“なかなおり”の仕方


何だかんだあった一日だったが、ようやく全ての授業も終え、晴れて職務からは解放された。
しかし、肝心な事にはまだ決着がついていなかった。

幸い零が生活上の利き手が左だったというのもあり、食事はスムーズに事を終えたが、最も問題なのはこの時間からの生活だ。

結局何もないといっても、大の大人の異性二人が一つの部屋で夜を明かすというのも教育上まずいのではないかと、職員寮で一夜を過ごすことになったわけだが。

『消太さん、私シャワーは浴びたいです。』

「…」

部屋に来るなり、放った第一声がそれだった。

…言うと思ったよ。
そんな呆れた言葉を心の内で吐き出しては、頭を掻いてどう返そうか考える。
手錠で繋がれてしまった以上、二人がある程度の距離をとることすら敵わない。
かといって一緒に入れる程、いくら興味がないと言っても自制心が保てる自信はないわけで。
こちらの心境を知る事のない零は、随分と気楽なもんだ、と思った。

「あのな…いくら何でも風呂はさすがに諦めるしか…」

『嫌です。お風呂は絶対です。』

「…」

どうやらそこだけは譲れないようだ。
強情に意見を通す零を見て、大きくため息を吐き出し「じゃあ聞くが…」と返した。

「この状況でどうやって風呂に入るつもりだ?大の大人二人だぞ。」

『どうって…普通に入っちゃダメなんですか?』

「ダメに決まってんだろ。むしろ何でいいと思ってるんだお前は。」

『大丈夫!消太さんの裸見ないように、私目瞑ってますから。』

「論点ズレてるぞ。その前にお前自分が女っていう自覚をしろ。」

こつん、と軽く頭をたたくと眉を顰めてうーん…と考えた。

『じゃあ、こうしましょう。』

パッと表情を明らめて、まるでいい案が思いついたかのようにもとれる様子に、今度はなんだ、と呆れた顔で彼女を見つめるのだった。

ーーー

彼女が出した案は意外にも名案だった。
零が入っている間は腕以外を脱衣所で待機させ、反対も同じようにしてはなんとか無事、シャワーを終える事となった。

本当に災難な一日だった…と疲れを実感し、ベッドに腰を下ろしていた体をそのまま倒し天井を見上げる。
すると横で「うわっ!」と声が聞こえた。

当然ではあるが繋がれている以上、彼女も同じように横になっているわけで、その突きつけられた現実に、ため息の深さはましてく一方だった。

シャワーを浴びる事よりも、もっと難関な問題が待ち受けていた事に、改めて実感させられるのだ。
いくら疲れたからと言って、大人へと成長した零が隣にいてしまっては、とてもじゃないが寝付ける状況ではない。
これは徹夜覚悟だな…。と内心諦めをつけていると、隣で寝転ぶ彼女は顔をこちらに向け、小さく笑った。

『なんか…私が子供の頃を少し思い出しますね。消太さんが屋敷に遊びに来てくれた時は、こうやって夜一緒に寝てもらってましたし…なんだか少し懐かしい気分です。』

「まぁ…あの頃はお前もまだ子供だったからな…。ほんと、ここ5年にしてはいろんな意味で随分成長したよ。」

『なんか意味深ですね…。可愛げ無くなったってことですか?』

「お前は今も昔も生意気だし、変に賢いから可愛げはないな。」

『失礼なっ!そこはお世辞でも可愛いって言うとこなんじゃないんですか?!』

「お前にお世辞言ってどうする。だいたい、可愛いって言われて嬉しがるタイプじゃないだろ。」

そう返すと、彼女は少しだけ頬をふくらませて不貞腐れる。
そんな子供らしい様子を見ては、自然に笑みが浮かんだ。
しかし、心身は思った以上に疲労の限界を迎えていたらしい。
大きなあくびが出ると、彼女は顔だけ起こしてこちらを覗き込んだ。

『…消太さん、疲れました?』

「あぁ、そりゃな。こんな事態になりゃ、誰だって疲れるだろ。」

『ふふっ。私もです。でも…こんな事言ったら怒られるかもしれないけど、今日は嬉しい事もいっぱいありました。』

「…嬉しい事?」

そういわれて、今日あった出来事と彼女の様子を思い出す。
とてもじゃないが、嬉しそうな表情を浮かべていたようには思えなかった。むしろ口喧嘩はするし敵の襲撃を受けるし、疲れてしまった生徒たちの事を配慮して手錠を壊す方法を探すのも、明日に延期になってしまった次第だ。
どういう意味なのかを考えていると、彼女はその答えを話し始めた。

『雄英高校に来てから消太さんと一緒にいる頻度は増えたけど…やっぱりお互い仕事がある以上あまり一緒にいる時間はなかったから…でも今日は四六時中一緒に入れたので、久しぶりに楽しかった気がします。』

子供のような屈託のない笑顔を向けてそんな事を言われ、思わず目を見開いた。
言われてからようやく気づいた。
雄英高校にきてから会話はするものの、先日すぐ死穢八斎會の件で合わない日が続いたし、あの時は正直それどころではなかった。
彼女の言う通り、屋敷以外で零と長く時間を過ごしたのは、これだけあった日数の中でも今日が初めてのような気がした。

そしてこの時、もうひとつ分かったことがあった。
零は決してこの二人共に行動しなければ行けないことを安易に捉えていた訳ではなく、今しがた彼女が言ったように、単純に一緒にいることに喜びを感じていたから、嫌がったり困った素振りを一切見せなかったのだ。

同時に、少し無理をさせていたのではないかとも考えた。
今しがた浮かべている彼女の笑顔は、長年の付き合いから考えても、間違いなく心の底から嬉しさを噛み締めているのが分かる。

