あなたの視点


『えー、この問題わかる奴いるか?……はい、八百万。』

いつもと同じ、いつもと変わらぬ1-Aの授業風景。
黒板の前に立つ“相澤”は、何ら昨日と変わりなく授業を進行していた。
相澤はHRから午前最後の授業のこの時間まで、零の演じる“相澤消太”に驚きを隠せずにいた。
口調や仕草だけじゃない。授業の進め方、普段意識する目線。生徒一人一人に対する接し方全てが、完全に自分にしか見えない。
今回中身だけが入れ替わってしまったという事実を知らなければ、自分だけが幽体離脱でもして過去の姿を見ているかのような気分にすらなった程、彼女の演技は完璧だった。

午前の授業が終わるチャイムが鳴る。
彼女は生徒たちに何ら違和感を与えることなく、午前の部を終えた。

『お前ら、ここテストに出るからな。しっかり復習しとけよ。んじゃ、今日はここまで。』

「……っ、」

いつもの癖で吐き出しそうになる言葉を、彼女が先に吐き出した。
完璧だ。まさに本人と言おうとした発言が丸かぶりだなんて、アイツの頭はどうなってるんだ。

動揺を隠しきれない相澤は、授業を終えて早々に去っていく彼女の背中にしばらく呆然としていた。
しかし、ふいに突然零という名を呼ばれて、はっと我に返った。

「零、どうかしたのか?なんか今日、いつもよりぼーっとしてるような気もするが。」

「うわっ、ち、かっ……!」

突然顔が触れそうな位置に轟の顔が現れて、思わず体勢を崩して危うく窓から落ちそうになる。
轟は慌てて腕を掴んでは強く引っ張り、今度は躊躇なく相澤の額に手を当てた。

「なっ、……」

「…熱はねぇみてぇだな…良かった。でも、マジで大丈夫か。」

相澤は初めて零の目線から見る光景に、動揺を隠しきれなかった。
轟が普段から零を気にかけているとは知っていたが、まさかこれほど近い距離で接し、こんなにも優しい顔を見せていたとは。
本当に彼女自身が、今までどれだけ無防備で彼らと接していたのだと思うと、呆れて何も言葉が出てこない。

「轟くん、食堂行かないの?って、零さん、どうかした?」

今度は緑谷が様子を見にこの場にかけてくる。
彼は何かと零を気にかけてはいるが、轟のような感情は持ち合わせていない事は知っていた。
いつまでも轟と二人きりでいると別の意味で心臓が持たないので、彼の登場には密かに胸をなでおろした。

「なんか、いつもよりぼーっとしてる気がして。熱でもあんのかなと思ったけど、なかった。」

「え、零さん、体調悪いの?保健室行く?」

「あぁいや、大丈夫だ…です。」

「「……?」」

咄嗟にいつもの口調で返しそうになりつつ、慌てて訂正をする。
やはり何処と無くいつもと様子が違うように見えるのか、二人は大きく首を傾げた。

「まぁ、大丈夫ならいいんだが…。今から食堂行くけど、お前は今日どうする?」

「え、あ、いや、今日はいいや。私、ちょっと行きたいところあるし。誘ってくれてありがとう!」

「そうか、分かった。」

「じゃあ零さん、また後で。」

何とかそつ無く接することができたようで、緑谷と轟は疑うこともなく教室を去っていった。

ようやく一人になり、ほっと胸を撫で下ろす。
ひとまず昼は一旦零と落ち合おうと教室を出ようとした時。
扉の前で爆豪がいきなり現れては、酷く怪訝そうな顔でズカズカと歩み寄ってきた。

「わわっ、……!」

あまりに至近距離まで詰めようとする彼に、自然と身体を後退させる。
しかし爆豪は足を止めず、結局窓側まで追われて行き場をなくし、渋々目の前の彼と向き合った。

ーー爆豪は勘がいいからな。…もしかして、バレたか?

心の中でそう焦りを抱きつつ、ひとまず「なに?」
と尋ねてみた。

「おい零、なんかお前今日変だろ。」

「へ、変?何が……?」

彼の突拍子もない鋭い発言に、ビクリと心臓が飛び跳ねた。
爆豪は鼻が触れ合いそうな近い位置まで距離を詰め、更に眉間に皺を寄せてこう言った。

「とぼけんじゃねぇよ!いつも以上に相澤先生見てぼーっとしてやがんだろーがっ!」

「……」

それについては否定できない。何せ、彼女が演じる自分があまりにも完璧すぎて見惚れていたからだ。

しかし爆豪はその後、しばらく何か言いたげな様子のまま、口を渋らせる。
小さく首を傾げると、彼は消えそうなほど小さな声で呟いた。

「な、なんか悩みでもあんのかよ……」

「え。」

「二度も言わせんじゃねぇッ!何か悩みがあんのかって聞いてんだよ!」

「……」

なるほど。言葉や聞き方はともかく、彼なりに零の事を気にかけているというのは理解した。
自分の目線から見る爆豪からは正直想像すらつかない姿だったが、耳まで赤くしてムキになって尋ねてくるあたりは、よほど零を気にかけている証拠だろう。

「…何も無いよ。普通に授業聞いてただけ。」

限りなく零に近い口調をイメージしてそう答えると、彼は少しだけ肩の力を抜いた。

「…ならいいけどよ。テメェは半強制的に喋らせねぇと一人で抱え込むタイプだからな。」

「え、うん。よく分かってるね…」

咄嗟に漏れた感想に、彼は再び怪訝そうな顔で“はぁ?!”と返す。
しかし再び何かを堪えるようにグッと拳を握りしめ、口を紡いだ。

「…っ。なんかあったら、ちゃんと言えよ。」

「……うん、ありがとう。」

ガサツな言い方ではあるが、口数の少ないちゃんと零を見て気付こうとしている彼の優しさが伝わってくる。

爆豪はらしくもない自分に苛立ちを覚えたのか、大きく舌打ちした後、“飯食いに行ってくらぁ”と吐き捨てて早々に去っていった。

相澤はようやく一人になれたことに大きく息を吐き出しては、初めてその身をもって知った零と生徒の距離感に、嬉しいと思う反面複雑な感情を抱き始めていた。

「…零って、案外年下にもモテるんだな。」

誰にも聞こえない嫉妬の言葉を吐き捨てては、早々に“相澤先生”の姿を探そうと教室を後にしたのだった。



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