小説 | ナノ

愛の淵で静かに微睡む

生存院


 もしかして僕は欲張りになってしまったのだろうか。靴を履きながら、ふとそう思った。片方の耳をそっと撫でれば、いつもそこにあるはずのピアスが無い。

「花京院、忘れ物だぜ」

 ちょうど玄関の扉に手をかけた時、うしろから声をかけられた。知ってるよ、わざと置いてきたんだ。少しでも君と長く話していたくてね。
 なんて、そんな事を口に出せるはずもなくて。僕はわざとらしく片方の耳を触って、そこにピアスが無いのを確かめるふりをした。

「本当だ。ありがとう承太郎」

 自分で仕掛けた罠なのに、承太郎が追いかけてこなかったらどうしようかと思っていた。その反面、承太郎なら絶対に追いかけてくるだろうとも確信していた。
 部屋を出る時、わざとピアスを置いてきたのだ。承太郎に気付かれないよう罠を仕掛けるのは簡単だった。ただ、少しだけ長く一緒に居たかったから、帰り際引き止めてほしかったから、だからやった。こんな遠回しな方法でしか気持ちを表現できない自分がひどく女々しく、恥ずかしいように感じた。今すぐここから逃げ出してしまいたい気持ちになったので、もう一度ありがとうと承太郎に言って玄関を出る。
 僕はシンデレラにでもなった気でいたのだろうか。シンデレラは純粋で美しく、欲張りで女々しい僕とは正反対だというのに。




 湧き上がってきた羞恥心を隠すように、ピアスを受け取った後はそのまま帰ろうとしたのに。なぜ僕は今、空条家の食卓に食器を並べているのだろうか。

「典明ちゃん、スプーンも運んでくれる?」
「あ、はい。分かりました」

 忙しく台所と居間を行ったり来たりするホリィさんに続いて、ぼくも同じように食器を手に台所と居間を往復する。こんな広い家なのに、どこに何があるか僕には分かるんだ。カレー皿の場所は初めて知ったけど、空条家の人間以外で知ってるのは僕だけかもしれない。それがちょと、かなり嬉しい。
 承太郎はというと、縁側に座ってぼんやりと夕焼けを眺めている。

 あの後、玄関を出て少し歩いた所でホリィさんに会った。ホリィさんは、歳はいくつかは知らないが、僕の母親とは比べものにならないくらい美しく、とても若く見える。少し子供っぽくて明るい性格もあいまってか、とても一児の母(それも反抗期真っ只中のような不良高校生の息子を持つ母親)には見えない。正直、かなり僕の好みの女性だ。流石に恋人の母親に手を出したりはしないけれど。
そんなホリィさんにいつもの太陽のような笑顔で夕飯に誘われたら誰も断れないだろう。 だから、ぼくがここに居るのは承太郎と長く居たいからではなく、ただホリィさんに夕飯に呼ばれたからだ。

 巣に帰るカラスを見送りながら、承太郎は大きなあくびをひとつ。少しは手伝ったらどうだ?と怒ってやろうと思ったのに、オレンジ色に輝く承太郎の横顔を見たら何も言えなくなってしまうから、男前はずるいと思う。


 食卓を三人で囲み、いただきますと声を揃えて食べ始める。あの不良の空条承太郎が両手を揃えていただきますと言うのがなんだか少し面白い。それに、こんな小さな所だけれど育ちの良さが伺えた。本当はこいつもホリィさんに似て優しいやつなんだ。

 夕飯はいつも一人でとる事が多かったため、ホリィさんが他愛もない話を振ってくれるのが嬉しかった。
 ホリィさんの作る料理はとても美味しくて、もっと色々な料理を食べてみたい。それに、こんなありふれた料理、特に今食べてるカレーライスなんて誰が作っても同じだと思っていた。でも、このカレーライスは今まで食べた中でいちばん美味しい。ホリィさんが作ったからか、それともこの二人と一緒に食べているからかは分からないが。

「どう、典明ちゃん? 私の料理は口に合ったかしら?」
「はい、とても美味しいです。おかわりを頂けますか?」
「本当? 嬉しいわ! ご飯もルーも沢山あるからいっぱい食べてちょうだい!」

 ホリィさんは、僕の差し出した皿を受け取りながら「承太郎はいつもなにも言ってくれないのよ。昔はあんなに素直だったのに」と頬を膨らました。隣の承太郎をこっそり肘でつつくと、「おかわり」と言って皿を差し出した。全く、素直じゃない奴だ。でも、ホリィさんはそれでも嬉しいようで、笑顔で皿を受け取る。
 僕にも優しい母や尊敬している父がいるけれど、今日だけはこの家の子供になりたいと思った。けど、もうこんな時間だ。両親はきっと今日も遅い帰宅になるだろうが、あまり長居しても承太郎とホリィさんに迷惑だろう。

