名前のない関係


手紙を受け取った後、彼女は口をぎゅっと紡いだ。
そしてしばらくするとそれを解き、情けない笑みを浮かべて吐き出した。

『薄情ですね…私の進むべき道を導いてくれた恩師の死を聞いてもなお、心も痛めず涙一つ零れないなんて…。』

「…痛めてるだろ。お前、自分で気づいてないのか。」

『え…?』

「手のひら見てみろ。」

そういうと、彼女は言われるがままに自身の手のひらを前へと運び、じっと見つめた。
大切な人を失った哀しさと、何もできなかったという自分を責めるような感情が、そこに現れていた。
力の限り拳を握りしめていたせいで、爪が入り込み僅かに血を滲ませている。
彼女は自分の体でもあろうに、それを不思議そうに見つめては尋ねてきた。

『ほんとだ…何で分かったんですか。』

「お前は人より感情表現が苦手なだけで、他の奴より倍集中してみていれば分かるよ。それに……感情を殺す意識に集中しすぎたあまり、お前自身が自分に対して疎くなってるだけだ。身体は意外と無意識に動いている。」

『…』

「ついでに言うと、この手紙を読んでもお前はたぶん判断できかねない。…そうだな。俺の見解では、私情に俺を巻き込むのは申し訳ない、というのと、個性の性質を知られてしまった以上、お前の親父さん達のように蔑んだ目で見られるかもしれない、と恐れているからだ。」

『なん…で…』

なんで分かったのか。
そう聞きたげな零を前に、話を続けた。

「この手紙と、お前の様子を絶えず見ていて…話を聞いていればなんとなく分かる。お前は今まで、誰かに頼る事をしてこなかったんじゃない。頼れる・甘えられる環境がなかったから、そのやり方を知らないだけだ。

その結果、自分で何かと抱え込んで、自分で解決しようとするようになった。
親族がいなくなった今でもこの屋敷に留まって生活をしている理由は、不可抗力とはいえ勝手に人の心をのぞき見してしまうようなその個性に引け目を感じていて、自ら人と関わる事を避けているってところだろう。」

はっきりと告げると、彼女は俯いて何も言葉を返してはこなかった。
その反応からするに、どうやらだいたいの推測は的を得ているようだ。
それなら……

「それを踏まえたうえで、ここからが本題だ。」

凛とした声で吐き出せば、彼女の顔は驚いた様子で再びこちらを向いた。

「俺は今後、定期的にここへ来る。お前の個性が暴走した時に止められるように。ヒールハンドの代役として、お前の様子を見に来る。」

『そ、それはさすがに…』

「いいから黙って聞け。言っとくが俺は元々無口な方だし、あの人が手紙に書いたように愛想もよくない。
まぁ…正直放っておいてほしいところではあるが…。
だからお前の個性が俺の心を読んだとしても、俺は別に気にしない。
言い方は悪いが、喋らなくても俺の心境を悟れるのは、正直合理的でありがたい。
…ただ、その個性を時に重く感じるんなら、自分を攻めるほど辛く感じる時があるのなら…
これからは俺がいつでも個性を使って消してやる。だからあんまり気負いするな。」

『…っ、』

「それから何でも一人で抱え込もうとするな。何年かかってでもいい。お前が俺を頼れるように変えてやる。
だから諦めて殻に閉じこもるな。
お前に新しい道を示してくれた人が、また一つ与えてくれた道だ。無駄にするな。」

『…そんな言葉…言われた事、なかった…』

そんな弱々しい言葉と共に、彼女の頬に一滴の涙が伝う。
それを目の当たりにした瞬間、ようやく自分の言葉が彼女の心に届いたのだと悟り、ホッと胸を撫で下ろした。

「…俺が言えた義理じゃないが、お前のその妙に大人びて子供っぽくない無表情な面も、なんとかしてやる。」

『ははっ。…ありがとうございます、イレイザーヘッド…』

「…相澤消太だ。よろしくな。」

改めて自己紹介をすると、彼女は僅かに笑顔を見せて“はい、消太さん。”と名を口にした。
初めてそう呼ばれる事にくすぐったさを感じつつも、不思議なことに嫌な気分にはならなかった。

距離も少し縮まり、ようやくほっとした所で、彼女が眠っている時に発覚した新事実をもうひとつ、彼女に突きつけ始めた。

「あとそれから…お前これ。間違ってんぞ。」

背中に隠しておいた彼女のノートを開き、間違っている箇所を指さして見せる。
彼女はハッとして、恥ずかしいのか微かに頬を赤らめた。

『…ん?!それ、私の勉強ノート!何で消太さんが持ってるんですか?!』

「お前が寝てる間暇だったから見てたんだよ。まぁ13歳のくせにこんなセンター試験みたいな問題解いてりゃ、間違ってる方が普通なんだけどな。」

『ちょっ…返してください!勉強も独学なんですから!見られると恥ずかしいんですけど…!』

勢いよく飛びついて取り返そうとするも、負傷している上に警戒心のない彼女の動きを避ける事なんてわけない。
ひょいっと軽快に交わし、それに再び目を落として話を続けた。

「ついでに学校行けないんなら、俺の分かる範囲で勉強も教えてやる。その代わり、だ。こんな山奥に通うんだ。せめて今後から俺の疲労回復になる布団とか、このクソ急斜面の山を登ってきた際に、美味しい飯と温かい風呂を用意しといてくれると大変助かるんだが。」

『…そんな事でいいのなら。ただ、うちは山からとれる食材ばかりなので、山菜とか猪とかウサギとか…そんな食材しかないけどいいですか?』

「お前…今までどうやって生活してたんだよ…。まぁいい。とにかくこれで交渉成立だ。今日からよろしくな、零。」

『…はいっ!!』

初めて子供らしく、生き生きとした返事を聞いたような気がした。
後になって本人に聞けば、十三年間の中で一番嬉しいと感じた瞬間だったという。


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