宣戦布告
ーー完敗だ。
一言でさっきの事態を片付けるとしたら、まさにその言葉が相応しい。
爆豪は適当に理由をつけて、早々に食事を済ませて去っていった零の後を追うべく、一人食堂を後にした。
彼女が向かう先は、大抵人が足を踏み入れない場所が多い。
ひとまず裏庭の人気のない場所へ向かってみると、早くも零の後ろ姿を目にした。
「…おい、零。」
バツの悪そうに小さくその名を呼ぶと、零はビクリと肩を揺らしては、酷く驚いた表情でこちらへと振り向いた。
『驚いたぁ。なんで追いかけてくんの。』
「なんでじゃねぇだろ。ったく、下手くそな演技しやがって……腕見せろや。」
『え?いやいや、大丈夫だって。…………いっ、!』
強がる彼女の腕を強引に引き寄せると、やはり先程自分が振り払った手の甲が赤く腫れており、痛々しい姿となっていた。
平然な顔をしていた零も、流石に触れられると痛むらしく、今は顔を歪ませている。
「……」
その光景は、胸を酷く締め付けさせた。
こうして冷静になってから考えれば、彼女の優しさがよく分かる。
あの時周りに責められつつあった自分の非を少しでも減らそうと、零はあえて仕返しし、この傷ついた手を他のみんなに悟られないよう、隠して昼食をとっていた。
咄嗟とはいえ彼女の配慮がなければ、間違いなくあの場を穏便に済ませることは出来なかった。
「……悪かったよ。」
『……え?』
「だぁーかぁーらっ!!悪かったって言ってんだよ。」
『え?ごめん、私もしかして、殴ったところが悪かったかな…』
「てめっ…!人が素直に謝ってんのになんだよそのっ……!」
『…何言ってんだか。らしくないだろ、爆豪勝己。』
「……っ、」
素直に謝ったらキョトンとした顔を見せ、今度は穏やかに微笑む表情は、いちいち自分の心臓の鼓動を走らせる。
こいつは、どこまでも見据えている奴だ。
こんな女に、適うはずねぇ。
こんな奴に勝とうなんて思う俺の方が、惨めで浅はかだ…。
普段は負けを認めたくないものの、やはり零だけはどうしてもそう思わざるを得なかった。
ひとまず近くの木陰に腰を下ろしては、食堂からここに来る途中でリカバリーガールから拝借した包帯と湿布をポケットから取り出し、零の腫れた手に巻き付けた。
『これ……』
「せめてこれくれぇはしとかねぇと、治るもんも治らねぇからな。……てめぇの事だから、どうせ手当もせず放っとくだろーが。」
『す、すごいな…読心の個性で持ってるの?』
「アホか、そりゃテメェだろ。……普段見てりゃ、こんくらい読めなくてもわかるわ。」
『…そっか。』
零は小さくそう呟いては、無意識なのか口元を緩めたまま、自身の手に包帯が巻かれている光景をじっと見つめていた。
手際よく処置を終えしっかりと固定した後、もう一度零の顔を見つめては、消えそうな小さな声で尋ねた。
「……痛むか?」
零はそれを聞いて、ふふっと声を出して笑った後、首を左右に振って否定した。
『ううん。もう大丈夫。』
「…そうか。」
『変なの。かっちゃんが優しい。』
「……あのな、」
せっかく申し訳ない気分に浸っているにも関わらず、ここまで言われるとやはり眉を顰めざるをえない。
しかし彼女はそんなことを気にもとめず、嬉しそうに笑った。
『手当してくれてありがとう。きっとすぐ治るよ。』
零の言葉に、胸を強く打たれたような気がした。
自分がつけた傷なのに。
手当をするのが当たり前なはずなのに。
どうして彼女はこんなにも優しく、自分を受けいれてくれるのだろう。
「……なぁ、零。」
聞きたかったことがあった。
彼女があの時どうして自分を庇うように振舞ってくれたのか。
普通の女なら、痛いと泣いて完全にこちらに非があるような状況になるはずの、あの環境で。
零がとった行動に理解ができなかった。
『なに?』
「なんであの時、俺を庇った。…俺はテメェの手をこんなんにするまで、咄嗟とはいえ全力で叩いたんだぞ。」
そう言うと、零は「あー…」と怠そうに吐きながら、それに答えた。
『まぁ、確かに一瞬びっくりしたけど……。でも私、個性が発動してなくてもその人が咄嗟にこぼした言葉が本気だったかどうかは、声聞けば大体わかるよ。
あの時かっちゃんは、私自身を拒絶したんじゃない。今心を読んで欲しくないのか…もしくは、一時的に接触を避けようとして出た、咄嗟の反射かなって思ったの。まぁ、その理由までは全然分かんないけどね。』
「……はっ、なんだそれ。」
まるで全て見通されてるかのように、情けなく笑ってしまった。
彼女はそれを見て少し顔を曇らせては、申し訳なさそうな表情をしながら尋ねてきた。
『…ねぇ。もしかして、最近私の特訓が厳しすぎた?…どうも集中すると昔からの癖で口調が荒くなるんだよね…。自分でも直さなきゃって思ってるんだけど、なかなか難しくて……。やっぱり、嫌だよね?』
「…ちげぇよ。あれはお前の性格のただの一部だろ。前にも言ったけど、変に取り繕ったりしてる方がクソムカつくわ。いちいちそんなこと気にすんな。」
『へぇー…。かっちゃんはやっぱり、寛大な男だねぇ。』
そう感心して独り言のように零す零に、自然と声を押し殺して笑った。
ーー寛大なのはどっちだよ。
やっぱりこの時彼女に思ったのは、“完敗”だった。