得て、失って


轟はいつもより少し遅れて共用スペースへと訪れた。
普段ならクラスの中でも朝食を取り始めるのは早い方だが、今日はほとんどの生徒達が既に食事をとり始めているのを見て、誰にも悟られないよう安堵の息を零した。

良かった。誰にも見られてなそうだ。

早朝に目を覚ましたのは幸運だった。
同じ寮内とはいえ、異性…しかもクラスの女子ではなく零の部屋から朝帰りをする場を目撃などされたら、騒ぎどころでは済まないだろう。
そしてもう一つ。彼女と絶対守らなければならない約束をした。
個性やヒーロー活動の事。そして彼女の部屋で一晩過ごした事などは一切他言してはならない、という事だ。

「あ、轟君!おはよう!」

「…あぁ、おはよう。」

緑谷に呼ばれて、彼女とのやり取りを思い出していた思考をいったん現実へと戻し、隣の空いている席へと腰を下ろす。

「珍しいね、轟くん。いつもより来るのが遅かったから少し心配してたんだ。」

「いや…なんか…離れがたくなっちまってな…。」

「え?なにと?」

「………布団とだ。」

思わず本音を漏らしてしまった後、バレないように、悟られないようにとふり絞った知恵で返した言葉に、テーブルにいたクラスの連中が噴き出した。

「なに、お前そういうタイプだったの?」

「轟ってやっぱ天然だよな。」

「…?」

瀬呂に続いて上鳴にそう言われたが、正直なんの事かはわからない。
とりあえず食事につこうと箸を持ったが、ふとした瞬間に隣にいる緑谷に違和感を感じた。

「…緑谷。なんで制服着てねぇんだ?」

他の皆はもう制服を着用していて、食事を終えたら学校へと向かうつもりでいるが、緑谷は未だ私服のままだった。
そしてもう一人、前方に私服を着て不機嫌そうな顔で朝食をとっている爆豪の背中を見て、ほんの少し目を見開けた。

「爆豪も…なんで制服着てねぇんだ?」

「そ、それはその…昨日ちょっと、かっちゃんと派手に喧嘩しちゃって…。僕は3日、かっちゃんは4日間謹慎になっちゃったんだ。しかも、零さんも巻き込んじゃって…」

「…あぁ、なるほど。そういう事か。」

轟はようやく理解した。
彼ら二人が私服を着ていた事にではなく、先ほど彼女との会話のやり取りの事だ。

零の部屋を出る時、共用スペースで会うだろうという意味でもあって、「またあとでな。」と言うと、彼女はその言葉に何を返そうか悩んでいる様子だった。
そしてしばらく考えていたかと思えば、苦笑いを浮かべてこう返してきたのだ。

“ごめん、今日からしばらく学校に行けそうになくて。あと…ちょっといろいろ事情があって朝食はみんなと別で取ろうと思ってるんだ。”

その時は時間もなかったし、深い意味はないだろうと思っていた。
彼女が学校にいけないと言った理由は、この二人を寮で監視する役割を与えられたからなのだろう。

しかし、それを理解したところで解決できない点がもう一つある。
最近はクラスのみんなと一緒に朝食をとっていた彼女が、事情があって別でとると言った点だ。
あの言い方からして、何か気まずい様な事があったのかもしれない。

チラリと隣にいる緑谷に目を向ければ、俯いて静かに拳を握っている光景を目にした。

「…なぁ、緑谷。」

彼の名前を呼べば、ハッと我に返って勢いよく振り返る。

「…お前と爆豪、昨日零と何かあったか?」

その質問は、ただの勘だった。
零の様子がおかしかったのは、昨夜部屋に戻ってきた時からだ。
二人が謹慎を受けたタイミングと、彼女が連帯責任で寮に残るという指示を受けたのがほぼ同時だとすると、彼女があれほど取り乱した原因を、緑谷は知っているのではないかと思ったからだ。

「…ううん。特に何もないよ。」

緑谷は数秒間口を噤んだ後、微かに震えた声でそう答えた。
その様子からしても、何かを隠しているのは泳いでいる彼の目を見れば一目瞭然だった。

そういえば零が最初来た時、緑谷は以前から彼女の事を知っていると話していた事を思い出した。

“零さんは、マイナーなんかじゃないよ…。あえて報道やヒーローの活躍を公にしないようにしているんだよ。そうじゃなきゃ、零さんの仕事が成り立たないから…”

あの時は確か、挑発じみた言葉を投げた爆豪に対し、緑谷がそう答えたはずだ。
公にしないようにしている。仕事が成り立たない。
数時間前、大方彼女の事情を聞いた自分にとって、緑谷が言った言葉が今となって容易に理解できる。

そして、緑谷は彼女の事を知っている。
ただ、どこまで知っているのかすらわからないからこそ、むやみに彼女についての話は、してはいけないとも思う。

彼と零の話をするのは、もう少し様子を見てからにする方が無難だろう、と考えた。

時計を見れば、そろそろ寮を出る時間になっていたので急いで食事をかけこんだ。

既にほとんどの生徒達はエントランス前まで移動しており、その場に残されたのは緑谷と爆豪の二人になった。

やはりどうしても、これだけはいいたい。

ふと自分の中に、そんな意思が生まれた。
食事トレイを片付けて、戻りつつも二人の前に立ち止まった。

「…爆豪、緑谷。」

「あぁ?」

「な、なに?」

「…零をあんまり傷つけるような事すんなよ。」

「「なっ……!?」」

「俺はあいつが傷ついた顔をするとこはあんま見たくねぇ。せっかく俺らに馴染んできてんだ。…それに、俺はあいつが放っておけねぇ。あいつの抱えてるもんから救ってやりたいとも思ってる。」

「…轟君…。」

「おい半分野郎、何言ってんだてめぇ。」

「…爆豪は特に警戒心持ってたよな。」

加えた一言に、ぎろりと鋭い視線が突き刺さる。
爆豪は椅子に座った状態だったので、彼は自然と見下ろす位置にいた。

「…状況がどうであろうと、あんな…あんな苦しそうな…辛そうな顔をさせんじゃねぇよ。」

自分でも驚くほど、地を這うような低い声でそう告げた後、エントランスで「轟ー!早くいくぞー!」という声を聞いてそちらへと向かっていった。

最後に爆豪に履いた言葉。
もし心当たりがないのなら、奴は全力で反論してくるはずだと思った。
正直、奴の性格上胸倉をつかまれてもおかしくはない程の威圧感を放ったつもりだったが、それでもアイツは何もしてこなかった。むしろ目を見開いて酷く動揺し、少しだけ悔しそうにも見えた気がした。

やっぱり、昨日零をあんな状態にしたのは、あの二人が関わってる。

そう確信したところで、ここに留まりたい気持ちを押し殺しながらも学校へと向かったのだった。


8/38

prev | next
←list