名前のない関係


「あぁっくそっ…なんで俺がこんな事するハメになってるんだ…。しかもタイミング悪く雪が降ってくるなんて…山登りするには非合理的すぎる。」

最悪な状況に、思わず独り言を吐き捨てた。


街を離れて数時間後。
晴天に見舞われながら、急斜面の山頂へと繋がる長い長い階段を登っている途中、突然視界が遮られるほどの吹雪と強風に襲われた。

おまけに数時間もあれば山頂へ到着するだろうという考えが浅はかだったようで、昼から登り始めたこの階段も、半分以上登ったところで既に日が沈む時間を回っていた。

明かりもない。吹雪で前はよく見えない。おまけに石階段は積もり始めた雪で、よく滑り足元を悪くしている。

致命的なのは山は気候が荒いというのは知っていたが、ここまで天候がコロコロ変わるのはさすがに想定外で、なんの用意もしていなかったことだ。

引き返したい気持ちでいっぱいになりつつも、ここまで来て諦めるわけにもいかず、がむしゃらに階段を登り続けた。

吹雪に耐えながら先へ進んで数時間後。
ようやくゴールが見えた頃には、横殴りの雪も嫌がらせかのようにピタリと止んでいた。

周囲は真っ白な雪で一面を覆い、雪を乗せた木々は月の光でキラキラと輝いているようにも見え、そんな神秘的な光景を目にした瞬間、不思議と苛立っていた気分は消し飛んだ。

「……はぁ。ようやく着いた。」

階段の先に、木材で作られた古風ある大きな門が見える。
そしてその両サイドには終わりの見えない長い塀がずっと続いており、圧倒的な大きさに思わず息を飲んだ。

「全く、ここまで来て留守なんてオチはやめてれよ。そもそも俺は代理で来てんだ、代理で。」

誰にも聞かれぬ事の無い小言を吐きつつも、衣服の中に閉まっておいたひとつの封筒を手に取った。

その手紙は、つい先日まで何かと面倒を見てくれていた“ある人”から受け継いだもので、何が書かれているのか、どんな奴に渡すのかすらも正直全くわからない。

ただその人が命を落とし、亡くなる前に自分にこれを託した。山のてっぺんに住んでいる孤独なヒーローの卵に渡してくれ、と。

はっきり言って面倒ではあるが、“彼”の頼みをそんな理由で断るほど、自分も薄情ではない。

ようやく乱れていた呼吸も整い、手紙を片手に握りしめたままその大きな門にノックを試みた。

しかし、向こう側からの反応は一切ない。

「……仕方ない。開けてみるか。」

一度出した手紙を再び懐へとしまい、両手に自由を手にしたところで門に手をかけ押してみた。

「ぐっ……!」

重い。重すぎる。
片方だけでも何十キロあるかわからない門を、ギィッと音を立てながらようやく開けた。

そして広がった視界には再び真っ白の雪の絨毯があり、奥に灯りをともす屋敷を見つけた。

「なんつー敷地の広さだ…」

終わりの見えない縁側通路がまるで迷路のように奥へと続いている。
門を見た時に古風ある家だろうと想像はついていたが、まさに歴史博物館の模型を見ているかのような、古びた広い平屋がいくつも連なっている。

圧倒的な広さからするに、何十人といるのだようも悟る反面、こんな山奥の中に籠って生活をしている奴の気が知れない、と心の中で悪態を着いた。

膝まで積もった雪をかき分けながら屋敷へと近づく。
しかし、一向に人の気配どころか声すらも聞こえなかった。

「…」

おかしい。
灯りは点いている事から考えると、誰かはこの敷地内のどこかにいるはずだ。
ただしいて言うのであれば、いくつもの和室が続く中、どの部屋も生活感があるようには思えないようなほど、殺風景な部屋ばかりだ。

「すいませーん…どなたかいらっしゃいませんか?」

さほど大きな声を出したつもりはないが、街中と違って雑音がないせいか、やけに響いて聞こえる。

それでも反応はなし。
仕方なしに縁側にそって歩んでみる。
すると真っ白な雪の上に、赤い斑点が続いているのを目の当たりにし足を止めた。

「…血痕か。まだ新しいな…」

しゃがんで凝視した後、険しい表情で血痕の後をたどった。
その隣には、足跡に加え何かを引き摺ったような跡がくっきりと残っている。
恐らく、足を負傷して引きずりながら歩いたせいでついた跡だ。

ただ手紙を届けにきたつもりが、もしかしたらとんだ事態に巻き込まれてしまったのかもしれない、と少しばかり後悔しつつも警戒して先を行くと、衝撃的な光景を目にして思わず足を止めた。

縁側にもたれるようにして、人が倒れている。遠目から見ても傷が酷いのがわかり、気づけば駆け寄って大声をあげていた。

「おい、大丈夫か?!」

倒れている人物の姿が徐々にはっきりと見え、ハッと息を呑んだ。
自分よりもひと周り以上小柄な体、露わになっている細い腕は酷く華奢で、一目見てそれがまだ幼い“女の子”だというのがわかる。

「…っ、なんて傷だ…」

見れば見るほど、少女の体は悲惨なものだった。
透き通るような白い肌を魅せる顔や腕には無数の切り傷があり、体を仰向けにすると腹部からどっと血が湧き出ていた。
正直言って、こんな幼い体がこの傷で生きているのが不思議な程だった。

「早く手当しないと…おい、しっかりしろ!大丈夫か!?」

体を抱きかかえって再度声をかけるも、その反応はない。

「誰か、誰かいないのか!?」

慌てて屋敷内にいる人を呼ぼうと大声を張るが、やはり先ほど同様、反応してやってくる人は誰一人としていなかった。

状況的にまずい。
この子を病院に運ぼうにも、街へ降りるには積もった雪のことも踏まえると、足元が悪いせいでどう見繕っても半日はかかる。
かといって、この屋敷内のどこに手当できるものがあるのか、どの部屋に体を休められる寝具があるのかなど皆目見当つかない。

だが今は一刻を争う時だ。
四の五の言っている場合ではない。
もしかしたら屋敷を駆け回っていれば、他の住人に会えるかもしれない、と淡い期待を抱いてその場から移動しようと、少女を抱えたまま足に力を入れた。

その時。
ふっと腕に乗っていた重みが消えたかと思えば、何かの風圧が襲い掛かり、頬に痛みが走ったのだった。


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