得て、失って
「…ようやく会えたな。」
治崎の浮き足立った声に、零は思わず背筋を強張らせた。
緑谷を危険な目に合わすまいと走り出した数分後、気づけば尾行していたはずの治崎が目の前に立ちはだかり、身動きが取りにくい状況となっていた。
『…っ、』
しまった。完全に冷静さを失っていたことにようやく気付く。
奴はたった微かな足音を聞きつけて、自分の元へとやってきた。
そしていつの間にか奴の仲間もその場に現れていて、自分を取り囲むように配置についている。全くの隙が無い四面楚歌の状況に、冷や汗が頬を伝った。
向かいに立つ治崎は、口元に薄気味悪い笑みを浮かべて再び口を開けた。
「随分探したよ…。隠密ヒーロー“朧”。」
『…探した?何のために。』
「いいねぇ、その冷たい声。確かにあんたと俺は面識がない。でも、俺はあんたを知っている。あんたは俺と同じだからだ。」
『言っている意味がよく分からんが…。要件があるならはっきり言えよ。』
何が同じだ。一緒にするな、虫唾が走る。
心の中でそう吐き捨てつつも、戦闘態勢をとるため重心を低くし、腰にさしてある刀の柄に手をかけた。
正直奴らの仲間の全ての個性を把握しているわけではない。
自分の持つ個性がどれほど通用するのかは分からないが、ここで簡単にやられてしまっては、後に連中を制圧しようと動いているナイトアイに申し訳が立たない。
「そうだな…要件をはっきり言おう。俺はあんたの個性をもっと知りたい。そしてあんたには俺の仲間になってもらいたい。」
『…は?』
思いもよらない発言に、腑抜けた声が漏れる。
個性を知りたい?仲間になりたい?言っている意味も、どういう経緯でそう思っているのかも、はっきり言って全く検討もつかない。
第一。自分で言うのもなんだが、最も謎に包まれたヒーロともうたわれている自分の何を知っているとでも言うのだろうか。
『…個性も大して知らないのに仲間になれと言ってるのか?』
「そうだ。あんたの個性は無限な可能性を秘めている。そしてその特殊な個性を、俺はもっと研究して役に立てたいんだ。」
『…どういう理由かは知らないが、この個性は役に立つ個性でも何でもない。とっとと失せろ。』
「それはできない。あんたは俺と一緒に来てもらう。」
『…っ、』
先ほどまで陽気に話していた声色が、一瞬にして再び威圧感を漂わせる。
その言葉を合図に、周囲を取り囲んでいた仲間たちが一斉にとびかかり、攻撃をしかけてきた。
数でいえばさほど勝てない人数ではない。素早く位置を変えようと足に力を入れたが、その瞬間。地面が揺れ始め、突然平衡感覚を失った。
『なっ…』
「ひゃひゃっ!どうよ、俺の個性は!俺ァ酔ってないけどな!」
酒瓶を片手に持っていた男が、頬を赤らめて声を上げる。
酒に関する個性…。考えられるとしたら…
ーー奴の個性の発動範囲内にいた者は泥酔した時のように平衡感覚を失う個性か。
一瞬動揺したものの、昔の血反吐を吐くほどの過酷な訓練に比べれば、これくらいどうってことはない。
原理さえ分かれば、こっちのもんだ。
ひとまず近くに居る泥酔の個性を使う男に軽く触れ、反撃を受ける前に高く飛び上がった。
「おいおい、俺の個性全く効いてねぇんだけど!」
「彼女を侮るな。仮にも今のプロヒーローの中で最も最年少で、最も個性なしの状態でも戦闘能力に長けているといわれている人物だぞ。」
上空から眺めてようやく敵の人数は治崎を入れて5人だと把握する。
ここで一気に結界を張り、抜けられない状態にすれば一瞬の隙をついて逃げられるかもしれない。
だがそう考える反面、治崎の腕の中で震えるように涙を…恐怖心配を押し殺している少女の顔を見てしまった以上、あの子を一人ここに残して去るような事はとてもじゃないが、できなかった。
どうしても、幼い頃の自分と重なる。
ーーもし、自分もあの頃誰かに救いの手を差し伸べてもらえたのなら。
今のような絶望に捉われた人生を歩むような事はなかったかもしれない。
『くそっ…何かいい方法は…!』
時間は有限だ。
重力により再び降下していく中、必死に思考を凝らす。
最悪の状況を考えて、懐にしまっていた伝達用のサポートアイテムを取り出した。敵に悟られないよう小声で重要事項をを録音し、奴らに気づかれないよう空高く投げ飛ばし、目的の場所へと向かわせてから、再び奴らと向き合った。
着地と同時に、五か所から攻撃が襲ってくる。
体を素早くひねらせて後方に飛びながら、紙一重だがなんとか避けた。
こちら動きに驚いている奴らの隙をついて、全速力で治崎の元へと走り出し、少女へと手を伸ばした。
『治崎…!その子を離せっ!!!』
気づけば感情的な声が出ていた。
奴はフッと口角を上げると、胸ポケットにしまっていた拳銃を取り出し、銃口を向ける。
いつ発砲されても避けられるように、銃口から目を逸らさず突き進み、あと一歩で少女の体へと触れられると思った瞬間。
《今なら当てられる!!》
後方から個性を発動させていた男の心の声が頭の中で響き、気づけば敵が治崎と同じ拳銃をこちらに向け、一斉に引き金を引いていた。
『…っ、』
油断した!!
何発かは咄嗟に避けたが、二発が体に当たって微かに痛みが走るが、過去に撃たれた痛みとはまた別のものだとすぐに悟る。
しかし、その一瞬の隙が奴らにとっては十分すぎる程のものだったらしい。
いつの間にか他の仲間が背後に立ち、素早く身動きがとれぬよう体を地面にたたきつけ、手足を拘束された。
『くっ…今の銃弾はなんだ!何をした!』
「…個性を一時的に消したんだ。“結界”の個性を張られてしまえば、俺たちに勝ち目がなくなるからな。」
ーーこいつ、知っている。
奴がこちらを見下すめで、そう確信した。
自分の持つ“結界”の個性は、確かにこの状況で発動できれば全員をねじ伏せることも不可能ではない。
しかしその偉大な威力を使えば、当然自身の体に反動が起きる。
相打ち…であれば幸いだが、もしそう出なかった時のことを考えれば容易に使うことは出来ない。
だからこそ、最終的な切り札として温存しておくつもりだった。
『…まさか、そこまで読まれてるとはな。こちらの思考を読む能力でも持ち合わせてるのか?』
ハッと鼻で笑い吐き捨てるも、奴はニヒルの笑みを浮かべている。
「あんたのような個性、そう量産されていたら時代の歪みになることくらい分かるだろ。正直喉から手が出るほど欲しい個性だが、俺には持て余す。…言ったろ。俺はずっとあんたを探してた、って。ずっと調べ続け、かき集めた情報からあんたの取る行動を予測したんだ。」
『…なるほど。馬鹿じゃないらしいな。』
「…しばらく眠ってもらおうか。次に目を覚ました時、ゆっくり茶でも飲みながら話をしよう。」
『私はお前と話すことなど何も……!!』
突然強い衝撃が背中に走り、そこでパタリと意識を手放す。
個性も発動できない、ましてや力技が不向きな自分にとって、どうしよもない状況へと事態は進行していくのであった。