得て、失って
轟焦凍は動揺した心を落ち着かせ、ようやく初めて足を踏み入れた彼女の部屋を見渡した。
シンプルで日本家屋のものが多く、ベッドの下には畳が傷つかないよう、丁寧に専用のシートが施してある。
女の部屋、と言うにはあまりにも飾り気がなく、自分にとってはかえって落ち着くほどだった。
先程まで荒れた呼吸をしていた零も、薬が特攻性なのかいつの間にか眠りにつき、静かな寝息へと変わっているのに気がついた。
ようやく彼女と向かい合う。
表情は穏やかになり、顔色もさっきまでとは別人のように血色が良くなっていて、やっと心の底から安堵できた。
ここに来た理由は単純だった。
試験に落ちたことを心のどこかで気にしているのか眠れなくて、彼女と話せばそれが解消されるかもしれないと思ったからだ。
どういうカラクリかは知らないが、零と話していると、接していると少し安らぐ気分になる。
でもさっきのを見て、そう思わなくなった。
いざ目の前で倒れて抱き抱えると、酷く華奢で重みを感じないほどの軽さで。
やはり自分の母親と、同じ目をしていた。
その目をした先の未来を、自分は知っている。
「…こんなちいせぇ身体で、一体何抱えてんだよ…零。」
弱々しい声の独り言が思わずこぼれる。
今度こそ助けたい。母と同じ末路にならないように。自分が彼女を救い出したい。
心にそう強く思えば、自然と彼女の小さな手を握っていた。
数分間、零の寝顔を見つめる。
眠りについてからは呼吸も安定しているし、もう吐血をするような感じでもない。
かえってここに居て、万が一物音を立てて起こしてしまう方が良くないだろう。
このままそっと部屋を出て、明日また話しにでも来ればいい。
最後に瞼にかかった前髪を優しくあげて顔色を確認すると、その安らかな表情に自然と笑みが浮かんだ。
「…ゆっくり休めよ、零。」
聞こえるはずもなくそう呟き、握っていた手を離す。
扉へと向かおうと身体を起こし、あゆみ始めたその時。
彼女の呻き声が聞こえ始めてきたのだ。
『……っ、違う、違うよ……私は、』
「……零?」
一瞬起きたのかと思い、振り返って名を呼んでみるが反応はない。
寝言だろうか?
再び顔を覗き込めば、先程までとは違い酷く辛そうな表情をしていた。
何が悪い夢を見ているのだろうか。
必死に何かを言おうとしているその口に、耳を近づけた。
『呪われて、なんか……な、い』
「……え?」
『私は、ただ……みんなを…守りた、』
「……っ、」
呪われてなんかいない。ただみんなを守りたい。
そう必死に訴えようとしている彼女が、一体何の夢を見て魘されているのか皆目見当もつかない。
しかし怯えて苦しんでいる様子を見て、何もしずにはいられなかった。
無意識のうちに再びその手を握りしめ、叫んでいた。
「何言ってんだ!お前は呪われてなんかいねぇっ!」
その声が彼女の目を覚まさせることは無い。
手のひらから伝わってくる彼女の体温が、生きてるとは思えなほどの冷たさを感じた。
「……寒い、のか?」
手を握ったまま、他の肌に触れてみる。
全身が氷のように冷たい。微かに震えているその小さな体を、微弱に左の個性を発動しつつ、全身で包み込んだ。
「……っ、訳わかんねぇけどとりあえずこうするしか……!」
とにかく必死だった。
どれくらい時間がかかったのかは分からないが、いつの間にか腕の中にいる彼女の表情が和らぎ、再び安定した寝息を立てていた。
安堵して息を吐き、ハッとしてようやく我に返る。
咄嗟の判断で半ば寝込みを襲っているかのようにもとれるこの状況を、彼女が起きたらなんて言うだろうか。
さすがにまずいと判断し、起こさぬようゆっくり起き上がろうとしたその時。
か細い小さな声を再び耳にした。
『…あたた、かい……』
微かに口元が緩み、頬に伝う一滴の涙。
よほど安心したのだろうか。
そう考えると、離れる事の方が酷な気がしてならなかった。
「…仕方ねぇな。起きても文句言うんじゃねぇぞ。」
再び横になり、零と向き合って身体を包み込むように抱きしめる。
そうしているうちに、彼女の全身から香る安らぐ匂いに誘われて、深い眠りについたのだった。