仲間


みんなが寝静まった頃。
寝付けそうにない零は一人、屋根の上へと登り夜空を見つめていた。

初めての事ばかりで、脳が活性化しているのだと思う。

今まで幽閉していたはずの父は既に他界していると聞き、相澤という保護者代理の人と出会い、相澤はとても優しく包み込むような温かい存在で、そんな彼が受け持つ1-Aというこの雄英高校の生徒たちも、すんなり自分を受けいれてくれた。

どういう訳か記憶を失い、幼い姿となってしまったとはいえ、正直自分に今ある真新しい父との残酷な記憶が、嘘のようだった。

本来の私はこんな場所で生活しているのであれば、きっと多くの幸せを感じていただろう…と他人事のように悟りつつ、同時に今の自分が何なのかという考えに、胸が締め付けられた。

そんな中、突然背後から人の気配を感じ、警戒心をむき出しにして慌ててふりかえった。

『あ……』

こちらをじとりと睨みつけるような視線、逆立った髪。いかにも気性が荒そうな表情をしている爆豪の姿が、そこにはあった。

「……てめぇ、こんな時間にこんなとこで何してやがる。」

消灯時間だと言って共用スペースから解散していったはずの彼は、案の定不機嫌極まりない声でそう尋ねてきた。

ひしひしと伝わってくる威圧感に、思わず身を縮こませる。
それを見た彼は、口を尖らせたまま歩み寄り、ドカりと隣に腰を下ろした。

『えっ…』

彼の行動がまるで読めない。
共用スペースでみんなといる時もそうだった。
皆が気を使っていろんな話をしてくれる中、この人はただ自分が皆と話している光景をじっと見つめているだけで、口を挟むこともなかった。

ただその眼差しは軽蔑するものでもなく、ただ観察しているだけのようにも感じとれた。

爆豪勝己という男は、一体本来の自分にとってどんな存在だったのだろう…。

そう考えていると、目線を夜空に向けたまま彼が小さく声を漏らした。

「…お前、考え事とかしてるといつも空見るんだな。なんか意味あんのか。」

先程の荒々しい口調とは裏腹に、酷く優しい声をしていたような気がして、少しだけ驚いて目を見開ける。

そして数秒遅れながらも、それに答えた。

『本来の私がどう思っているのかわからないけど…今の私にとって、空が見られるのはとても新鮮で…その、綺麗だから。』

ずっと地下の暗闇の中で過ごしてきた自分にとって、本や勉学で知る“空”という存在は、しっかりこの目で眺めてきたことは無かった。
だからこうして自由の身になった今、部屋にいるのが何となく勿体ないような気にもなりつつ、考え事をするなら星空を見上げながらにしようと思いこの場所に来たのだ。

彼はその答えに、「ふぅん…」と興味がなさそうに呟いた。
それでも隣から立ち上がろうとはせず、ただ同じようにじっと空を眺めていた。

不思議だ。
こうして沈黙が続いても、どことなく居心地がいい。
そして彼が、実は優しくて芯が強い人のような気さえもした。

『あ、あの、爆豪さん……』

「…あァ?」

『本当の私は……爆豪さんにとって、どんな人なんですか?』

「……」

他のみんなには聞けなかった事だった。
1-Aの生徒たちのそれぞれの記憶の中にある自分と重ねて見ているようで、そう悟られないように配慮する様子は、何となくだが伝わってきたからだ。

別にみんなが悪いわけじゃない。
ただ、無事に戻ってきてくれたと喜ぶ反面、変わり果ててしまった姿を見て複雑な感情を抱いているだけなのだろう。
しかしそれを察したが故に、皆が本当に帰りを望んでいたのは、自分ではなく“本来の零”だということに、複雑な感情を抱いてしまった。

誰かに帰りを待ってもらえるような存在になっていた自分がどんな人間だったのか知りたい。

ハッキリ物事を言う彼だからこそ、それに応えてくれるような気がした。

そんな思いが募った質問に、彼はまたしても荒々しい口調で答えた。

「そうだな…俺からすりゃ、人の顔色をうかがって物を話す、表情をよく取り繕う。自分のことはあまり話さねぇ。一人で何でも抱えがちで、やたら強がる……クソめんどくせぇ女だ。」

『…』

もはや返す言葉が見つからなかった。
それを聞いている限りでは、今とさして成長している様子が見られない。
逆にそこまでハッキリ言われてしまえば、尚更なぜこんな自分を受け入れてくれている人がいるのか、不思議で仕方なかった。

しかしそんな事を感じた矢先、彼の続いた言葉に衝撃を受けた。

「ただ…誰よりも痛みを知っていて、自分自身に厳しく、他人に優しい。そして有無を言わせない強さと、強い志を持ってる。」

『……っ、』

「その強さだけは認めてんだよ。不器用なりに一生懸命だかんな。……まぁ、くっそムカつくけどなッ!!」

『そう、ですか…』

「っつうか、仮にもてめぇは今ガキなんだから、ガキの癖にそんな難しい事考えてんじゃねぇよ!いちいち人の顔色もうかがうな!ムカつくわッ!」

『ひゃっ……!』

突然なぜかヒートアップしていく彼に、思わず情けない声が漏れる。
しかし彼は更に追い詰めるように、強い口調で続けた。

「大人のてめぇがどーだろうが、今はてめぇ自身だろうが!変に背負う必要ねぇんだよ!バカかッ!」

『ごっ、ごめんなさいっ…!』

咄嗟に謝罪の言葉が出るも、彼の零した言葉の意味を理解してハッと顔を上げた。

言い方はともかく、かなり優しい言葉を言われた気がする。
何より、自分の事を思って怒ってくれているのは、分かりにくいが伝わってきた。

『そう、ですね……、爆豪さんの言う通りです。』

胸の中にストンと落ちた彼の言葉は、とても温かみがあった。
爆豪はフン、と鼻で息を吐き出し、腕を組んで目を背けた。

「とりあえずその“爆豪さんは”はやめろ。気持ちわりぃ。」

『えっ?!で、でも……』

「るせぇッ!いちいち調子狂うんだよッ!」

『じゃ、じゃあ私がなんて呼んでたのか、教えてくれませんか?』

恐る恐る尋ねると、彼は言葉にならない様子を浮かべ、その場から勢いよく立ち上がった。

「言うか、クソッ!」

『えぇっ?!じゃあやっぱり爆豪さんで……』

「はぁ?!マジでやめろ!なんか逆にバカにされてる感じでムカつくわッ!」

『……』

彼は理不尽にもそう吐き捨てて、くるりと踵を返して背を向けた。
気を荒立ててしまった彼にどうしようかと悩んでいると、歩み始めた足をピタリととめ、僅かに顔をこちらへと向けた。

「とりあえず部屋入れや。ここにいてもし敵に襲われても、どうしよもできねぇだろーが。自分の部屋で寝れねぇんなら、俺の部屋に来て筋トレ付き合えや、クソが。」

爆豪の言葉にポカン、と口を開けつつも、再び足を動かし始めた彼を見て、慌ててあとを追うように走り出した。

『ま、待ってください!』

彼のことを親しげに“かっちゃん”と呼んでいたという衝撃の事実を知ったのは、散々筋トレに付き合わされて疲れ果てた翌日の事だった。


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