宣戦布告


爆豪勝己は、眠りにつくことができず悶えていた。

それもこれも、零のせいだ。
振り返って考えても、朝から散々な日だったと思う。

今朝がた見た夢から始まり、意識するあまりケガを負わせてしまうわ、やっと意識しなくなったと思えば、ホラー映画が怖かったのかいきなり抱き着いて、再び振り出し…いやそれ以上に彼女を意識し、今となっては零という存在が、脳内を9割型占めている。

触れるとわかる白い柔らかい肌と、細いラインの体は、妙に抱き心地がいい。
近づいた時にほのかに香る優しい、落ち着きのある匂い。
おまけに普段は強気なものの、ふとした瞬間に“女”を見せてくる。

普段なら“女”という存在が鬱陶しいとさえ思うし、近寄ってくれば全力であしらうが、なぜか彼女にはそれができない。
それどころか、不思議なほど自然と胸の内に入り込んでは、気づけば気を許してしまっている。
今となっては傍にいるのが当たり前の存在になり、何をやっても敵わず、自分のプライドやペースをかき乱されている程だ。
そんな事ができる女は、今まで生きてきた中で一人だっていたことはない。
自分の母を除いては、だが。

そして何よりも一番不思議なのは、自分がそれに対して本当に腹を立てたり苛立ったりしない事だ。
むしろ、視界に入っていた方が落ち着くような気さえする。

気づかぬうちに彼女の存在がこんなにも大きくなり、気にかけている事を改めて実感しては、この先が思いやられる事に深く溜息を零した。

一旦この思考をリセットしようと試みた時。
ふと彼女が今どうしているか、気になってしまった。

映画を見え終えたころには既に供用スペースに姿はなかったし、消灯時間もとっくに過ぎた。
今日は怪我のこともあって特訓はこっちから断ったし、深夜0時を回っているこの時間では、眠りについている可能性だってある。

「…あぁ、らしくねぇ。」

情けない声でそう独り言を零す。
無駄かもしれない、とわかっていてもベッドから体を起こし、頭を掻きむしりながらも静かに部屋を後にした。

零の部屋にまっすぐ向かおうと階段を降りようとすると、ふと窓の外に動く影を横目で確認し、足を止めた。

「…あいつ、」

一瞬しか見えなかったが、あの素早い動き、あの身のこなし。
間違いなくそれが零だという確信を抱いては、急いで階段を駆け下り、寮の外へと飛び出していった。


ーーーー

「おいコラ、そこで何してやがる。」

『ひゃぁっ!!』

今から特訓でもするかのように深呼吸をしている零に背後から声をかけると、いつも以上に驚いた様子で大きく肩を揺らし、恐る恐るこちらへと振り向いた。

『お、驚かさないでよかっちゃん!心臓飛び出るかと思った……』

「驚かせてんのはてめぇだ。こうも背後に隙があるなんて珍しい…。っつーか、何してんだよ。てめぇケガしてんだろーが。」

『あーいやほら、寝付けなくて…体動かそうと思ってさ。』

じとりと目を細めて見つめると、零は目を逸らして頬を人差し指で小さくく。
何かをごまかそうとしているのが一目瞭然の様子に、大きくため息を零しては傍まで歩み寄った。

「俺が負わせといて言うのもなんだが…今日はやめとけ。治るもんも治らねぇだろーが。何のために特訓を断ったと思ってんだ。」

『それはそうなんだけど、でも…』

歯切れの悪い彼女の答えに不思議に思いながらも、ケガをしていない反対の方の手を引いて寮へ戻ろうとする直後。
突然、近くの木々がガサガサっと大きな音を立て、コウモリが羽ばたいていく姿を目にした。

しかしその瞬間、零が再び勢いよく胸の中に飛び込んできたのだ。

「おっ…おいっ!!」

ふわりと舞うように抱きついてきた彼女を、反射的に受け止めて腕を回す。

『〜〜っ、!』

声にならないほど怯えているのか、視界は強く閉ざし、自身の肩にしがみつく彼女の指先から、微かに震えているのがわかる。

さっきの供用スペースの場の件といい、今のこの状況といい、いったいこいつは何にそんなに怖がってんだ?

誰もいないこの場所で、そこまで怯えている彼女を無理やり引き離すような行為はする気にならず、あご下にある小さな頭にそっと手を乗せ、囁くように尋ねてみた。

「…零、もしかして怖がりか。」

『なっ…!』

ハッとして見上げた零の顔は、恥ずかしいからか顔全体を真っ赤にさせ、言葉を詰まらせる。

どうやら予想は的中したようだ。
それにしても、なんでこの歳にもなって…しかも隠密ヒーローという夜活動する事の多いヒーローが、こうも怯えているのか不思議に思い、そのまま直接彼女に聞いてみた。

「なんでそんなに怖がってんだ。今までそんな様子なかっただろーが。」

『私…映画とかテレビとか、今まであんまり見たことなかったから…今日見た映画、なんか本とかで読んだ幽霊とかお化けとか、怪物とか…あまりにも本物みたいに作られてて…それ見てたら、もしかして本当にいるんじゃないかって思えてきて…そしたら怖くなって…』

目を潤ませてぼそぼそと呟く零は、いつもの様子とはかけ離れた弱々しいもので、それはまるで戦いも何も知らない、まだ幼い子供のような物言いだった。

「…んで、ビビって怖くて寝れねぇから、気を紛らわそうと外で体を動かそうとしてたわけか。」

その言葉に、零は小さく首を縦に振った。

「……」

予想外にも程がある。
この隙もない、弱みも見せないと思っていた、最強ヒーローであり、背中を追い続けている彼女がまさか、こんな幼稚な事で怯むとは。

ようやく何に怖がっているのか理解したものの、さすがにこの抱き合った状況が続くのは気が引ける。
ひとまず今の幼い思考の彼女にとって、“そんなものはいない”などの現実的な言葉を言い聞かせたところで、とてもではないが受け入れてもらえるとも思えない。

しがみついて離れない零の頭にもう一度ポンポン、と手を乗せては、小さく穏やかな口調で声を落とした。

「とりあえず、事情は分かったから部屋戻んぞ。外にいたら、それこそ何がテメェを襲ってくるかわかんねぇからな。」

『ええぇっ?!う、うん…わかった…』

余程怖いのか、やけに素直に従って寮の方へと歩こうとする彼女の隣を歩いてやるべく、らしくもなくその歩幅に合わせて歩き始めたのだった。



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