得て、失って
最初に治崎を追跡し始めてから数日後。
真昼間に街中へと現れた奴が追いかける対象を見て、零は酷く驚いた。
まだ小学生…いや、下手したらそれよりも幼い小さな女の子だ。
額には小さな角のようなものが見えるが、何よりもその子が酷く脅えている様子で、治崎から必死に逃げようとしているようにも見えた。
あの顔は、自分もよく知っている。
幼い頃屋敷内に閉じ込められていた自分が、必死に外へ出ようとして、後方から追いかけてくる父を見てしていた表情と、瓜二つだ。
あの子は治崎を怖がっている。
もしかしたら、両手足に巻かれている包帯に、何か関係があるのだろうか。
今すぐ助け出したい。彼女を救い出してやりたい。
そう思うものの、二人の関係性が分からない以上、迂闊に姿を現すわけにはいかなかった。
自分の無力さが改めて身に染み、ぎゅっと強く拳を握る。
しかし、彼女が走り行先に目を伸ばすと、見慣れたヒーローコスチュームを纏った姿が映り、思わず潜めるために縮こまっていた体勢から大きく身を乗り出した。
『なっ……!』
無意識に零れそうになる声を、慌てて手で塞ぐ。
そして小さな少女が闇雲に突き進んだ末、彼…緑谷にぶつかってしまった。
「ごめんね、痛かったよね?」
屈託のない真っ直ぐな優しさの声を耳にし、更に鼓動は激しくなった。
なぜ、君がここにいる。
なぜ、このタイミングで鉢合わせてしまったんだ…。
今どう動けば分からないからなのか、それともあの危険な治崎が緑谷と接触することを恐れているのかは分からないが、無意識に体が小さく震え始めた。
尻もちを着いた少女に、緑谷が手を差し伸べる。
しかし彼女はその手と何かを重ねて見たのか、酷く怯えて身を震わせた。
それに気づいたのか、緑谷は「立てる?大丈夫?」と更に声をかけ、小さな身体を抱き上げた。
見守るうちに自体は最悪な展開を招いた。
その間に逃げ回っていた彼女の背後に、治崎が姿を現してしまったのだ。
「だめじゃないか。ヒーローに迷惑かけちゃ。」
『……っっ!!』
初めてまともに奴の声を聞いた瞬間、全身に悪寒が走る。
それがあまりにも、記憶の中に残ってる父ととてもよく似た殺意を押し殺した声だったからだ。
しかし今は、奴ととうの昔に亡くなった父を重ねて怯えている場合ではない。
万が一の事態に備え、彼らを助けるために飛び出せる準備をしなければ。
出来ることなら、今はその優しさを押し殺してくれ。と緑谷に切に願った。
「ーーあの、娘さん、怯えてますけど。」
『……!』
「…叱りつけた後なので。」
治崎を見て引くどころか、食いつくような緑谷の発言に、冷や汗がどっと沸き出した。
顔すら見えないが、それに答えた治崎の声色が徐々に変わっていくのが理解出来る。
そんな奴を前に緑谷は、更に続けて警戒している言葉を述べた。
「こんな小さい子が震えて怯えるって……普通じゃないと思うんですけど。」
緑谷が自身にしがみつく少女の頭を優しく手で覆った。
その時既に、頭の中は酷く混乱し始めていた。
まるで彼が少女を想って出した言葉が、記憶の中の幼い頃の自分に向かって言われている様で。
フラッシュバックする父の恐ろしい姿に、目先のものが見えなくなり始めていた。
まずい、まずい、まずいっっ……!
震えた声が漏れぬよう、必死に口を手で覆いながらぎゅっと目を閉じる。
心を落ち着かせるのにどれだけ時間がかかったのかは分からないが、気づけば緑谷ともう一人のヒーローが治崎に誘導され、路地裏へと移動していた。
『……くそっ……!』
ーー目の前のことに集中しろっ!!
父はもういない!今は彼らを危険から遠ざけるようにするのが先決だっ!
自分を叱るように声を殺して吐き捨てては、その場から移動するために足を動かした。
彼らと至近距離にある高層ビルの屋上に身を潜めていたが、ここでは万が一彼らの身に何かあった時に対処ができない。
しかし。その時余程心にゆとりがなかったのか、不覚にも僅かな足音を立ててしまった。後に酷く後悔をする羽目になったのは、それから数分後のことであった。