あなたの視点


夕方になり、児童養護施設との交流もそろそろ終わる頃。

施設長が何か思い詰めた表情をしているのを目の当たりにした零は、彼女に声をかけた。

『施設長…何かお困り事でも?』

「あぁ…零先生。」

マイクが離れた位置で園児達と戯れているのをぼんやり見ていた相澤も、彼女の声に反応して振り返った。

「既にこれだけたくさんの子供達を見て頂いた中で申し上げにくいのですが…実は、先生方にもう一人だけ見て頂きたい子供がおりまして…」

「『……?』」

相澤と零は首を傾げて目を合わせる。
施設長は申し訳ない気持ちを全面に出しつつも、二人を奥の部屋へと案内した。

『…施設長。少しだけ、席を外していただけますか?』

「え、あの、お任せしてしまってもいいんでしょうか…」

「構いませんよ。何か問題があればすぐにでもお呼びしますから。」

相澤は零の要望を押すように、施設長にそう告げた。
彼女は軽く頭を下げたあと、“マイク先生のところにいますね”と小走りでかけて行った。

零は一呼吸した後、ドアを二回ノックしてゆっくりと扉を開ける。

相澤はひとまず彼女を見守るように、その後ろ姿の後を追うように部屋へと足を踏み入れた。

『こんにちは、[#ruby= 取替光牙_とりがえこうが#]くん。』

そう彼女が呼びかける声は、優しさが徐に伝わるものだった。

机に向かっていた少年は名を呼ばれてピクっと肩を揺らし、顔をこちらへと振り向ける。

しかし、その小さな少年の目は余りにも幼子とは思えぬほど絶望に満ち、生気を失っているようにもとれ、相澤は思わず息を飲んだ。

まるで死んだ魚の目だ…。

そう思う反面、どことなく出会った当初の零の目と似ているような気がした。

「……なんですか?あなた達。」

光牙が発した第一声は、警戒心むき出しのものだった。零は密かにフッと口角を上げて、向かい立った彼に返した。

『施設長からご依頼を受け、今日一日だけこの施設の子供たちの個性についての悩み事や話を聞きに来た、零です。あちらは相澤先生。よろしくお願いします。』

「俺は別に頼んでないですし、あんた達に相談することも話すことも何も無いです。」

「……」

口には出せないが、相当拗れている様子だと思った。
他人を信用していない目、拒絶を表す刺々しい言葉。

施設長がここに来る前に簡単に話を聞いたが、ここにいる子供たちの中で誰よりも深刻で心に深い傷を負っている少年だった。

両親は個性を悪事に利用してヴィランとなり、少年は親を失い、ここへとやって来た。
当初はまだ個性も分からぬ幼子に、親の残酷な真実を告げなければならない施設長は、心を痛めながら彼に全てを話した。
しかし、彼はこう言ったという。

ーー“じゃあ僕は、もう皆が悪いことをしないように、ヒーローになる!”

そう告げた少年は、夢に溢れて輝かしい目をしていた。
けれども実際、そう上手くは行かなかった。
もう14歳にもなるというのに、個性は未だ発動できる様子がなく、周囲には“無個性”だと茶化される。
少年にとってただ一点の光だったその希望は、徐々に可能性のない未来へとなってしまい、酷く心を閉ざしてしまったそうだ。

さて、零はこの少年になんと声をかけるのだろうか。
相澤はドアにもたれかかりながら、彼女と夢を失った少年のやり取りを観察した。

『…施設長に聞いたんです。君の個性の話。両親の話。相当辛い思いをしたんでしょうね。』

「……っ、あんたに何がわかる!今そうやってヒーローになれたあんたに…幸せの家庭に育ったお前に分かるわけないだろッ!」

幼い少年の言葉に、相澤は密かに苛立ちを覚えた。

ーー知らないのはお前の方だ。

彼女が今までどんな家庭で育ち、どんな過酷な道を歩んで今その場に立っているのかという事も。

しかし当の本人である彼女は、変わらず穏やかな口調でこう言った。

『君の言う“幸せの家庭”って、なんですか?両親共に健在で、一緒に暮らせることですか?それとも、ヒーロー向きの個性を宿した人のことですか?』

「……っ、だから……!」

『ごめんなさい。偉そうに来ておいてなんですが、正直に言えば、私も世間一般の家庭を知らないし、親からの愛情がどんなものかすら知らないんです。』

「……えっ、」

少年は、彼女の表情を見て驚いた。
相澤に零の顔は見えないが、その声色を聞けば情けなく笑みを浮かべている様子が悟れた。

『…だから君が考えている理想の環境がどんなものなのか、私にはわかってあげられない。でも、君が今どんな気持ちでいるかは、少しくらいは共感できる部分があるんじゃないかと思うんです。』

