“なかなおり”の仕方


相澤消太は、これまで歩んできた人生で最も絶望的な状況だと言ってもいいほど、この現状に頭を抱えていた。

冷静になって解決策を考えたいにも、視界にチラつく一人の姿がどうしてもその邪魔をする。

そして最も問題なのは、心の中ですら迂闊に小言も零せないという、一瞬たりとも気の抜けない事だ。
彼女の持つ個性、“読心”はコントールが難しいため、いつ発動するかも気まぐれのため、常に何を考えるか意識しなければいけない。
別にこれといってやましい事を日頃から考えている訳では無いが、この状況とあらば話は別だった。

細い彼女の右腕と、自分の左腕に起きた状況を再度見つめ、深い溜息をこぼす。

こんな事になったのは間違っても故意ではなく、事故だ。

そしてその経緯はと言えば、珍しく早く起きた今日の早朝に遡る。


ーーー

「……おいお前、何してんだ。」

「おはよう。」よりも先に、出た第一声はそれだった。
眉間に皺を寄せて険しい顔と共に、怒りを諭す様な低い声。
出勤まで時間があったので、少し身体を動かそうと学校裏の公園に来たら、なぜか療養中のはずの人物の影を見つけてしまったのだ。

前方にいる彼女の背中は、肩から全身でビクリッと跳ねた反応をとり、恐る恐る振り向いた。

『おっ……おはようございます。朝、早いんですね。』

引き攣った笑みを浮かべる彼女に、更に目を細める。

何をしているのかと尋ねたのに対し、全く持って触れていない返事だが、彼女の動きやすいジャージとTシャツ姿に加え、ストレッチをしている光景を見た時点で、既に何をしていたかは明白だ。

まだ先日生死をさ迷っていたばかりだと言うのに、何を考えてんだ。と言わんばかりの目を向けては、大きく息を吐いた。

「俺の言った言葉、もう忘れたのか?」

『忘れてないですよ!だから無理はしてません!でも、ちょっとくらい体動かさないとすぐ鈍っちゃうんで…』

「鈍らん。」

きっぱり否定し、冷たく吐き捨てた。

むしろ少しくらい鈍って欲しいくらいだ、と内心思う。

幼い頃から戦いの耐えない環境にいた彼女は、正直言って滅法強いし、闘いのセンスも誰もが認める実力者だ。さすが、わずか13歳にして隠密ヒーローの特殊資格を会得しただけある。
ただそれ故に単独行動、危ない事にも平然と首を突っ込み、引くことを知らない性格になってしまったのには、密かに頭を抱えている。


ちなみにもっと本音をこぼすのであれば、少しくらい守らせろ、と言ってやりたい。
異性で、しかも年下の彼女が勇ましすぎるが故に、彼女を見守る男のひとりとしては、正直複雑なのだ。

たまには大人しく守らてもいいだろう。
そう本音を言いたいも、その言葉はきっと彼女には響かない。
だからせめてその言葉を吐き出すように、大きくため息を零した。

『そんな怒らないで下さいよ……。本当に無理はしてないんです。ほら、私他人からの治癒能力は受け付けれませんけど、自身の持つ治癒能力が結構高いんで、傷もほとんど塞がってます。ほら。』

「……そういう問題じゃないだろ。ていうか、無闇に腹を見せんなっ!」

『え?なんで?』

しれっとTシャツをめくり腹部をチラッと見せる彼女の服を、慌てて強引に下げた。

警戒心も異性としての認識ゼロか、この野郎。

頭の中でそんな言葉が浮かんでは、彼女の不思議そうな表情をみて、呆れるあまり消えていった。

『最近の消太さん、怒りやすい。鬼みたい。』

「はぁ?お前がいらん事ばかりするからだろ。ちなみに俺の怒りはお前の心配の延長線だ。怒られたくないなら少しは自重しろ。」

『えーっ!』

何が、『えーっ!』だ!!と、更に怒りを込めて言おうとしたその時、突然見知らぬ声が割り込んできた。

「ダメだよ!“ふうふ”が朝からケンカしちゃ!」

『「え?」』

言い合いに夢中になっていて、人の気配に全く気づかなかった二人は、思わず驚きの声をあげて振り返る。

すると、腰に手を当ててじっとこちらを見つめて頬を膨らませている少年が仁王立ちしていた。

『こ、子供?』

「なんだってこんな早朝に…」

「ママが言ってたよ!若いうちから“ふうふ”がケンカしてちゃダメだって!ケンカが多いと“リコン”ってやつになるんだよ!」

「…ふうふ、ね……」

外見と話し方からするに、まだ小学校にもあがっていない幼い子だろう。
言葉の意味がまるで分かっていない。
そもそも夫婦でもないし、恋人でもないし、喧嘩をしている訳でもない。
突っ込むところが多い故になんて返そうか悩んでいると、彼女が少年の目線に合わせるようしゃがんで、優しい声で話しかけた。

『あのね、今のは喧嘩じゃなくて…』

…誤解をとくスタートからズレている。
まず先に関係性を否定しろ、と言いたくなるも少年の声が彼女の声を遮るように大きく出た。

「だから僕が“なかなおり”させてあげるよ!とっておきの魔法だっ!」

「『…?』」

全くこちらの話を聞くことも無く、少年は二人の手に自分の手のひらをかざし始めた。

一瞬だけ眩しい光が視界を遮り、消えたかと思えば今度は信じられぬ光景を目にして、ぎょっとした。

「なっ、なんだこれは……!」

「お姉ちゃんたちが“なかなおり”出来るように、僕がふたりの手を繋いであげたんだ!ママが夫婦の“キズナ”を深めるには、いつも一緒にいるのがいいって言ってた!」

『ちょっ……これって……』

彼女もどうやら激しく動揺し、今しがた起きた現実を受けいられない様子だった。

しかし、少年にこちらの慌てようは一切伝わっておらず、いい事をしたような満足気な顔をして、くるりと踵を返して走り出した。

「じゃあ、がんばってね!」

「……は?!ちょっと待て!これ外していけ!」

『ちょ、ちょっとまってよ!君っ……!』

振り返って手を振りながら去っていく彼は、思いのほか足が速く、追いかける間もなく早々に姿を消していった。
そんな光景を、互いに唖然とした様子で見送っては、再び各々の腕に視線を戻した。

どちらかが腕を動かすと、小さくチャリ、という鉄が擦れる音が鳴る。

少年が二人の片腕にかけた魔法は、いつ解けるかもわからない、強制的に離れられなくするための“手錠”だったのだった。


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