轟家との休日


零は病室の前で焦凍の母を見て、思わず足を止めた。
大人びた落ち着いた雰囲気に、穏やかな笑み。加えて胸元まである長い髪は、自分とは同じ色とは思えぬほど輝かしいものだった。

「いらっしゃい、焦凍。」

「母さん…具合はどうだ?」

「順調に回復しているわよ。…それで、そちらの方は?」

彼女の目線がこちらに向くと、焦凍が先にそれに答えた。

「前に話しただろ。今うちのクラスに護衛に来てる人がいるって…。今日なぜか親父に会いに家に来てたから、こっちに連れてきた。」

「まぁまぁっ!じゃああなたが零さん?!想像以上にきれいな方だわ。ご挨拶が遅くなってすみません。轟焦凍の母です。いつも息子がお世話になってます。こんな場所ですみません。」

『いえいえ!こちらこそ突然お邪魔してすみません。…服部零です。焦凍くんには、いつもお世話になっております。』


パッと表情を明らめる彼の母があまりにも可愛らしく、直視できず深く頭を下げる。
轟冷という女性は、とても自分と歳の近い子供がいるようには思えぬほど綺麗な人だった。
子供たちがこうして見舞いに来ることを本当に喜んでいるのは、個性を使わなくても表情を見るだけで伝わってくる。

また、三人の子が母を心から慕い、気遣っている優しさも伝わってくるこの場所は、自分にとっては少しだけ居心地の悪い空間にさえ思えた。

“家族”というものが実際どういうものなのか知らない。
自分には一般的で言う“家族”ではなかったし、血が繋がる唯一の父は、いつだってその手を優しく差し伸べてくれるようなこともなかった。
自身に向けられたのは、愛情でも温かさでもない。
ただの殺意と嫌悪の眼差しだけだ。

そんな中でも、とりわけ“母”という存在は正直言って想像しかないものだった。
生まれたすぐに命を落とし、人から離れた山の中だけで育った自分にとっては、母というものが何をしてくれて、どう接してくれるかなどということも想像がつかない。

今目の前に穏やかな表情を浮かべて子供たちの話を聞く冷の姿は、絵に書いたかのような優しい“母”にすら見える。

もし自分の母が生きていたら、こんな風に優しく話をしてくれたのだろうか。それとも、父と同じように自分を恐れ、嫌悪しただろうか。

ーー母がもし生きていたら、産んだことを後悔しただろうか。

確かに生まれる前に発症する個性はわからない。
それでも次期当主にもなれない女の自分を生んで、どうしたかったのだろう。

無意識のうちにぎゅっと拳を握ると、ふと名前を呼ばれて意識を戻した。

「零さん?どうかされたんですか?」

『あ、いえ。…すみません。少し考え事をしてたもので…』

咄嗟にそう答えると、冷は「そう…。」と小さく吐き出し、冬美と夏雄の方へ視線を向けた。

「あなたたち、悪いけど少し頼み事をしてもいいかしら。」

「おう、いいぜ!」

「どうしたの?改まって。」

「実はこれをお願いしたいんだけど…」

彼女は引き出しの中から一枚の手紙とメモ用紙を渡し、二人に手渡した。

「手紙を出してきてほしいのと、そのメモに書いてあるもの買ってきてもらえないかしら。」

「うん、いいよ。じゃあ、行ってくる!」

『え、あの…買い出しでしたらよければ私が…』

「零さんはここでゆっくりしててください。後でまた戻ってきますから!」

夏雄と冬美は早々に病室を出て、大きく手を振ってその場を後にした。
せっかく家族で話す貴重な時間を、自分が残ってしまってよかったのだろうか…。
そう考えていると、残された一人の名も呼ばれてしまった。

「焦凍、悪いんだけどそこの花瓶の水、変えてきて貰えないかしら。」

「あぁ。じゃあちょっと行ってくる。」

『……えっ、あ、あのっ……!』

「すぐ戻るから待っててくれ、零。」

轟家はあっという間に皆病室から出ていってしまい、残されたのは彼女と自分だけになってしまった。
まさかこの状況を作り出したのが、目の前にいるお淑やかな彼女の謀だったなんて、気づくことすらなかったのだった。


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