小説 | ナノ

遣る瀬ない憂いを

 ジョルノ・ジョバァーナは人前で涙を見せない。
 涙を流すという事を格好悪いと思っていた訳ではないが、自分の弱さを晒しているようで嫌だった。子供の頃の事はよく思い出せないし、あまり思い出したくもないが、その頃は毎日のように目いっぱいに涙を溜めては唇を強く噛んで体を抱いていたと思う。乾いた唇から流れる血の不味さを頭の隅で覚えているような気がした。

 そんな彼が、一度だけ泣いた事があった。



 昔、ジョルノとブチャラティによく懐いていた小さな女の子が居た。

 二人は仕事のない日や時間が出来た時は決まって街をぶらりと歩く。道行く人と世間話をしては何か変わりは無いかと問い、いつも眩しい笑顔を貰っていた。ブチャラティはジョルノと出会う前からこういった事をしていたようで、街の人々からの信頼が厚く皆に愛されていた。ジョルノもブチャラティと行動を共にするようになってからはよく声を掛けられるようになり、顔見知りも増えた。
 昔から沢山の人と関わるような経験をしてこなかったジョルノは、最初こそ少し躊躇いや困惑の表情を浮かべていたが、すぐにこの賑やかで優しい街に慣れて名前を呼ばれたら笑顔で手を振るようになる。

 少女と出会ったのは、いつもより少し天気の良い日。ジョルノとブチャラティはいつものように二人で街を歩いていた。足の悪い老人の手を取り一緒に横断歩道を渡ったり、子供の飛ばしてしまった風船を捕まえてあげたり。
 果物屋の店主に差し出されたリンゴを苦笑しながら受け取るブチャラティがおかしくて、ジョルノは静かに笑う。店頭に並んだ金色に輝くプリンを見て年相応の顔をしたジョルノを、ブチャラティは優しい瞳で見つめた。二人は恋人同士だったので、街を二人で歩くこの時間がデートのようでとても楽しかった。
 太陽が真上から少し西に傾いた頃、二人が川沿いを歩いていると後ろから小さな足音が聞こえた。振り向くと、白地に小さな花が散りばめられたワンピースを着た少女がにこにこと笑っている。七歳くらいだろうか、風に揺れる左右に垂れたおさげがなんとも可愛らしい。

「どうしたんです、迷子?」

 ジョルノが目線を合わせるように屈んで問いかけるが、少女はにこにことわらったままで何も答えてくれない。どうしたもんかとブチャラティを見やると、任せておけとでも言うように自信に溢れた笑顔を見せた。

「腹は空いていないか?美味しいジェラート屋を知っているんだ。連れてってやるよ」
「ブチャラティ!」

 イタリア男はこんな小さな子供まで口説くのかと、ジョルノは呆れた顔をする。それに、この子がもし本当に迷子だったらきっと親は心底心配して探し回っているだろう。それを僕らが連れ回していたら親に会えるものも会えなくなるかもしれないし、会えたとしても僕らが誘拐したんじゃあと疑われてしまうかもしれない。
 ジョルノの言いたい事を察したのか、ブチャラティは少女の小さな手を握って「大丈夫さ」と呑気に言う。

「この子はきっと迷子じゃあないだろう。迷子なら泣いたり、不安そうな顔をする筈だろ?」
「でも……」
「それに、女性は甘いモンが大好きなんだぜ」

 なあ?と少女に問うと、今度は元気にうん!と首を縦に振った。その声は鈴の音のように綺麗で透き通っていて、とても可愛らしい音だった。
 本人もこう言っている事だし、本当に迷子ではないようだ。家はこの近くなのだろうか、まだ陽は高いから少しくらいはいいか……
 ジョルノが難しい顔をしていると、左手を何か温かいものが包んだ。目線をそちらにやると、それは少女の右手だった。 ブチャラティとジョルノの間で何のフレーバーを食べようかと思考を巡らせているのだろうか、少女はきらきらと楽しそうに瞳を輝かせている。

