ミストレの部屋から派手な音と怒鳴り声が聞こえた。

またか……と思いながら、俺は部屋の扉をノックする。

「なんだエスカバか。何か用?」

ほどなく扉が開いて、中から笑顔のミストレがそう言う。

「音がウルサい」

「ああ、それは悪かったね」

そう言うとミストレは部屋の中に戻って、床に転がる女の手を引っ張った。

「エスカバがウルサいって言ってるからさ、部屋から出てよ」

無理やり起こされた女はヨロヨロと立ち上がって、俺の横を通って部屋を出た。

名前は確か名前立ったと思う。

髪も服もボロボロの名前だったが、唯一顔だけは傷一つ無く綺麗だった。

「ごめんねエスカバ」

名前の後ろ姿を見ていた俺は、声をかけられてミストレに視線を戻す。

ミストレは相変わらず笑顔で、何を考えているのかわからない。

まあ、コイツに言わせれば俺の方こそ分からないらしいけど。

「今度からはもう少し静かにするからさ」

そう言って笑うミストレに適当に返事をして、俺はその場を離れた。

なんとなく名前が気になる。

そう、なんとなくだ。

ミストレの部屋からはミストレの声しか聞こえなかった。

部屋を出るときも無表情で、追い出したミストレにも、それから俺にも興味を示しているようには見えなかった。

ミストレは寄ってきた女の相手をすることはあっても寄ってこない女の相手をすることはない。

名前はミストレにも興味が無さそうだったのに、何故ミストレの部屋にいたのだろうか?

見失った名前を人のいない手洗い場で見つけた。

バシャバシャと水を出しながら名前が顔を洗っていた。

人の気配がしたからか、名前が顔を上げる。

「何か用ですか、エスカ・バメル?」

そうして本当に俺を見ているのかどうかわからない目で、名前はそう言った。

「お前はなんで大人しくミストレに殴られるんだ」

そんな名前に、俺はそう問いかける。

まともな答えは期待していなかった。

「好きだからです」

だから、そんな風に言った名前に、俺はとても驚いたのだ。

「……好き?」

驚く俺に、名前は頷く。

「ええ、いけませんか?」

そうして傷のない顔で優しく微笑んだ。

死んだ目のままで。

急に吐き気がこみ上げてきた。

意味の分からない恐怖が俺を襲う。

好き?この感情のない女がミストレのことを?そんなはずがない。そんなことがあって良いはずがない。何故なら俺は……

「っ!?」

気が付いたら名前を殴っていた。

床に倒れた名前が俺を見上げる。

訳の分からない悲鳴のような言葉が俺の耳に届いた。

それが自分の口から発せられたものだと気が付いたのは数秒ほど経ってからだった。

なおも殴りかかろうとした俺の拳を名前はよけた。

「何のつもりですか、バメル?」

そう尋ねた名前に俺は答える術を持たない。

ただ、あえて何か言うのならば……。

「俺は……お前を好きになったんだと思う」

だから名前の身体に跡を付けたかったのだと。

「私はミストレーネの物です」

だけど名前は戸惑うことなく俺を切って捨てた。

「違う人を見つけてください」

それはそれは綺麗な笑顔だった。

好きではいけませんか?




いいえ。
想うだけならあなたの自由です。