仲間
緑谷出久は、ようやく寮に戻ってきた零の姿を見ては、目を真ん丸に開けて硬直した。
いや、自分だけじゃない。周囲を見渡せば、共用スペースにいるみんなも同じように、突然突きつけられた現実を受け入れるのに時間がかかっていた。
そんな状況を目の当たりにした本人も、激しく動揺している大人数をみて、スっと相澤の足に隠れてしがみついた。
「…皆の驚く心境は察するが、状況を説明する。…零も、そんな怖がらなくてもコイツらは大丈夫だ。」
相澤はそう言って彼女の頭を優しく撫で、ソファへと向かい腰を下ろした。
彼の口から簡潔に説明を聞いた生徒たちは、しばらくの間開いた口が塞がらない状態に陥った。
しかし、最初にその沈黙を破ったのは彼女を1番に想っている生徒と言ってもいい、轟だった。
「…要は、零をこの姿にした連中を捉えて元に戻すまで、守ればいいんですよね。」
「ま、早い話はそういう事だ。俺もそばにいてやりたいが、今回は警察の方々と協力して、できるだけ早期解決に導きたい。俺が不在の間、零の事を知ってるお前たちに頼みたいんだが。」
「もちろんです!!普段私たちを守ってくれている零さんがピンチの時、私たちが守るのは当然のことですわっ!」
「相澤先生が安心して捜査に専念できるよう、俺たちが守り抜こう!」
「「「オォーッッ!!」」」
クラスの皆の意見が一致し、活気的な声があがる。
幼くなってしまった零がそれを不思議そうに見つめている中、轟が彼女の前に目線を合わせて屈み、優しい声を出した。
「俺は轟焦凍だ。よろしくな、零。」
「私は芦戸三奈ね!」
「俺俺、上鳴電気っていうんだ!よろしく!」
『ええっと……』
突然始まった自己紹介に挙動不審になりながらも、それぞれの顔と名前を覚えようと必死そうな表情を浮かべていた。
相澤はそれを見て安堵の息をこぼし、立ち上がった。
「んじゃ、俺は戻る。零、何かあったらすぐ連絡しろよ。」
『……はい。』
彼女の表情が僅かに俯き、曇っているのが分かる。
どうやら幼くなっても、相澤に気を許しているのは変わらないらしい。
逆に言えばその幼さがあるからこそ、彼への寄りかかる心が露になって見えた。
相澤はそれを見て、歩み出そうとしていた動きを止め、彼女ともう一度向き合うようにしゃがみこんだ。
「心配するな。俺はどこにもいきゃしない。昔も今も、お前が呼んだらすぐかけつけるさ。」
聞いたことのない程優しい声と眼差しにに、生徒たちは思わず言葉を失う。
零はぎゅっと手のひらを握りしめて、噤んでいた口を開き、感情的に声を発した。
『あのっ……!気をつけて下さい。絶対……帰ってきてくださいね。』
「……あぁ。いってくる。」
くしゃり、と笑ったあと小さな頭を撫でて、相澤は再び立ち上がった。
「……みんな、よろしく頼む。」
「「「了解ですッッ!!」」」
生徒全員と零は、そう言って寮を後にする相澤の背中を見送った。
そして再び女子生徒たちが筆頭に、幼くなった零と会話を始める様子を遠目に見ながら、頭の中で彼女が以前告げた言葉を思い出した。
“ あの子…私と同じなんだ。一人で抱えて……絶望に囚われてる。”
死穢八斎會の事件の際、彼女が自分に対して零したものだ。
確かにあの時助けた壊理と彼女が少し似ている部分があるとは思っていたが、幼くなった姿はより似ている気がした。
零のもつ金色の瞳には、恐怖と不安が常に宿っている。
突然記憶をなくして幼くなったという現実を突きつけられたとはいえ、この歳の頃の記憶からそんな様子が露骨に出ているとなると、やはり胸が締め付けられる。
唯一の親族には幽閉され、父が率いる服部家一族に恐れられ、酷い言葉を浴びせられ続けた故の当然の結果ではあるが、そんな彼女自身を目の当たりにしても、そんなふうには思えなかった。
そう思考を凝らしている中、彼女の目線がこちらに向いているのに気がついた。
「どうしたんですか?…じゃないな、どうしたの?」
咄嗟にいつもの敬語が出るも、あまりにも不自然なので言い直すと、彼女はじっと目をそらさぬまま小さく口を開いた。
『……あと、お名前聞いてないのは貴方だけだったので。』
「あぁっ!ごめんごめん!僕の名前は緑谷出久。よろしくね、零さ…零ちゃん。」
未だに話し方に慣れないも、ヘラっと笑って彼女に自己紹介を述べると、零はくるりと顔を反対の方へと向け、確認も含めて1人ずつの名前を言い始めた。
驚くことに、まだ幼いはずの彼女はしっかりと全員の顔と名前を一瞬で覚え、見事正解を遂げた。
そして再び眉を下げては俯いて、震えた声でこう言った。
『…みなさんは本当に、私の個性を知ってても、私のこと怖くないんですか…?』
幼いながらにして賢いが故に、いろいろと思考が生まれてしまうのだろう。
彼女はきっと、昔からこうやって人と接することを恐れていたのだ。
こうして幼児化したことにより、彼女がどういう子供だったか、というのを目の当たりにすれば、今まで自分が見てきた零の言動が、妙に納得のいく気がした。
だからこそ、その質問に返す言葉は決まっていた。
「怖いなんて思ったこと、一度もないよ。むしろ人の心をわかってあげられる、優しい個性だ。僕達は君の個性を知っててもなお、そばに居たいし守りたいも思ってる。だから、不安になる必要なんてないんだよ。」
そう言って、小さくなった彼女の頭を優しく撫でた。
以前相澤に、こんな質問をしたことがあった。
《相澤先生って、零さんの頭よく撫でますよね。癖なんですか?》
《あぁ…まぁ、癖っちゃ癖だな。……アイツ、今まで大人に厳しく当られていた環境のせいで、幼い頃から頭を撫でられたことが一度もなかったそうでな。それを聞いたせいか、普通の子供なら当たり前にされてきた事を、俺がアイツにしてやろうと思ってやり始めたんだ……なんなら本人も、頭を撫でられることに関しては未だに嬉しそうだしな。》
彼の言うとおり、目の前にいる彼女は無表情なりにどことなく嬉しそうな様子が伝わってきて、微かに頬を赤らめていた。
聞いておいてよかった、と心の中で安堵の息を零し、同時に小さくなってしまった彼女を、全力で守り抜くことを決意したのであった。