小説 | ナノ

瞬きをした数だけ君を愛そう


 東堂さんをそういう風な対象として見始めたのは、こんなにも好きだって自覚したのは、いつからだったろうか。なんだって始まりの瞬間を覚えている事はあまりなくて、オレはいつも後から後悔をする。だけど、この気持ちを東堂さんに伝えた日の事はよく覚えていた。全然、もう思い出したくもないんだけど。


 先週の事だ。オレの一世一代の告白に対して、東堂さんは『そうか』としか答えなかった。告白したのは半ば勢いだったけれど、その言葉を口にしたオレは当たり前に緊張していて、心臓が爆発してしまうんじゃないかってくらいにうるさかった。
 それなのに東堂さんは、告白されるのなんて慣れてますよって顔で一言。その後に何か考えるような表情をしたけれど、その先なんて聞きたくなかったから、オレは逃げるように部室を飛び出した。
 その日、部室は左から三番目のロッカーの扉が開けっ放しだった事とか、職員を呼び出す内容の校内放送だとか、帰り道に見かけた野良猫の目の色なんかを、やけにはっきり覚えている。


 大好きな自転車で、大好きな山を登っている時がオレはいちばん楽しい。最近は毎日山を登って、下りて、また登っての繰り返しだ。そんなの今に始まった事じゃないけれど、最近は特に。自転車を押しながら、汗だくのまま部室に戻る。とりあえず汗を拭いて、ドリンクを補充したらもう一度登ろう。
 自転車でぎゅんぎゅんと風を感じている時は、後ろに流れる景色と一緒に余計な気持ちや悩み事もどこかへ行ってしまう。頭の中が空っぽになるようで、とても心地が良い。と、ここまで考えてハンドルを握る手に力が入った。これじゃあまるで、東堂さんを忘れるために自転車に乗ってるみたいじゃないか。
 東堂さんの事を考えたら胸がぎゅうっと苦しくなる。それはびくびくと震える足で重いペダルを踏んでいる時とは違う苦しさで、でもどこか楽しいと思う気持ちは同じだ。生きてるって感じるかと言われたら、よくわからない。けれど、気分の悪いものでは決してなかった。
 
 今日はもう帰ろう。ロッカーをきちんと閉めて、リュックを背負う。制服のボタンは暑いからみっつめまで開けたまま、ネクタイも辛うじて首に引っかかってる程度にして。先生や委員長に会ったらきっと説教されちゃうかもだけど、こんな時間じゃそうそう出会わない。今日の夕飯は何だろうと、そんな事を考えながら部室を出ようとしたら、不意に足が止まってしまった。

「だらしがないぞ、真波」
「あ、東堂さん……」

 なんでここに?って言いたかったけど、部室に部員が来るのは何もおかしい事ではないからやめた。なにも、オレがいる時に来なくったっていいのに。

「東堂さんだって、いつもこんな感じじゃないですかー」

 いつも通りを心がけて、ただの後輩みたいに言葉を返した。ただの後輩って、なんだか嫌な響きだ。まるで赤の他人って意味みたい。もっと東堂さんに近い存在になりたかったなぁ。クラスメイトでも幼馴染でも、なんでも良いからもっと近付きたかった。そんな事、今更願ったってもう遅いし、なんの意味もないんだけど。
 俺はどんな格好をしても似合うからいいんだとかなんとか言っている東堂さんの脇をするりと通り抜けて、お先に失礼しますって自転車に跨がれば背中から声がした。なんでいつも通り話しかけてくるんですか。オレの一世一代の告白は、東堂さんにとってはそんなに些細なことだったんですか。オレはこんなにも苦しくて泣きたいのに、ひどいや。大好きな声で何度も名前を呼ばれたけれど、聞こえないふりでペダルを踏んだ。



 考え事をしたい時とか、勉強しろーって言う委員長から逃げる時とか、自分の気持ちが分からない時はいつもここに来る。今日は足が自然とこっちに向いたから、オレは少し落ち着きたいんだって分かった。コンクリートに腰掛けて空を眺めたら太陽が少しだけ沈んでいて、綺麗だけれど明日にはすっかり忘れている景色だろう。海に白いかもめが浮いていて、羨ましいなと思った。何がどう羨ましいのかは分からなかったけど、なんとなくそう思った。
 

 気付いたら太陽は半分が海に沈んでいて、オレはここに来てからの記憶がない。本当にぼうっとしてたんだろう。まだ帰りたいとも思わなかったから、自販機で何か飲み物を買おうとポケットに右手を突っ込んだ。確か、昼食を買った時のお釣りがあったはず。すると、後ろから真波、と名前を呼ばれる。この人は本当に足音が無いんじゃないかってくらい静かで、いつも気付けばすぐ近くにいるんだ。日常でも忍者ですねって笑ってやりたい。