「さて、行くか。甘いモンが好きなのは女性だけじゃあないからな。なあジョルノ?」

 ブチャラティがジョルノを見てからかうように笑う。ブチャラティの笑った顔は好きだが、今の顔は馬鹿にされたようで少し頭にきた。むっとした顔をしたジョルノは、「今日は甘いチョコレートのフレーバーじゃあなくて、少しビターなコーヒー味を食べよう」と頭の中で考えたが、それでも結局はチョコレート味を頼んでしまうのだ。
 ジョルノはブチャラティの前では普段のように大人っぽく冷静に振る舞えない。どれだけ背伸びをしても、頭を上から押さえつけられて大きな手のひらで撫で回され、結局そこに落ち着いてしまうのだ。それはとても優しい手で全く嫌な気持ちにはならなかったし、心地良く思えた。きっと、母親の胸に抱かれるとこんな気持ちになるのだろう。自分には縁の無かった話だが。


 公園で貰った風船を片手に、少女は満足気に笑っている。口の端に残っていたジェラートをジョルノがハンカチで拭ってやると、ありがとうと太陽のように笑った。どうして子供はこんな空気を入れたゴム袋ひとつで幸せそうな顔が出来るのだろう。空気が抜けてしまえばただのゴミになってしまうのに。

『ジョルノはもう大人だから風船は要らないよな?』

 さっき公園でブチャラティが言った言葉を思い出す。いつもは子供扱いするくせに、今日はこの子が居るからかそういった扱いは受けていない。別に風船が欲しかった訳ではないが、ブチャラティが少女に付きっきりで自分に構ってくれないのがジョルノは面白くなかった。こんな事を言ったらこんな小さな子供に嫉妬しているみたいで、そんなのプライドが許さなかったから口には出さない。でも、顔には結構出てるかもしれない。もしかしてブチャラティは僕の気持ちに気付いているのにあえてそうしているのではないか。この人は少し意地悪な所があるから、一概に無いとは言い切れない。
 仕返しとして家に帰ったら美味しい紅茶を淹れてもらって、とびっきり甘えてやろうか。確か今晩は書類の仕事を片付けると言っていたから、それを邪魔してやるんだ。
 そんな事を考えながら、ジョルノは左手から伝わってくる少女の温もりを握り直した。

 ジョルノと少女が並んで歩く後ろ姿を見て、ブチャラティは彼女が自分たちの子供だったらどんなに楽しかっただろうと心の中で小さく思う。ブチャラティとジョルノの間に子供が出来ることは一生ない。そんな事は分かっているし、ジョルノが隣に居てくれるならブチャラティはそれで満足だったが、少しだけ、ほんの少しだけ少女がこのまま家に帰らず二人のアパートに住んでくれたらと考えてしまった。
 馬鹿な考えだと頭を振る。もう空はオレンジ色だ。そろそろこの子を家に帰さなくてはと思い周りを見渡すと、少女の姿がどこにも見当たらない。

「彼女は?」
「帰りましたよ。家がすぐ近くだからって」

 ほら、とジョルノが指差した方向には確かに遠くで白いワンピースが揺れて見えた。結局名前を聞けなかったが、この近くに住んでいるのならまた会えるだろう。そう思い、ずっと少女と繋いでいた手をジョルノの手に伸ばして二人のアパートへの道を進んだ。

「今日は悪かったな」
「何がです?」
「あの子に付きっきりだったろ? お前に寂しい思いをさせてしまったと思ってな」
「そう思うんなら今夜はあんたが紅茶を淹れて下さい。僕、アップルティーが飲みたいです」

 俺がリンゴが嫌いな事を知っているくせにこういう事を言う。自分が飲むわけじゃあなくても、あの湯気と一緒に鼻先をくすぐる匂いだって苦手なのに。ジョルノの小さな嫌がらせは効果抜群で、ブチャラティはあからさまに嫌そうな顔を浮かべた。
 それにしても、こいつもやっぱりまだまだ子供だな、可愛いやつだ。ジョルノは勝ち誇ったような顔をしている。可愛いだとか子供っぽいだと言えば本人は拗ねてしまうからあまり口には出さないが、普段大人びたジョルノが俺だけに見せる子供っぽい顔が俺は大好きなんだぜ。
 なんと言い返そうか言葉に詰まっていたら、そうだ、とジョルノがこちらを向いた。

「あの女の子、ジェラートと風船ありがとうって言ってましたよ。とても美味しかったし楽しかった。またね、って。 それに、僕も今日は楽しかったです。いつもブチャラティと二人きりだと、流石に飽きちゃいますもんね」
「お前なあ……」
「ふふ、冗談ですよブチャラティ。だから怒らないで」

