-相澤-
ベッドに横たわる零を前に、相澤消太は自身を責めたてた。
彼女をここまで辛い状態にさせてしまったのは、間違いなく自分のせいだ。
元々零は山育ちで、都会の暑さがまだ体に馴染んでいない。
そのうえ、忍や隠密ヒーローは基本的に夜活動する類だ。
零自身が率先して授業に参加したがったとはいえ、彼女の体調や生活習慣を考慮して指示をするべきだったと思う。
いつの間にか生徒たちと同じように、自分も彼女が授業に加わってくれる事が楽しくて、どこか浮かれて配慮が掛けていたんだ。
グッと静かに拳を握りしめ、奥歯を噛み締める。
声に出せない悔しさと自身への怒りが募る中、消えそうな弱々しい零の声が耳を過った。
『消太、さん…?』
「…気がついたか。」
病院から処方された薬でしばらく眠っていた零が、ようやく目を覚ました。
薬が効いているとはいえ、未だ頬は熱で赤く染まり、呼吸も身体が揺れているほど荒いのがわかる。
「大丈夫か。つらいだろ。」
『だいぶマシになりましたよ。それより、面倒事を起こしてすみませんでした…』
「お前が謝る必要なんてどこにもないだろ。体調の変化に気づけなかった俺の落ち度だ。謝るのは俺の方だよ。…すまん。」
零の純粋な考え方に心が痛み、声が微かに震えた。
目線は下がり彼女の顔すら直視できないとは、情けないものだ。
そんな心境を読み取ったのか、零はゆっくりと体を起こしてはこちらをじっと見つめた。
「おまっ…まだ寝てろ!」
『消太さん。』
「…っ、」
心配する声をかき消すような彼女の凛とした声に、言葉を詰まらせる。
金色の澄んだ瞳は、自分の姿を捉えて離さない。
ゴクリと息を飲んでは、彼女が零した声に聞き耳を立てた。
『間違っても、自分が悪いなんて思わないでください。私だってもういい歳です。自分の体調くらい、自分で管理しないと、情けないじゃないですか。』
「いや、でもな…」
『私がこんなんだから、消太さんが過保護のままでいなきゃいけないんだって実感しましたよ…。だから、これ以上自分が悪いだなんて思わないでください。』
「あ、あぁ…」
口調は柔らかいものの、芯のある強い声に圧倒され、無意識に首を縦に振った。
ーー本当に、零には敵わんな…。
そう心の中で吐き出しては、情けない笑みを浮かべた。
零はそれを見ては満足そうにフフッと小さく微笑んだ。
「まぁとりあえず今は熱も高いし体も怠いだろ。治るまでは面倒見てやるから、こういう時くらい存分に甘えろ。」
『はい、ありがとうございます。…あぁ、じゃあ早速お願いしていいですか?』
「ん?なんだ、言ってみろ。」
やけに素直に従う零を不思議に思いながらそう尋ねると、少し申し訳なさそうな表情でこう言った。
『汗めっちゃかいたんで、着替えたいです。服、取ってもらえないですか?』
「…は?」
『いやだから、服…』
さも当然かのように言う零に、ドキリと心臓が飛び跳ねてその場から立ち上がった。
しかし、その行動が後に後悔する事になる。
『お願いします…消太さん…』
「…っ、」
襟元からうっすら見える鎖骨と白い肌。
頬を赤く染めたうえに上目遣い。さらには熱のせいか目は潤い、弱々しい声。いつもの強気な零からは想像のつかないビジョンだ。
そんな彼女を見てしまったせいか、今まで何ともなかった自分の理性が急に体の中で駆け回るような感覚になり、心臓の音がやけにうるさく感じた。
ーーま…まてまて、俺。落ち着け。
そもそも零は、奥にある棚から服を取ってほしいと頼んでいるだけであって、着替えを手伝ってほしいと頼んでいるわけではない。
自分の都合のいいように思考が変換されるのに何とか抵抗しつつも、一旦大きく深呼吸をして気を落ち着かせた。