「東堂さん。こんな所に何か用でもあったんですか?」
「あぁ。お前にな、用があったんだ」
「へぇ、よくここが分かりましたね」
「お前が前に言っていたではないか。お気に入りの場所があるんだって、行き方まで教えてくれた」

 そうでしたっけ? 口元が緩んでしまいそうになるのを何とか抑えて、よく覚えてないですって続けた。覚えていなかったのは本当で、東堂さんに言われてやっとその時の記憶が蘇る。部活で山のコースを走った時だ。山を登るのがつい楽しくなって、東堂さんと競争みたいに走ってしまった日。山頂で後続を待っていた時の何気ない会話だった。東堂さんがそれを覚えていたのはきっとたまたまだけど、それでもオレは嬉しかった。改めて好きだと思った。
 
「隣いいか? おにぎりを買ってきたんだ。お前はきっとまだ何も食べてないだろうと思ってな。鮭と昆布があるが、どっちがいい?」
「……食べたくないです」
「ふぅん、そうか」

 食べたくないって言ったのに、東堂さんは「じゃあ昆布をあげよう。俺が鮭を食べる」って。「昆布と鮭はあまり好きではないのか?」って。別に、具が気に食わない訳じゃないんです。だって、東堂さんに貰うものならなんだって嬉しいに決まってる。
 隣に座る事を許したわけでもないのに、東堂さんは俺の隣にどっかりと腰を落ち着かせて、この人のこういうところがオレは好きなんだって思ったらなんだか悲しくなった。何をしているんだろう。このまま東堂さんと並んで座っているだけで、下手すればオレは泣いてしまうかもしれない。

 東堂さんはなにも言わないで、黙々とおにぎりを食べている。コンビニの、きちんと三角形なおにぎりは東堂さんには似合わない。背筋をぴんと伸ばして座る東堂さんと、綺麗な三角形、ぱりぱりの海苔、真っ白すぎるお米。どこか似ているようなのに、一緒になると違和感があった。

「なんだよ真波、じろじろ見て。やっぱり鮭が良かったのか?」
「いえ、別にそういう訳じゃ……」
「なら早く食べてしまえ。食べ終わらなければ、いつまで経っても本題に入れないだろう」

 おにぎりの入ってたコンビニ袋からペットボトルを取り出して、東堂さんは綺麗な喉を晒してそれを飲んだ。うん、お茶は東堂さんにぴったり似合う。そんな事を考えてたら、キャップを閉めながらじろりと睨まれて、オレは慌てておにぎりの封を開けた。


 東堂さんと一緒にいると、なんだか水の中にいるみたいだ。泣きたくなるくらい息苦しいのに、それでもオレは水中で息をしようとしてる。水が染みてじんじん痛むけど、両目をいっぱいに開いて。そうやってオレは、東堂さんの綺麗な横顔にいつも見惚れている。

「食べたか?」
「うん。ご馳走様でした」
「うむ。お粗末様」

 もっと東堂さんに見惚れていたかったけど、現実はそうもいかないらしい。オレに何の用があるのだろう。なんて、そんなの考えなくても分かってる。きっと、告白の返事だ。
 東堂さんは地平線の向こう側を見ているようだ。ふいに、視線はそのままで「真波、」と名前を呼ばれて、オレは緊張してしまう。顔は東堂さんの方を向けなかった。

「真波、お前は俺の事を何も知らないな」
「……どうしてですか? 知ってますよ、好き、ですもん」
「では、なぜそんな顔をしているんだ? どうして俺から逃げようとする」
「知ってるから、ですよ。東堂さんの事。東堂さんが……東堂さんが、オレの告白をなんとも思ってないって事も」

 ちゃんと知ってますからね、オレ。
 自分で言っておきながら悲しくなってきて、無理に笑顔を作ってみたけれどやっぱり駄目だった。あぁ、こんなにも俺は東堂さんが好きなんだ。好きって苦しいなぁ。ずっと、ただ息苦しいまま東堂さんを見つめていたら良かったんだ。なのに俺は、見つめているだけでは飽き足らず、触れて、水中で自由に息をしたいと思ってしまった。告白なんて、しなければ良かったんだ。

「なんだ、やっぱり知らないじゃないか」
「だから、」
「俺はお前が好きだよ」
「……え?」

 一瞬東堂さんが何を言っているのか分からなかった。やっとその言葉の意味を理解した後は、もしこれが嘘だったら、東堂さんの優しい嘘だったらそれは嫌だなぁって思った。そしたら東堂さんはオレの心の中を読んだみたいに、「俺は冗談は言っても嘘はつかないぞ」って言って。
 頬にこそばゆい何かが流れて、はじめて自分が泣いてるんだって分った。これは、さっきまで我慢してた涙とは全然違う。涙が出るのは悲しい時だけではないのだと、東堂さんが教えてくれた。