仮にも全く知らない環境で、今まで避けてきた他人との接触をしているはずだ。
もう少し、気にかけてやれば良かったと後悔しつつ、これからはこういうじっくり話せる時間を極力作ってやろうか、とも考えた。

そんなことを考えている間沈黙が流れたのが気になったのか、今度は眉を下げて悲しげな声を出し始めた。

『…それから、今日の授業の事、ごめんなさい。あれからいろいろ考えたんだけど、やっぱり消太さんの指示を仰ぐべきだったんじゃないかって今更少し後悔してます。』

「まぁ大事がなかっただけいいだろ。今回は状況が状況だったしな…お前はお前なりに、俺たちの事を思って行動をとってくれたんだ。そう攻めることでもなかったかもしれん…俺の方こそ悪かった。」

彼女が素直に謝るのを聞いて、自然とこちらも申し訳ない気持ちになって謝罪を述べる。

そんな会話から、敵との交戦の時を思い出す。
本当に今回は、零の個性の力の威力には驚かされたものだ。
あんなのを体に宿し、更には読心の個性も持っているのなると、彼女は自分たちが普段個性を使う時の倍は体力を消費しているのかもしれない。

「……そういえば、お前あの時以来個性は発動しなかったのか?」

ーー“こいつ、ちゃんとメシ食ってんのか。”

ーー“ちゃ、ちゃんと食べてます!!”

確か記憶が正しければ、心を読んで応えてきたのはそれだけのはずだ。

『そう、ですね。消太さんの心の声が聞こえてきたのは、あの時だけでした。』

そう答える彼女に、不思議と疑問が湧く。
いつもならかなりの時間自動的に個性が発動しているというのに、一体どういうからくりなのだろう。
そして心のどこかは安堵していた。
闇雲に心の声を聞かれてしまっていたら、自分が彼女をどう思っているのか悟られる可能性もある。

そんな事を考えてていると、ずっと黙っていた零が、「もしかしたら…」と小さく零した。

『…もしかしたら、心が安定してたのかもしれないですね。』

「心が安定?どういう理屈だ。」

単純に疑問に思ったことを口にしただけだった。
しかし彼女は微かに頬を赤らめつつ、眉を下げて言いにくそうな表情を浮かべる。

こういう顔をする時、何としても吐かせてやりたくなる。最もそんなストレートな事は口が裂けても言えないので、いつもの様に目を細めて催促した。

「勿体ぶらずに言え。」

『言いますよ!言いますけど…笑わないでくださいね?』

笑う?なんでだ。
そんな彼女の前置きを不思議に思いながら尋ねると、ようやくその答えを吐き出した。

『その…今日1日、いろいろ不安に思ったり、不安定な気持ちになったりしなかったんですよ。私の読心の個性は、割と気持ちが揺らいだり、相手がどう思ってるのか気になったりしちゃうと発動したりするケースが多いので…一番の理解者である消太さんが、ずっと隣にいてくれたので、その、心が休まるというか、安心したという感じで…』

「……そう、か。」

徐々に恥ずかしいのか小さくなっていく彼女の声に、心無き返事が零れた。

だって仕方がない。
“隣にいて安心だ”などと、真っ向からストレートに告白する方が悪い。
頭の理解が追いつかない状態になりつつも、何とかそれを悟られぬよう必死に冷静さを保つことに集中した。

しかしそんなこっちの気も知らない零は、最後に爆弾の破壊力並みの発言をこぼしたのだ。

『あとね…今日は近くにいたせいか、何だか消太さんが本当に大人の男の人に見えて…ドキドキし……た……』

突然そこで彼女の声が途切れ、何事かと顔を隣へと向けた。
すると無防備な事に既に目を閉じ、すぅすぅ、と小さく息をして眠りについていた。

「…オイ。そこは最後までちゃんと言えよ。っていうか寝付くの早すぎだろ。」

一番続きが気になる話だっただろうが。という感情を抱きつつ、またしても大きなため息に乗せて吐き捨てた。

彼女を起こさぬようそっと抱き上げ、全身をベッドの上に優しく下ろし布団をかけてやる。
零が寝てしまったのでは、自分も寝るしかない。
至近距離で心地よさそうに眠っている彼女に少し苛立ちつつも、あまりにも幼く可愛らしいその寝顔に心が和んだ。

「……ったく、可愛い顔して寝やがって。」

突然無意識に零れと言葉にハッとし、口を慌てて覆った。

ーー知ってしまった。
彼女を愛おしいと思う気持ちも、このまま見守り続けたいとハッキリと断言出来る気持ちが自分にあるという事を。

「…頼むから、俺の手の届くところにいてくれよ…」

本人に聞こえるはずのない独り言を零し、もう一度じっと彼女を見つめた。

きっと彼女は、こんな気持ちを抱いているなんて知りもしないのだろう。
いや、知ってしまったらぎこち無い関係になりかねない。
今より遠ざかる可能性がある事は、できる限り避けたいのだ。
零が幸せになるのなら、誰の手を取ってくれても構わない。
だがもし彼女が望んでこの手を取ってくれるというのなら…

感情が膨らんでく中、どんどん欲が深くなっていく自分に気づき、はぁっとため息を零して強制的に思考を止めた。

ただ、目の前にいる以上何もしずにはいられなかった。
せめてもの反抗として眠っている彼女の手を取り、指を絡めてそっと優しく握りしめた。

「…このぐらい、多めに見ろよ。」

そんな言い訳を零しては、零が隣にいる事に余程心が安らいだのか、気づけばいつの間にか意識を手放していたのだった。



10/11

prev | next
←list