「ど、どれだ…」
『えっと、その棚の上から2段目と3段目に…』
「わかったから寝てろ。取ってやる。」
起こしていた体を寝かせるように、少し強めに額を押してやった後、彼女の言う通り棚へと向かい、服を取り出した。
動揺しまくりの自分に何度も落ち着けと暗示をかけ、指示された棚を引き出す。
正直どれがいいのか見当もつかないので、手前にあるもので上下の服を揃え、彼女の元へと戻った。
「ほら、これでいいか。」
『はい、すいません、ありがとうございます…』
弱々しい声のまま、再びゆっくりと体を起こして襟元に手をかける。
普段なら「人前で平気で着替えるな!」と小言の一つや二つ投げるが、今回は妙に意識してしまい、何も言わないままくるりと体を反対方向へと向けた。
ーーなんなんだ…そもそもこいつが熱を出した事なんて、今回が初めてじゃないだろうが。
そう自分に言い聞かせるも、熱をともした彼女が、なんだか妙に大人で色っぽくて、幼い頃の看病とは訳が違った。
今まで女として見てこなかったわけではないし、もちろん異性として意識し続けてきた相手ではあるが、以前よりも更に柔らかい表情になった零は、正に別人。
とてもじゃないが以前のように看病しようなど思うのは、浅はかだと知った。
『…消太さん?』
「おわっ、」
自分の高ぶる理性を必死に押し殺そうとしているさ中、背後から顔を覗き込むようにして零の顔が至近距離に現れ、思わず情けない声が漏れる。
「ち、近い!」
『え?風邪じゃないからうつりませんよ?』
「そういう問題じゃない。着替えたんなら、俺に構ってないでさっさと寝ろ。」
『きゃっ、』
半ば強引にベッドへと押し戻せば、咄嗟に零れた零の声がやけに可愛らしく、再び心臓が飛び跳ねる。
零は大人しく横になった後、しばらく目を細めて何か言いたそうな表情をしていたが、それすらまともに突っ込めなかった。
「…あとはなんかあるか。」
『んー…そうですね…じゃあ、もう一つ。』
「いうだけ言ってみろ。聞けるかはわからんが。」
『私が寝付けるまで、そばに居て貰えませんか……?』
「…」
ダメだ。完全に零にペースを乱されている。
普段なら二つ返事でいいよと言ってやるのに、今日ばかりは彼女からのおねだりの内容だけで留まれる自信はない。
『…消太さん?』
いつまでたっても返事をしない自分を心配そうに見つめる彼女の表情は、そんな感情を更に掻き立てた。
落ち着け、こいつは今病人だ。しかも俺は大人で、こういう状況だからこそ、弁えろよ、俺。
そう何度も自身に言い聞かせては、ようやく彼女のお願いに答えた。
「あぁ。お前が寝るまでここにいてやるから、ゆっくり休め。」
自分なりの精一杯の返しに、彼女は目をまん丸にして驚いては、子供のような無邪気な笑みを浮かべてこう言った。
『…はい、ありがとうございます。』
「…!」
あまりにも可愛らしいその笑顔に、心をうたれる。
安心しきった、自分が傍にいることを喜んでくれる気持ちからくる表情だというのが、どことなく伝わってくるような気がした。
ーーあぁ、この笑顔を失うわけにはいかないな。
熱を持った零の手をそっと握り、彼女の寝顔を眺めて数分が経つ頃。
既に零は再び眠りについていて、小さな寝息が聞こえだした。
「…ほんと、天然魔性の女だなお前は。」
無防備な彼女を目の前にして、男としての理性を押し殺すのはもう何度目だろう。
結局はいつも自分が我慢して、生殺しの始末で終わるんだ。
それでも今、傍にいるだけでこんなにも安心しきってくれる彼女への信頼と関係性を考えるならば、そういうのもたまには悪くない、と小さく笑ったのだった。