 ね?と小さく首を傾げるジョルノにブチャラティは何も言えなくなる。こうやって都合の良い時にだけ自分の容姿を武器にしやがって、くそ。くすくすと笑うジョルノが早く帰ろうと繋がっている手を引っ張る。
 帰ったらアップルティーを淹れなければいけないと思うと少し憂鬱な気分になるが、ジョルノの為なら何だってするさと開き直った。戸棚に入れておいたクッキーもお茶請けに出してやろう。甘党なジョルノの為に先日こっそり買っていた、砂糖のたっぷりかかったやつだ。クッキーを頬張るジョルノに俺が気の利く恋人で良かったなと冗談めかして言ってやれば、きっと笑ってそうですねと返してくれるだろう。


 それからというもの、二人が街に出ると少女は毎回一緒に行動するようになった。名前はいくら訪ねても教えてくれなかったが、子供が簡単に自分の名前を明かすのも少し危険な気がするので特に気にしなかった。
 名前なんて無くても三人で過ごす時間はとても充実していて、ブチャラティは少女が自分たちの子供だったらと考えては何度も頭を振った。
 ブチャラティにとってもジョルノにとっても、ただの子供なんて簡単な言葉では表せないくらい少女が特別な存在になる。


 暑い夏の日だった。ずらりと並ぶ店先の石畳みにどれだけ打ち水をしてもあっという間に乾いてしまうくらい、暑い夏だった。二人が少女が亡くなった事を知らされたのは。
 交通事故で、即死だったらしい。歩道を歩いていた少女に道を逸れた花屋のトラックが突っ込んだ。ただ、それだけ。たった数秒で少女の命は、トラックの荷台に積んであった花の花弁と一緒に散ってしまったのだ。

 最初にこれを知ったのはブチャラティだった。行きつけのピザ屋に立ち寄った際、店主の女性からふいに話題を振られたのだ。
「ブチャラティとジョルノとよく一緒に居た女の子、亡くなったそうね。可哀想に」
 高い所から落とされたような衝撃が体に走った。急に寒くなって、気持ちの悪い汗が背中を流れる。心臓が爆発してしまうのではないかというくらい早く動くものだから、そちらにばかり気がいってしまい頭が冷静に情報を処理出来無い。
 どうやって家まで帰ったのかは覚えていないが、気付いたらジョルノが目の前で言葉を失っていた。

 はじめはブチャラティが何を言っているのかジョルノは理解出来なかった。ドアが壊れそうな勢いでブチャラティが帰って来たかと思えば、行動とは真逆のやけに落ち着いた口調で伝えられたのは少女の死。
 視界がちかちかする。大きく見開いた目が渇いて痛むけれど、瞼を閉じる事が出来ず、まるで瞬きの仕方を忘れてしまったようだ。息をする事も出来なくて、ブチャラティに何度も名前を呼ばれている事に気付いたと同時に咳き込んでしまった。

 二人向かい合って突っ立ったままどれくらいの時間が流れたのだろう。無言の漂う空気に気まずさを感じていたわけでも、相手にかける言葉を探していた訳でもない。少女の死を受け入れられなかったのだ。
 ブチャラティがはっと我に返った頃には、部屋にはいつの間にか夜が立ち込めていて、窓から月明かりが差していた。

「お茶でも入れよう。アップルティーで良いか?」
「は、い……」

 口内がからからで上手く喋れなかったジョルノはぎこちない返事を返す。キッチンへ行ったブチャラティの背中を見送った後、自分も動かなければとカーテンを閉めて郵便受けへと歩いた。
 夕刊を片手にジョルノがリビングに行くと、丁度ブチャラティがティーカップにアップルティーを注いでいる所だった。今のブチャラティは鼻先をくすぐる苦手なリンゴの匂いに何も感じない。きっと、勧められたらこのティーカップに口を付ける事だって出来ただろう。


 次の日の朝、ブチャラティは空腹感に目を覚ました。夕飯を食べずに眠ったせいか、昨日の出来事のせいか、目覚めの気分は最悪だ。隣のジョルノに声をかけてから寝室を出た。
 キッチンで簡単に朝食を作る。丁度コーヒーを二人分淹れ終わった時にジョルノはキッチンへと入ってきた。酷い顔だ。きっと自分も同じような顔をしているのだと思うと、今日が休日で本当に良かったと思う。

