得て、失って
カーテンの隙間から日差しが入り込み、眩しさで目を覚ました。
ゆっくりと瞼を上げ、目の前の視界が開いていく。
普段は寝起きが悪く頭の回転の悪い零は、ようやくはっきりと見えた目の前の景色に驚いて、ぎょっとした。
『………!?』
何度瞬きして現実逃避してみても、その景色は変わらない。
白いTシャツから僅かに零れる、無駄の無い腹筋。
頭の下には腕が敷かれていて、その先の手のひらが背中に触れているのは、じんわり伝わってくる体温で分かる。
ほぼゼロ距離で誰かと眠ることなんて経験したことの無いこの状況に、激しく動揺しないわけが無い。
一体誰が……。
恐る恐る顔を上げてみる。
そこにはすぅ、すぅ、と静かに寝息をたてている紅白の髪を持つ轟の寝顔があり、思わず驚きの声が飛び出そうになった口を慌てて覆った。
『~~~~、っ!!』
条件反射で体を反らす。
しかし彼も条件反射なのか、背中にある腕の力をより一層強め、再び距離を縮めさせた。
鼓動がドクン、ドクン、と大きく早くなり、全身に力が上手く入らない。
顔は熱が灯り、沸騰しそうなほど熱くなっているのが分かる。
落ち着け、落ち着けと心の中で何度も自分に言い聞かせること数分。
ようやく思考が回るようになり、慌てる中で昨夜見た夢のことを思い出した。
確か父の声に押しつぶされそうになった時、暖かい光が包んでくれたような気がした。
もしかしたらあの時の暖かい光は彼の左手の炎の熱で、魘されていた自分を見て一晩中こうしていてくれたのかもしれない。
そう行き着いた時、耳元で彼の小さな声を耳にした。
「……ん…、起きたのか。」
轟も朝が弱いのか、いつも以上にどことなく目元がおぼつかない。
いつもよりも無防備で低い声に、再びドキリと心臓が跳ねる思いをしつつ、小刻みに何度も頷いた。
正直それが精一杯の反応だ。
轟はようやく回していた手を外し、目を擦りながらゆっくりとら体を起こした。
『ど、どうして…』
無意識に漏れた言葉に、轟は「あー……」と頭を描きながら眠気眼の目でこちらを見た。
「昨日薬飲ませたあと、すぐ眠ったから部屋へ戻ろうとしたんだが。その直前に、酷く夢に魘されてたから…」
なぜか彼はバツの悪そうな顔をした。
しかし、そのまま話は続いた。
「手ぇ握ったら、すげぇ冷たくて。このまま死ぬんじゃねぇかって思ったら、無意識に抱きしめて寝てた。」
『そ、そっか…』
きっと彼の性格のことだ。
あったことを包み隠さず正直に話してくれているのは間違いないだろう。
ただ、異性として認識している人物に抱きしめられるのは初めてで、あまりにも動揺してしまった。
確かに相澤には自ら抱きつくことが多かったが、正直兄のようなものであまり“男性”として意識した試しはない。
そんな自分の動揺っぷりが顔に出ていたのか、轟はそれを見て小さな声で“ごめん。”と呟いた。
『え、ごめん…?なんで?』
咄嗟に言われた言葉に、疑問を抱く。
「なんでって…零だって女だ。本人の許可もなしに抱きしめてそのまま寝ちまって、状況が状況とはいえ、一晩一緒に過ごした俺が悪いだろ、どう考えても。」
『いや、違うよ。あんな惨めな姿を見せてしまった挙句、夢にうなされるような情けないところを見せてしまった私に落ち度がある。』
「そうだけど…でも…」
『確かに助かったし、感謝の気持ちしかないよ。でも…次もし同じような事があったとしても、次はーー』
「いやだ。」
『………え、まだ何も…』
「その先は何となく聞かなくてもわかる。だから、いやだ。」
あまりにも子供のような強情っぷりに、思わずぽかんと口を開ける。
彼は不貞腐れた表情のまま、そっとこちらに手を伸ばした。
“お前が人に触れる資格などない。”
『……っ、』
咄嗟に父の言葉が脳内に過り、無意識のうちにその手を避けようと身体を反らした。
ピタリと伸びた腕が止まる。
轟は数秒の間黙って見つめた後、その手を引っ込めた。
「…人に触れられるのが、怖いのか。」
『そ、そんなこと…』
「気づいてねぇとでも思ったか?あんたは皆に自ら触れようとは滅多にしねぇ。いざと言う時だけだ。」
『……』
まただ。
苦しそうな表情を浮かべる轟の気持ちが理解できない。
自分のことではないのに、なぜそんなにも非情になれる。
人と触れてこなかった自分には、彼の心境は到底理解できなかった。
しかしその時、彼の口から小さく聞きなれた言葉を耳にした。
「…“呪われた子”。」
『……っ、な、何でそれを……』
「魘された時、それを何度も否定してた。あんたが今まで人と接してこなかったのも、当たり前の学校生活を送ってこれなかったのも、そうやって人に触れられるのを怖がるのも、全部そこに繋がってるのか。」
『それは……』
微かに声が震える。
どうやって呼吸をしたらいいのかすら、分からなくなりそうだ。
胸元をぎゅっと握りしめ、上がる息をなんとか抑えようと集中していた矢先、彼の手がふわっと頬に触れた。
『なに、を……』
