得て、失って
誰かの話し声が、遠くで聞こえた気がした。
零は未だ意識が朦朧とする中、重い瞼をゆっくり開けた。
ボヤけていた視界がようやくはっきりする頃、これまでに至る経緯を思い出し、慌てて体を動かそうと全身に力を込めた。
『……っ!』
背中に強い痛みが走る。
気絶させられるときに受けた傷だろう。
そして動かせなかった腕に目を向ければ、天井から吊るされた鎖に拘束されていた。
『……ま、そうなるよな。』
奴が何を企んでいるかは分からないが、仮にも味方ではない者を無理やりここに連れ込んだのだ。
よくよく自分の姿を見れば視野の広さに気づき、仮面が外されていることを理解する。更には大層用心深いようでヒーローコスチュームも脱がされ、シンプルなワンピースを着せられていた。
『この服……』
あの少女が着ていたのと同じものだ。
そう気づいたのと同時に、近くで物音が聞こえてきた。
一瞬警戒心を強めたが、その音を出した犯人が小さな影が見えると、強ばらせた体の力を解き静かに口を開いた。
『君か…』
ホッと胸を撫で下ろすと、彼女は恐る恐る目の前に来てはしゃがみ、こちらの顔をじっと見つめた。
こうしてまじまじとみると、本当にまだ幼い。
外見だけで判断するなら、6~7歳といったところだろうか。
不思議そうに、そして怯えた様子がどこか感じられる少女は、ようやく口を開いた。
「だ…大丈夫?」
初めて耳にしたその小さな声は、微かだが震えていた。
『大丈夫。ちょっと背中が痛むけど、大したことないよ。』
治崎とどういう関係で、彼女がどういう子なのかは分からない。正直いって、治崎がこの子に何をしているのか、どうしようと考えているのかもハッキリとした事実はまだ分からない。
それならせめて、自分だけでも怖がらなくてもいい対象だと、この子に分かってもらいたい。
『心配してくれてありがとう。壊理ちゃん。』
正直笑うのは苦手だ。それでも何とか意識して少女に向けてみる。
すると更にキョトンとした顔を見せては、小さな顔を傾げた。
「…お姉さん、も、笑えないの?」
『……え。』
的を射る一言に、目が点になる。
そういえば、子供は大人よりも五感や人の無意識に出すオーラというものに敏感だと聞いたことがある。
自分の笑顔があまりにもぎこちなかったのか、それとも彼女がその話の通り敏感なのかは分からないが、これ以上は下手な取り繕いは辞めよう、と心に決めた。
『…実は笑い方、よく分からないんだ。』
「……え?」
今度は逆の立場になる。
ふっと顔の力を抜いて、壊理を見つめた。
『…ほんと、そっくりだな。昔の幼い頃の私に。』
「お姉さんと、わたしが?」
『そう。いつも暗い場所に閉じ込められて、外の世界に出して貰えなかった。痛いことされて、脅されて、毎日怖くて怖くてたまらなくて…。ここから逃げ出して、誰かに“助けて”って言えたらどんなに楽だろう、って考えてた。似てるだろ?』
そう尋ねれば、首は縦に振らなくとも共感している事は、彼女の顔を見れば明白だった。
そしてしばらく沈黙が流れたあと、俯いた壊理はきゅっと小さな拳を作ったあと、再びこちらに顔を向けた。
「でも、お姉さんは出れたんだよね?」
『…そうだね。結果としては出れたかな……。』
「結果として?」
『んー…そうだな。その怖い人…しんじゃったからさ。』
まだ幼い彼女には、残酷な話だっただろうか。
目を大きく見開いて硬直する様子を見て、少しばかり話したことを後悔した。
けれど同時に、彼女にもそういう未来が近いうちにあるということを知って欲しい。
絶望だけの人生じゃない、と。これから先楽しいことが沢山あって、きっと自然に笑えるような日が来ると信じて欲しかった。
『壊理ちゃん。私は何がなんでも、君を外の世界に連れていく手助けをする。だから、自分の気持ちを押し殺す事に慣れちゃダメだ。』
「でも、私がここを出たら…」
『また、周りの人が傷つく?』
「えっ……?」
『言ったろ。君と私は似てる、って。私ならそう考えるだろうと思ったんだ。それとも、違った?』
壊理は首をブンブンと横に振った。
それを見て、一先ず自分と同じ気持ちであることに安堵した。
それなら彼女がどう動こうとするのか、どう在りたいかが予測できる。
「…もっと教えて。お姉さんのこと。お姉さんの話、聞きたい。」
絶望だけを見つめていた彼女が、ほんの少しだけなにかに興味を持ち始めた。
それが自分の辿ってきたどうしよもない人生の話だろうが、残酷な話だろうが、なんだっていい。
正直彼女が具体的にどういう個性を持ち、治崎にどう扱われているのかもハッキリとわかった訳では無いが、ただ一つ……この子だけは守りたい。救ってやりたいと心の底から思った。
『零。』
「…零?」
『私の名前。』
「零…さん?」
『んん?なんかよそよそしいな…』
「じゃ、じゃあ……零、お姉ちゃん…?」
『いいねそれ。なんか、妹ができたみたいだ。』
そう返すと、彼女はほっとした表情を浮かべた。
そしてこの瞬間放った笑顔はどうやら成功したのだと、可愛らしく頬を赤らめる彼女を見て、確信に到ったのだった。