得て、失って


※※※

治崎に捕らわれてから、毎日決まった時間に個性を一時的に消す薬を打たれ続けていた。

その行為自体に痛みはなかった。しかし個性がない身体に違和感を感じるのか、それとも奴の考えに賛同してしまう部分もある自分の心に絶望し、蝕まれているのか。次第に抵抗する力もなくなり、意識も朦朧としている事が増えていた。
そんな中で決まって考える事は、個性を破壊する(消す)薬。
奴は自分は個性が消える事を望んていると言った。
それについては否定する気はない。
この個性で苦しめられた事の方が多いからだ。
ヒーローとして活動し始めた時も、ずっと疑問を抱いていた。
この個性は本当に人を助けるために効果があるものなのだろうか。自分なんかのような人間が、ヒーローなどと名乗っていいのだろうかとすら考えた。

決して誰もくれない答え。
でも、自分の力を必要として仕事の依頼をしてくれるヒーローや警察の人たちがいる。
少なからず任務さえ成功すれば、ずっと親族に恐れられていたこの個性も、人の役に立てているという証拠が得られる。

だから頑張ってきた。
しかしもしこの個性がなくなるとすれば、皆に容易く触れる事も。これ以上心を痛めるような事もなくなるかもしれない。

ーーいや、違う。
私は個性を消したい。でも今じゃない。
まだ自分は、個性と正面から向き合っていない。
ずっと悲観して逃げてきただけだ。
それを最近向き合おうと決め、雄英高校の1-Aの生徒たちと出会った。

つい最近、個性を知っても傍にいてくれると言ってくれた人がいた。
事の経緯を知っているからこそ、何も言わずに自分を見守ってくれる人達がいるのも、やっと気づけるようになってきたんだ。

こんなところで奴の口車にのって逃げるわけにはいかない!

そう強く意志を持つと、ようやく意識が戻り始めた。


ーーー

「サーッッ!!!」

ナイトアイの名を呼ぶ感情的な声を間近で耳にした。

一度だけ聞いたことのある声だった。

あぁそうだ、先日壊理と接触した緑谷と一緒にいた、学生ヒーローの子の声だ。
朦朧とした意識の中、呑気にもそんなことを考える。
ようやく少しずつ視界が開けていくが、自分の体が誰かの手によって地面に置かれたのと同時に、名を呼ばれている彼が血を流して攻撃を受け止めている光景を目にした。

『なっ…なにが……』

なにが、どうなってる。
気を失ってからどれくらい経っていた?
自問自答するも、その答えは返ってきやしない。

そんな間際に、光の如く駆け抜けてく後ろ姿を目にした。
その背中には酷く見覚えがあり、同時にサッと血の気が引いていくような感覚を覚えた。

『……緑谷く…っ、』

闇雲に治崎のもとへ走ってはだめだ、と止めたくも声が掠れてうまく出ない。
声どころか体中が全身に鉛をつけられているかのように重く、自由が利かない。

とりあえず目線だけでも動かして素早く周囲を確認すると、自分と同じように緑谷の背中を見つめる一人の重傷を負ったヒーローと、彼にしがみついている壊理の姿があった。

そうか、ナイトアイが率いるヒーロー達が彼女の救出に来てくれたのか。

ようやく事の状況を理解し、ほっと胸を撫でおろした。
しかしそれならなおさらこんな所で寝ている場合ではない。

引き裂かれるような痛みに悲鳴が上がりそうになりつつも、必死に声を押し殺して立ち上がる。
正直言って、コスチュームもない、刀もない、個性も使えない自分が戦場へ向かったところで役に立つとは思えない。足手まといになるのがオチだ。
それでも動かずにはいられなかった。
緑谷がナイトアイの射抜かれた姿に憤怒したように、じっとしていられる程心は穏やかではなかったのだ。

もう誰一人死なせたくはない。ナイトアイも緑谷も…大切な人たちだ。

強いその思いに体を任せると、不思議と全速力で緑谷の背中を追いかけるように走りだしていた。
しかしその矢先、彼めがけて治崎の凄まじい攻撃が襲い掛かるのを目撃する。
個性が発動しない今、彼を守れる方法はただ一つ。
限界を超えたスピードでその場へと走り、なんとかたどり着いた時。
気づけばその攻撃を全身で受け止め、視界に深紅の血液が噴き出る様子が入り込んだ。

「なっ……零?!」

「零さっ……!」

『ぐぁっ…!!』

彼を傷つけまいとしたが思った以上に攻撃範囲が広く、目の前にいる彼も手足を負傷してしまった。
スローモーションのように光景がゆっくり流れる。
緑谷の顔は一瞬にして青ざめていき、ゆらりと倒れていく自分の体を抱きとめた。

「零さんッッ!!!」

次に緑谷に名を呼ばれた時、既に彼の腕の中に抱き抱えられ、治崎から場所を遠ざけられていた。

「零さん!大丈夫ですか?!しっかりしてくださいッッ!!」

涙をうかべて必死に語りかける彼の顔が、視界を占領する。

『み…緑谷く……大丈夫……?』

「零さんが庇ってくれたから僕は軽傷ですみました!!で、でもっ……!!」

『私なら大丈夫…ごめん、ね。個性、一時的に消されてて…これくらいしか、役に立てなくて…』

上手く呼吸ができない。
喉元からはひゅーっと風が通るような音がする。
緑谷の涙を拭おうと伸ばした手は、真っ赤な血で染っていた。

「何言ってるんですか!!それより何で庇ったんですか!僕は…僕は、あんなに零さんを傷つけたのに…」

『傷ついてないよ、大丈夫。』

何秒かかかって、やっと彼の頬に触れた。
今なら個性を使えない。彼の気持ちは分からないままだ。
心を読む個性がなければ、こんなにも躊躇なく触れられるのかと、この状況で情けなくも思った。

指先まで震えているのが分かる。緑谷はそれを横目で見て、必死で強く手を強く握りしめてくれた。

『お願い緑谷君。…壊理ちゃんを、助けてあげて。あの子…私と同じなんだ。一人で抱えて……絶望に囚われてる…治崎の手から、引き離してあげて欲しい……』

「…わかりましたっ!だから、だから…零さんは休んでてください…絶対、死なないでください…僕、轟くんと約束したんです。零さんを連れて帰るって…!」

『轟くんと…?』

「そうですっ!轟くんも…他のみんなも…みんなあなたを待ってるんです!」

“零さん、お願いだ。死なないで……僕まだ話したいことが沢山あるのに…こんなの嫌だッッ!”

『……!』

彼の声とはまた違う、頭の中に響く心の声を耳にした。

ーーあぁ、そうか。ようやく薬の効果が切れて個性が発動したのか。おせぇよ、バカ。

そう心の中で零し、情けなく笑った。
そんな自分の心境を余所に必死に涙を押しこらえて下唇を噛み締める緑谷は、どんどん冷たくなっていく自分の体温に焦りを感じていた。

『緑谷くん。私は大丈夫だから…治崎をお願い。』

ここにいてください!
そう叫んで彼は再び治崎のもとへと駆け寄った。
自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる気がした。視界もぼんやりしていて体中が熱く、指先一つですら動きそうにない。

徐々に意識も遠のき始め、周囲の音が何一つ聞こえなくなり、自然に瞼も閉じていった。

轟が…みんなが帰りを待ってくれている。
彼が話したいことがあると言ってくれた。

ーーそれならまだ、死んじゃダメだ。


消えゆく意識の中、生まれて初めてそんなふうに思ったのだった。



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