「すみません。もう遅いので、僕はそろそろ帰ります。カレーとても美味しかったです、ご馳走様でした」
「まぁ、もうこんな時間だったの? 男の子とはいえ夜遅くに外を出歩くのは危ないわ。今日は泊まっていって典明ちゃん!」
「え?」




「承太郎、お風呂ありがとう。とても気持ちよかったよ」

 まだ少し濡れている髪の水分をタオルで吸い取って、綺麗に整えられた布団の上へと腰を下ろした。自分の部屋にあるものとは違う柄の掛け布団や枕の形に、少しだけ緊張する。
 ラジオのチャンネルをがちゃがちゃと回していた承太郎は、面白い番組を見つけられなかったのか伸びたアンテナをたたんだ。

「おう。 悪かったな、無理やり泊まる形になっちまって」
「ううん。人の家に泊まるのって初めてだから、少しわくわくしてる」
「そうか」

 すぐ隣には承太郎の布団が敷かれているが、もぞもぞと掛け布団をかぶる所を見るとそういう気分ではないらしい。付き合ってからしばらく経つので、恋人同士がやることは一応やっているが、僕たちはわりと健全な付き合いをしている。
 まだ高校生だし、僕はあまりセックスが好きではないからこの関係が心地良い。決して承太郎に裸を見られるのが恥ずかしいとか、裸で抱き合うのが嫌いな訳ではない。本来子孫を残すための行為を、子孫を残す器官の無い僕らが行う事がとても滑稽に思えるのだ。肌と肌で触れ合って、承太郎の温もりを直接感じられるのは素直に嬉しいけれど。

 それにしても、なんとなくのいたずら心でピアスを忘れた振りをしただけなのに、まさか家に泊まる事になるとは思わなかった。シンデレラだってきっと、ガラスの靴を落としただけで王子と結婚できるなんて思ってもなかっただろう。幸せっていうのはどこに転がっているのか分からないものだな。

「そろそろ電気消すよ?」
「あぁ。おやすみ」
「うん。おやすみ」


 電気を消した承太郎の部屋は、昼間とは違う、別の場所みたいで落ち着かない。眠くない。微かに押入れの懐かしい匂いがする枕に鼻を押し付けても、眠気は一向に襲ってこない。寝返りをうって少しだけ承太郎に近付いてみたけれど、僕の布団と承太郎の布団の距離が縮まる事はなかった。当たり前か。
 なんとなく暗闇に慣れてきた視界で、隣の承太郎がむくりと寝返りをうったのが分かった。多分きっと、こっちを向いている。瞼があいているかどうかまでは見えないけれど。もし起きているのなら眠るまで話し相手になって欲しくて、一生懸命に目を凝らし承太郎の顔を探す。すると、「花京院」と名前を呼ばれて承太郎が起きていた事が分かった。なんだ、話しかけても良かったじゃないか。

「まだ起きてたんだ」
「またピアス、忘れていってもいいぞ」

 相変わらずぼんやりとした暗闇から投げかけられた言葉に、ごくりと唾を飲み込む。承太郎が僕の罠に気付いていた事には驚いた。そして、わざと罠にかかってくれた事にも。

「……気付いてたんだ?」
「まぁな。次はもっと上手くやってみせろ」
「あはは。うん、考えておく」
「面倒な遠回りをしなくたって、いつでも泊りにくればいいし、夕飯も食べていけ。 アマも喜ぶし、俺も別に構わねぇ」

 やっぱり素直じゃないなぁ、なんて思いながら、僕の顔はだらしなく緩んでしまう。「俺も嬉しい」って素直に言ったらどうなんだ。もっとも、一緒にいたいと言えずにピアスを落とす僕が言えた立場じゃあないけれど。

「ありがとう承太郎。お礼に同じ布団に寝てあげようか?」
「馬鹿言え、狭くて眠れんだろう」
「ふふ、冗談だよ。おやすみ」
「おやすみ」

 二度目のおやすみを言い合った後、承太郎の方を向いたまま目を閉じる。やっと睡魔がやってきて、僕に眠ろうと囁いた。
 承太郎はもう寝てしまうのだろうか。どちらにしろ、僕はもう起きていられそうにないよ。明日は早く起きるんだ。まだ眠っている承太郎にいちばんにおはようを言って、キスで起こしてあげよう。だからどうか、次に瞼を開けた時は承太郎がすぐ近くで寝息をたてていますように。おやすみなさい。

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タイトルはache


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