「東堂さん。オレ、東堂さんの事大好きなのに、駄目ですね。まだまだ全然、知らない事ばっかりだ」
「まぁ、これはきっとファンクラブの女の子たちも知らないだろうなぁ」
「へへ、そっか。じゃあオレしか知らないんだ」

 東堂さんがオレの事を好きだってことは俺しか知らない。それはとても幸せだ。でも、よく考えたら俺が東堂さんを好きだってことも東堂さんしか知らない。なんだか二人だけの秘密を共有してるだけで嬉しかった。
 太陽はいつの間にか地平線に吸い込まれてしまった。あたりは紺色に包まれているけれど、ここに来た時に見た景色よりずっと綺麗だ。きっと、隣に東堂さんがいるからだろう。

「東堂さん。好きだ、オレ、東堂さんの事すごく好き」
「あぁ、俺も真波が好きだよ」
「ねぇ、せっかくだから恋人らしい事しましょうよ」
「例えば?」
「例えば、こういう事」

 隣に体重の半分くらいで寄りかかる。東堂さんは全く動じずに受け止めてくれた。自分より少し低い肩に頭を乗せて、目を閉じる。青春ドラマのワンシーンみたいだ。
 やっと触れた。思っていたよりもずっと、東堂さんは暖かかった。オレの心臓、すっごくドキドキしてる。思わず溢れた幸せな笑い声に、東堂さんはどうしたんだって言いながら頭を撫でてくれた。

「本当はな、断るつもりでいたんだよ。でも、なかなか言葉が出なくてな。結局一週間も悩んでしまった」
「どうしてです? オレ、恋愛対象じゃなかった?」
「いや、お前の事は結構前から好きだったぞ?」

 好きの言葉を当たり前みたいに東堂さんに貰える事が嬉しい。それに、結構前っていつからだろう。訪ねてみたいけど、きっと答えてくれないだろうから思うだけにした。

「部室で会うときまでは、本当に断る気でいたんだ」
「えぇ! 部室で会ったのって、ついさっきじゃないですか!」
「あぁ、そうなんだ。なんでだろうなぁ。 きっと俺は、自分にもお前にも嘘がつけなかったんだろうな」
「さっき、俺は嘘はつかないーって言ったじゃん」
「ほら、だから嘘はついてないだろう?」

 結果こうして付き合えたんだから、良しとしてくれよ。なんて、なんだか東堂さんらしくない言葉が面白かった。
 これからは先輩としての東堂さんとは違う、恋人としての東堂さんも見られるのかな。どうしよう、東堂さんの事を知っていくたびに好きになる。

「オレたぶん、東堂さんがいなきゃもう駄目ですよ」
「俺に見惚れて、おにぎりひとつ食べられないもんなぁ」
「わ、気付いてたの!?」
「勿論だ。穴が空くかと思ったよ」

 恥ずかしくて、「次は東堂さんの作ったおにぎりが食べたいな」って東堂さんの二の腕あたりに額を押し当てた。そしたら東堂さんは、真波は甘えただなぁって笑ってくれた。
 
 両想いになっても東堂さんと一緒にいる時は変わらず息苦しく、でもやっぱりそれは嫌じゃなかった。苦しくて、胸がぽかぽかして、まるで心が風邪をひいたみたい。東堂さんに好きだと言って、好きだと言われて、そのたびに幸福が胸を締め付ける。


 そろそろ帰らなきゃ。横顔にキスをしたら、東堂さんの目が大きく開かれて、やっと先輩じゃない顔が見れた。暗いから分からないけれど、きっと顔は真っ赤なんだ。東堂さんも、俺も。
 
「寮まで送りますよ」
「それくらい自分で帰れるぞ」
「送らせてくださいよー」

 火照った顔に海風が気持ち良い。手とか繋いでみたいけど、自転車があるからそれは出来ない。それでも、並んで他愛もない話をしている今がしぬほど幸せだ。
 寮について、別れ際に短くキスをすると、東堂さんはこんな所でって顔を赤くしたまま少し怒った。

「えへへ、ごめんね東堂さん。どうしてもしたくなっちゃって」

 そう言って、説教が始まる前に自転車に跨る。オレがまた明日って言えば、さっきとは打って変わって優しい声でまた明日って返ってきた。

 オレは、今日を絶対に忘れないだろう。あの時すぐに忘れるだろうと思っていた夕日は、今でも鮮明に脳裏に浮かぶ。忘れない。告白した日の事も合わせて、たぶん一生。これから東堂さんと作る思い出には、きっと悲しいものもあるのだろう。それでもオレは、それも一緒に愛していこう。
 明日からの事とか、ずっと先の事とか。東堂さんとの未来を考えるとなんだか気分が良くなった。思わず鼻歌交じりで帰路につく。今日は綺麗な満月だ。

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タイトルはカカリア


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