小説 | ナノ

光に満ちる場所

大学生クロと高3研磨で遠距離恋愛


 いつもみたいに、なんの連絡もなしに部屋の扉を開ける。部屋の主は、これまたいつもみたいにベッドに寝転んでいた。よぉ、と手に持った紙袋を掲げてみせる。主である研磨は、かすかに視線をそれに合わせた後、うん、とだけ答えた。
 自分の部屋と同じくらい居心地の良いこの部屋に入って、俺ははじめて安心感と、少しだけの懐かしさを覚えた。変わらない。部屋の空気も、家具の場所も、研磨も。俺はこれを全部知っている。懐かしいと思うのは悲しかった。

「なに持ってきたの?」
「アップルパイ」
「食べる」

 昔と同じ、いつも通りの研磨に、やっぱり俺は嬉しくなってしまった。まだ暖かいアップルパイとプラスチックのフォークをテーブルに並べると、研磨はベッドから降りて俺の隣に座る。久しぶりの研磨。身長と髪が少し伸びたかもしれない。伸びていなけりゃいいな。何も変わっていなければいい。

「久しぶりの鉄郎くんよりアップルパイなのか?」
「だって毎日電話してるし、あんまり久しぶりって感じ、しない」
「あーあ、つれないのー」

 なんて、態度まで変わらない研磨の頬を人差し指でつつくと、食べにくいからと不機嫌な顔をされてしまった。それすらも嬉しくて、幸せそうに食べる研磨をじっと見つめる。こんな事はもう慣れっこだという風な表情で、研磨は黙々とフォークを口に運んだ。俺が研磨の食べている所が好きだって事を、本人も大分前から知っている。美味しいかと尋ねれば、こくりと小さく頷く。髪の毛が垂れる。やはり少し伸びたかもしれない。

「ごちそうさま。 美味しかった」
「おう。 久しぶりだからな、ちょっと高いんだぜ、これ」
「そうなの? いつものコンビニのやつでも良かったのに」

 でも、ありがと。二回目のありがとうはなんだか照れ臭そうだった。
 大学に行ってはじめてアルバイトをして、自分で稼いだ金を使う事の楽しさを知った。勉強と、進学してもなお続けているバレー(あまり強いチームではないけれど、チームメイトとボールを繋ぐだけで楽しい)。そのふたつを両立して、なんとか時間を見つけてやっている、コンビニのアルバイト。自分の金で好きなやつの好きな物を買うのって、こんなにも幸せだ。
 
 そういえば、食べ終わった皿の隣。テーブルの上には見たことのない雑誌が乗っている。研磨にしては珍しいなと思いながら手を伸ばしたら、最近すきなバンドの特集が載っているのだと説明してくれた。なんでもない、ただの音楽雑誌。部屋に流れている曲も、たぶん俺が初めて聴く声だ。

「俺、この曲知らない」
「この前買ったアルバム。雑誌に載ってたやつ」
「ふぅん」

 研磨の手にはいつの間にか歌詞カードがあって、きっとそれは俺の知らないバンドのものだろう。最近の研磨はよほどこのバンドがお気に入りなんだろうな。いつもなんとなく聴き流すだけの音楽を、歌詞カードを見ながら聴いているのは珍しい。また見つけてしまった、俺の知らない研磨。

「お前のお気に入りが増えるのは嬉しいけどさぁ」
「ん、なに?」
「いや、ちょっと寂しいなぁって」
「なにそれ」

 手元の歌詞カードから目を上げた、研磨の猫みたいな目。視線が交わって、その瞳の中に俺を見るのはいつぶりだろう。じっと見つめる俺の瞳には、僅かに首を傾げた研磨が映る。そしてそのままキスをした。知らないバンドの音は聴こえない。くっついて抱き締めて距離がなくなれば、テーブルに肘がぶつかってフォークが落ちる音がした。かちゃり。フォークも、手から落ちた歌詞カードも気にしない。暖房のきいた暖かい部屋が俺たちだけの空間になる。

「こうするのは久しぶりだね」
「あぁ、そうだな」
「あったかい」

 ずっとこうしたかったのに、前はいつでも触れられる距離にいたのに、今は簡単に触れられない。いまの大学を選んだのは俺自身で、その選択に後悔はなかった。けれど、研磨に会えない事だけがどうしようもなく苦しかった。今日こっちに帰ってこれたのも本当は奇跡みたいな偶然で、明日になったらまた、俺と研磨は離れ離れだ。
 ずっと抱き締めて、たまに思い出したようにキスをして、毎日こんな日々が続いたら良いのに。研磨は俺に体を預けたまま、心地良さそうに目を細めている。細い髪の毛が首筋に当たってくすぐったい。

「ずっとこのままがいいなぁ」
「もう電車、なくなっちゃうけど」
「あーうん、帰りたくねぇなぁ」

 それでも、明日は朝からバイトのシフトが入っている。朝いちばんの電車で帰ってもきっと間に合わないだろう。
 最後にもう一度キスをした。名残惜しそうに離れた唇と、痛いくらい力の入ってしまう腕。こんな時なのに、俺はやっぱり研磨が好きなんだなと再確認した。こんな時だからこそ、だろうか。もう一生会えない訳ではないのに、もう一生会えないような気持ちになる。相当女々しいな、俺。

「あー……じゃあな、研磨。 風邪引くなよ」
「引かないよ。 あと、じゃあなじゃなくて、またね」
「え?」
「クロはまた、ここに帰って来るんだから。だから、またね」

 触れるのはさっきので最後にしようと思っていた。戻りたくなくなるから。それなのに、こいつは。これで本当に最後だと思いながら抱き締めたら、研磨が小さく「好きだよ」と言って、俺はまた戻りたくなくなる。ずるいんだ、こいつは策士なんだ。それが無自覚だとしても。


 研磨の家を出て、駅までの道をポケットに手を突っ込みながら歩く。研磨に貰った熱が冷めてしまわないように背中を丸めて、口元をマフラーに隠して。今度ここに帰ってこられるのはいつになるだろう。とりあえず、向こうに着いたらすぐに電話をしよう。久しぶりって言えば、きっと研磨はさっき会ったばっかだよって呆れた声で笑うんだ。

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タイトルは秋桜

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