「どういう理屈かは知らねぇが…俺はあんたをそんな風には思わない。それに…仮にもし触れて何かが起きるなら、それは呪いじゃなくて、あんたの産まれ持った個性だろ。」
『……っ、』
「個性は呪いなんかじゃない。確かに俺も自分の個性を何度も否定してきたことはあったが……それでも、今は自分の中の一部だと思ってる。この力で誰かを救えるのなら、使いたいと思ってる。それに一晩中触れてたけど、別に命の危険に関わるとか、そういう訳じゃないんだろ、それ。」
“俺はどんなことがあっても、目を逸らさねえ。受け入れる自信がある。”
声に出した言葉と、心の中の強い意志が流れ込んでくる。
そんな風に言われたのも、思われたのも初めてだ。
『…轟くんは、強いな……』
「強くなんかねぇ。こうして思えるようになったのも、半分は緑谷のおかげだしな。」
『緑谷くん…?』
「あぁ。それに強いのは、零の方だ。誰にも頼らず、誰にも話さずただ自分の個性と向き合ってる。闘ってる。それがあんたの選んだヒーローの在り方なのかもしれねぇけど…それでもやっぱり、あんたみてぇな自分を犠牲にしそうなタイプは、放っておきたくねぇんだ。」
真っ直ぐな彼のオッドアイの瞳が刺さるようにこちらを見つめる。
なんて綺麗な瞳だろう。
曇りもなく、凛とした声。強い意志の表れを感じる。
彼は話しても、変わらずにそばにいてくれるのだろうか。
その意思は、打ち明けても変わらないのだろうか……。
例えそれが……
それが……
『…触れたら人の心を読むものだとしても…?』
気づけば彼の力強い思いにポロリと零し、ハッと我に返って慌てて口を塞いだ。
彼はしばらくポカンと口を開けたまま何度か瞬きをした。
爆豪や緑谷達の反応とは、また全く別のリアクションだ。
ただ、怯えているわけでもなく、気味悪がられている様子でもない。
しばらくしてようやく轟がその言葉に理解したのか、目を逸らして口元を手で覆った。
「…わりぃ。」
『……え』
「ってことは、俺の心の声も筒抜けだったって事だよな…だから、悪ぃ。」
『な、なんで謝るの…!?』
個性をうちあけて、謝られるのは初めてだ。
その先に、“お前とは関わりたくねぇ”。という言葉が続いたらどうしようと、一瞬心が揺らいだ。
しかし彼は、少しだけ頬を赤めて髪をくしゃりと握りながら、全く別のことを言い出したのだ。
「心ん中の声が聞こえてたんなら、結構強引なことしてたかもしれねぇと思って。俺が必死に隠してた真意も全部知ってんなら、そうだよな…いや、ほんと悪ぃ。そりゃ手を払いたくもなるよな。好きな男でもねぇのに、わざわざ心ん中の声まで聞きたくねぇだろうし…」
『ま、待って待って!違うから!!』
自分でも驚くほど、彼の言い分を大声で否定した。
彼は目を大きく見開いて、違うのか?と不思議そうに首を傾げた。
『私はこの個性で、気味悪がられたり、心の声を聞かれるのが嫌だって言われて遠ざけられたりしてきたから…轟くんはいつも真っ直ぐに私を見ていてくれて、心配してくれていたから…そんな慣れない君の心に、どうしたらいいのか分からなくて…』
「俺の正直な気持ちは、零にとって迷惑か?」
『そんなんじゃないよ。ただ、気味悪いと思うよ普通。心の中を勝手に読まれるなんて……』
「なんだ、そんな事か。っていうか、普通ってなんだ?基準はよくわからねぇが、少なくとも俺は心配ねぇ。」
面を食らうような発言をされるのは、もう何度目だろう。
彼はこちらの顔を見てフッと柔らかい笑みを浮かべ、その言葉の意味を教えてくれた。
「そもそも俺は無口な方だし、自分の感情を人に話すのも得意じゃねぇ。むしろ話さなくても悟ってくれるんなら、俺からしたらすげぇありがてぇ個性だ。」
“そんな事”。“ありがたい個性”。
初めて聞いた言葉が、何度も頭の中でリピートされる。
それほど自分にとっては衝撃的な言葉だった。
「今までどんな奴らが気味悪いなんて言ったかは知らねぇが、たぶんみんなも、その個性を聞いたところで距離を置こうとする奴なんていねぇと思う。
それに少なくとも俺は、零の個性を受け入れる。だから…変に距離をおかず今まで通りでいてくれ。俺も今まで通り、そばに居る。」
今までずっと聞きたかった言葉を一気に言われたせいか、無意識にボロボロと涙がこぼれ落ちる。
彼はそれを見て、頬に優しく触れて涙を拭った。
“初めて泣いた…ちゃんと泣けるじゃねぇか。少しは俺の事信用してくれたみてぇだな……良かった。”
『と、轟くん…あ、ありが……』
「気にすんな。」
声が震えて上手く伝えられない。
溢れ出る涙のせいで、視界がぼやける一方だ。
ーー“泣いてると、普通の女の子だ。なんか、あんまり年上に思えねぇな。幼いっつーか、可愛いような…”
突然頭の中で響いた言葉に、ハッとして洪水状態の涙が止まり、ぽかんと口を開けて彼を見る。
彼も同じように目を点にさせてから数秒後、頬に触れていた指を慌てて引っ込めては口元を手で覆った。
「…今の、聞こえたのか?」
『えぇと、その…ごめんなさい…』
「いや、今のは俺が迂闊だった……」
彼はそう言って、髪の色のように頬を赤らめた。