それなのに俺、ついさっきまでバイトの事なんて忘れてたんだぜ」

 それって、お前が会いに来たからかもな。
 靖友は真っ直ぐに俺を見つめて、それってそういう意味だよな? 名前を呼んで顔を近付けて、鼻先が触れるくらいの距離。唇がくっつく寸での所で胸元を押された。

「まだ俺なにも言ってねェだろーが、ボケナス」
「さっきのってそういう意味じゃないのか?」
「ウッセ、ちゃんと言わせろ。 俺も好きだぜ、新開」

 靖友!って名前を呼んで、大好きだ!って抱き締めた。ハイハイって返事をする靖友の腕は俺の背中に回されて、見えないけれど顔もたぶん笑ってる。
 俺たちは、浴槽がお湯でいっぱいになるまで何度もキスをした。浴室は、今が冬だという事を忘れるくらいに暖かい。


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タイトルはリラン

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