小説 | ナノ

胸いっぱいに、きみの匂い

大学生設定

 ふたつめの缶ビールを喉を鳴らして飲み干した岩ちゃんは、黒いスマートフォンから目を離さないまま少し酒臭い口を開いた。俺は、おつまみの枝豆を齧りながら岩ちゃんの声に耳を傾ける。

「俺が中学の頃付き合ってた女子のこと覚えてるか?」
「えーっと、アユミちゃん……だっけ? 胸が小さい子だよね」
「まゆみ、な。胸が小さいのは否定しねぇ」
「そうそう、マユミちゃん。その子がどうかした?」
「んー、結婚したんだと」

 なんでもない顔で、岩ちゃんはゆっくりとみっつめのプルタブに手をかけた。俺はそれを横目に枝豆を持つ手に力を入れる。「へぇ、そうなんだ」と、他人事のように相槌を打ちながら鮮やかな黄緑色を口に放った。

「それはめでたいね。オメデトウゴザイマスって伝えといて」
「まるで他人事だな」
「だって俺とマユミちゃんは赤の他人ですし〜!」

 それに、俺はたぶんマユミちゃんに嫌われていただろう。だって岩ちゃん、マユミちゃんより俺の方を優先するんだもん。優先順位が部活に負けるならまだしも、男の幼馴染に負けるなんて。ここだけの話、俺はそれが少し嬉しかったりもしたんだけれど。
 岩ちゃんと結構お似合いだと思っていたけど、やっぱり俺のせいで二人は上手くいかなかったのだろうか。背が低くて可愛いくて、誰にでも優しそうなマユミちゃんはきっと、俺の事はあまり良く思ってなかったのだろうなぁ。彼女は今はもう別の人と幸せになっているわけだし、いまさら思う事も特にないけどね。

「それより岩ちゃん、結婚式用のスーツ買いに行った方がいいんじゃない? ネクタイはオシャレ番長の俺が選んであげるよ!」
「なにがオシャレ番長だよ。スーツは必要ないな。結婚式は行かないし」
「えぇっ! なんで?! お土産楽しみにしてたのに〜……」

 よっつめの缶ビールを岩ちゃんから没収して、ひとくち飲んだ。ビールを飲みながら、枝豆をつまみながら、こういう話をしていると自分たちも大人になったのだと改めて実感する。昔、小さい頃になんとなく聞き流していた両親の会話は、きっとこんな内容だったのだろう。もちろん、良い話ばかりではなかったのだろうけど。

「付き合ってたのは短い間だったけど、昔の男が結婚式に行くのはおかしいだろ」
「そうかなぁ」
「そういうもんなの」
「ふふ、なんか、かっこいいね」

 岩ちゃんのこういう所がかっこいいんだ。男前で、俺にはとても真似できない。だって、元カノの結婚式でも、俺なら絶対に喜んで参加してしまう。
 もうひとくちビールを飲んで、枝豆に手を伸ばすと、岩ちゃんが最後のひとつを口に放っていた。

「うそ、前言撤回! 枝豆食べちゃう岩ちゃんはかっこよくないよ!」

 没収した缶を飲み干して、岩ちゃんのブーイングを聞き流しながら、枝豆に代わるつまみを探しにキッチンへと向かった。




「マユミちゃん、幸せになればいいね」
「大丈夫だろ。旦那もしっかりしてる人らしいし」

 その日寝室で、一緒のベッドに入って眠る間際、「岩ちゃんも幸せになりたい?」なんて、聞けなかった。その代わりに、もう半分夢の中な岩ちゃんの頬にキスをした。

「でもさ岩ちゃん、俺、マユミちゃんより幸せ者だよ」
「当たり前だろ。俺と毎晩同じベッドで寝てる奴が、不幸せな訳がない」
「えー、なにそれ」
「俺も幸せ者だよ。だからもう寝ろ」

 前髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた後、おでこにおやすみのキスをくれた岩ちゃんはすぐに寝息をたてはじめた。
 ベッドサイドのテーブルに手を伸ばし、銀色の輪に触れた。いつも左の薬指で輝くそれは、毎晩俺に幸せな夢を見せてくれる。

 ゆっくり目を閉じて、心の中でおやすみなさいを呟いた。いつか聞いた、「幸せな夢を見せるのが指輪なら、その夢を叶えるのは俺の仕事だな」なんて照れくさそうに言った岩ちゃんの言葉を思い出しながら。

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タイトルはache

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