朧月


ジリジリと体を蝕むような強い陽射しに、蜃気楼が階段上に現れているのが分かる。
周囲に生い茂る木々に止まる蝉の声が、何重にも聞こえてくるせいか、精神的に暑さを実感させられている気さえする。

もっとも今は山を登っている最中であり、普段身を置いている場所よりは幾分か涼しいはずだ。
稀に頬を掠める風が、やけに涼しく感じる。
相澤消太は額に流れる汗を拭きながら、半ば熱さに苛立ちすら覚えつつも長い階段を登りあげた。
ようやくゴールである朱色の栄えた大きな鳥居を前に、深くため息を零した。

これだけ山奥に屋敷を設けるのなら、もう少し交通の便をよくした方がいいんじゃないか。
例えば、ロープウェイをつけるとか。
もしくは、サポートアイテムか何かで乗り物を用意するとか。

「全く…毎度思うが合理性に欠ける。」

そう思うものの、この屋敷の主は人との接触を避けたがる性格で、大層この居場所を気に入っている事も相澤は十分に理解していた。

くだらない事を考えるのはやめ、相澤は目の前に広がる大きな門を前に、ここに来た経緯をもう一度振り返った。



ーーー数日前。

ほぼ完成している雄英高校の寮であるハイツアライアンスを背景に、呼び出した校長は話を始めた。

「相澤先生。実は雄英高校のセキュリティ強化にあたり、一つ個別でお願いしたい事があるんだ。」

「……はぁ。」

どことなく、情けない声が漏れる。
つい昨日までクラス全生徒の自宅を訪問し、全寮制になるための了承を保護者から得るために動き回っていたのだ。おかげで気疲れや移動やらでまだ疲れは取れていない。

ようやく終えたと思えば、次は何をやれって言うんだ。

内心そう呟くも、校長はそんな心境を事を知らない。
いつものように陽気な声で、彼はその具体的な内容を話し始めた。

「先生方はプロヒーローの前に生徒の大切な身を預かる教師でもある。ただ、今回の合宿の件で薄々理解しているとは思うけど、教育と守備を固める両立は極めて難しい。そこで、セキュリティ要員としてプロヒーローの中で警備にあたってくれる人を探すことにしたのさ。」

「……」

嫌な予感がした。
プロヒーローを雄英高校のセキュリティとして要員を探すのであれば、個人的にわざわざ呼び出して話すような内容じゃないだろう。
そうしなければいけない…自分にしかやれない面倒事をやれとでも言うのだろうか。
まだ始まったばかりの説明に、既に表情はげんなりしていた。

「そこで、だ。君が受け持つ1-Aは何かと敵連合との接触が多い。他所のクラスよりも、より強力な護衛ができる人材をつけたいのさ。それを踏まえて考えたんだけれど…君がよく知ってる、“彼女”に頼んでみてくれないかな。」

それが誰を指しているのか、すぐに理解してはぎょっとした。
しかし真っ直ぐにこちらを見つめる校長の目は、とても冗談で発言しているようには見えない。
半ば強制的にでも連れてきて欲しいと言わんばかりの熱い眼差しに、相澤は肩で大きく息をこぼす。

「…お言葉ですが校長。なぜよりによって“アイツ”なんですか。そもそも人との交流をあまり好まない彼女が、高校生活を送る生徒たちを守るための護衛要員として適任とは思えませんが。」

そう。自分のことを棚に上げて言うのも何だが、相澤の知る限り、校長が推薦する“彼女”はコミニュケーション能力が控えめに言っても乏しい。
そして彼女の全てを知っているからこそ、校長の提案には反対だった。

「第一、アイツは今プロヒーローとして動いているでしょう。」

「確かにそうだね。でも君からしたら、手を組むには相性がいいと思うし、何よりヒーローとしての腕は知っての通り本物だ。正直彼女がいてくれるだけで、心強いのは間違いないだろう。」

「それは、分かりますが…」

「それに、彼女にとってもいい機会だと思うんだ。プロヒーローとはいえど、年齢は生徒たちとさほど変わらない。環境上、学校生活がどんなものかも知らないまま大人になってしまったのも、正直僕はいたたまれない。人との関わりを避け続けて、誰も頼らぬまま、誰にも甘えられず生きていって、本当にいいと思うのかい?」

言っていることは分かる。
確かに彼女は、訳あってごく普通の家族というものも、学校という所がどんな場所なのかも知らない。
歩んできた人生が違う。容易に想像もできないくらい、悲惨な日々を過ごしてきた彼女は、人を頼ることを知らないし、校長の言う通り今でもなお心に大きな闇を抱えているのは事実だ。

だが、今まで何かと面倒を見ていたからこそ、急な環境変化に耐えられるかどうかの不安が、相澤にはあった。

「それにね。まだこれは可能性のひとつにすぎないけど…0.1%でも可能性があるのなら、僕は早急に手を打った方がいいと思うんだ。」

「…なんのお話ですか?」

「彼女の“個性”さ。敵連合が力をつけてきた今、仲間を集めているのは間違いない。もしあの有能な個性を味方につけたいと思ったら、どうなるだろうか。」

「…まさか、」

サッと血の気が引いたような気がした。
万が一、強豪な敵が彼女に目をつけたとしたら。
山の中、ひっそりと一人で生活している彼女が襲撃にあえば、誰一人それに気づくことは出来ない。
それ以上に、何らかの形であの個性が敵に回ってしまっては、より厄介な話になる。

「最悪な状況を考えて、彼女自身もよりセキュリティの高いここに置いておいた方が安全だと思うんだよね。どうかな?相澤先生。」

そう尋ねられた時、相澤の心は既に決まっていた。
ぐっと拳を握りしめ、再び校長へと目を合わせる。

「分かりました。なんとか説得して連れてきます。」

そう言えば、校長はありがとう。とにこやかな笑顔を見せた。



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