「ジョルノ、コーヒー飲むだろ? おかわりもあるぜ」
「はい、ありがとうございます」

 ジョルノはコーヒーを一口啜った後、昨日の夕刊を開く。上から順番に目を通していき、左下に載っていた数行で簡単に纏められた記事を読んであまりの呆気なさに吐き気を催した。一人の少女がトラックに撥ねられて死亡した事を伝える記事だった。

「本当、なんですね」
「あぁ、そうだな」

 なんでもないような振りをしてトーストを齧るブチャラティの目の下にはくっきりと隈が浮かんでいて、せっかくの男前が台無しだ。

「人が死ぬっていう事は、こんなに辛いものなんですね」
「あぁ、そうだな…… 父が亡くなった時を思い出したよ。何度経験しても慣れないな」

 仕事柄、人の命を奪った事は何度もある。だが相手は死んで当たり前の悪人ばかりで、今まで後悔なんてしたことが無かった。そんな悪人にも家族や大切に思ってくれる人が居たのだろうかと考えると、ジョルノは自分のやってきた事が本当に正しかったのかと頭を抱えたい気持ちになる。

「ジョルノ、何を考えている? お前がやってきた事は正しい。後悔する必要も、自分を責める必要もない」
「えぇ……分かってます。相手はいつも麻薬を流す人間や、無関係の一般人まで手にかける人殺しで、悪い人達ばかりだった。 でもブチャラティ、そんなの言い訳じゃないですか? 僕らが人を殺してきた事に変わりはないんだ」
「ジョルノ、」
「あの子の命も、僕らが奪ってきた命もッ!結局は同じ命じゃあないですか!!」
「ジョルノ!」

 いつも冷静なブチャラティが声を荒らげる事は滅多にない。はじめて見るブチャラティの悲痛に歪んだ表情。その悲しそうな瞳に写る自分を見て、ジョルノは自分が泣いている事に気付いた。少女を悼む涙か、今まで殺してきた人たちを思っての涙か。その、どちらもか。
 少し冷静になったジョルノは、自分の言葉がブチャラティにあんな顔をさせてしまったのかと思い、深く後悔した。

「すいません、ブチャラティ。さっきの僕はどうかしていた……」
「いいんだジョルノ。混乱してるんだよ、仕方のない事だ。それに、その気持ちは大切だと俺は思う」
「ブチャラティ…… 僕、彼女の事を本当に大切に思っていました。まるで妹が出来たようだったし、子供が……僕とブチャラティの間に、子供が出来たような気持ちでした。 男同士なのに、おかしな話だけど」
「そうか…… 俺もな、お前と同じだったよ、ジョルノ。あの子が俺たちの子供だったらどんなに幸せだろうと、そんな事ばかり考えていた。お前と彼女が並んで歩いているのを後ろから見るのが大好きだったんだ。まるで父親になったような気分だったよ」

 そんなブチャラティの言葉に、ジョルノの涙は止まるどころかますます溢れてくる。終いには小さな子供のように声を上げて、泣きじゃくった。ブチャラティはぐっと唇を噛んでジョルノの顔を胸に押し付ける。頬には熱い涙が零れていた。
 酷く、悲しい朝だった。

「ブチャラティ、ブチャラティ……ッ」
「あぁ、ジョルノーーー」



 ジョルノの記憶はそこで途切れていた。声を上げて泣く僕を抱き締めて、ブチャラティは確かに名前を呼んだ。でも、その次に続く言葉がどうしても思い出せない。もうずっと昔の記憶だから覚えていないのも無理はないだろう。でもどうしてか、あの時ブチャラティが言った言葉は大切な言葉だったと思う。
ジョルノ、と悲しそうな、でも力強い声で名前を呼んだ次の言葉だ。
 それは、「泣くな」だったような気もするし、「泣いていい」だったような気もする。 ジョルノの人生にとって、とても大切な言葉だった。

「ブチャラティ、あんたあの時なんて言ったんだ?もう何年も考えているけれど、どうしても思い出せないんだ。 枕元に立ってでも良い、幽霊でも良いんだ。どうかもう一度、僕にあの言葉を言ってはくれないだろうか」


 ジョルノ・ジョバァーナは人前で涙を見せない。ブチャラティの言葉を思い出すまで、きっと、ずっと。

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タイトルは魔女

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