「……もしかして、あんた…」

『全てを語るつもりはありません。私の過去の話なんてしたところで、何も面白くはありませんから。…ただ、無個性かも知れないと不貞腐れてしまっているあなたに、一つだけ。』

「ふ、不貞腐れてるって……!」

『人々を救う事ができるのは、何もヒーローだけじゃないんです。個性に恵まれたからって、誰もがヒーローになれる訳じゃないんです。君はまだ、視野が狭い。世の中にはどんな人達がいるのか…どんな事をして人々を守っている人たちがいるのか…どうせなら全てを知ってからへそを曲げてみませんか?』

少年の言葉を遮るように放った彼女の言葉は、いつか前に相澤が彼女に言った言葉と似ていた。
“お前はまだ、たった十数年しか生きてないだろ。視野が狭いんだよ。もっと周りを見てみろ。お前に救われているやつは、既に五万といるんだよ。”

彼女が自分は無力だと嘆いた時、確かにそう言ったことを覚えている。
まさかそんな事を言われたあの小さな女の子が、今こうして誰かに視野の狭さを指摘する日がくるとは…。

そう思った相澤は、フッと息を吐くような笑みを浮かべた。

「…皆を救えるのが、ヒーローだけじゃない…?」

『そうです。それに君の個性診断の話も聞きましたが、“無個性”と断言された訳では無いでしょう。判断ができない…または、個性の性質が分かりづらくて判明できてないという可能性もあります。…だから、落ち込むにはまだ早いですよ?』

「……」

すんなり言葉が出てくる彼女に、相澤は敬服した。
彼女は多分、今言ったことを一度は考えたことがあるのだろう。
隠密ヒーローを目指すというのは、そう簡単な話じゃない。ヒーローよりも更に上へ行く者のみ得られる称号だ。
きっと何度もそうやって、ヒーロー以外の道を探しては、今この場に立っているのだろう…。
相澤は小さく息を吐き、組んでいた腕を解いた。

「まぁ今ので大方察したと思うが、コイツはお前の環境と少し似て育った所があってな…。今こうしてすました顔はしてるが、それなりにいろんな辛いことを乗り越えてきた。今のお前の気持ちを身近で組んでやれる奴がいるとしたら、間違いなく零だ。」

「お姉さん、が…」

失った光を微かにとりもどしたかのような瞳。
零を“あんた”呼ばわりから“お姉さん”に昇格した呼び方。
この少年にとって、零の言葉は強く響いたのだろう。

「で、でも環境が同じでも、個性はちゃんとあるんだろ!今こうしてヒーロー活動してるんなら…!」

そう尋ねた少年に、零は“あー…”と歯切れの悪い返事をして、目線を合わせるようにしゃがみこんだ。

『じゃあ、君だけに特別教えてあげよう。私の個性はね、触れた人の心を読み取る“読心”。あ、言っておくけど、今のところ君には触れてないからね?!読み取ってないよ!』

「心を読む……」

「お世辞でもヒーロー向きな個性とは言えないだろう。でも零は、ヒーローになるために己の体を鍛え、今はこの国を支える立派なヒーローだ。俺はこいつに、個性が強くなくてもヒーローになれる道があると教えてもらったよ。」

親指で零を指すと、彼女は恥ずかしいのか頬を赤く染めて声を荒らげた。

『ちょっ、消太さん!褒めすぎ!今ここで言われると恥ずかしいのでやめて下さい!』

「お、おぉ…悪い…」

至近距離まで顔を詰める彼女に後退りながらも謝る。
すると少年は、ようやく心を開き始めた。

「……零先生…相澤先生俺、本当は見返したいんだ。親がヴィランだから、子供もまたいつ犯罪を犯すかもしれないって言われるの、もう嫌なんだ…だから、例えヒーローじゃなくとも、今の世の中を平和にしたい!人を助けたい!…だから、その…教えてくれないかな?俺にもできること…」

『もちろんです。』

「あぁ。」

顔を見合わせて二人がそう答えると、少年の顔に笑顔が戻った。

そして零はもう一度目線を合わせ、彼にこう言った。

『でも、まずは健康的に生活するようにすること。日中は外で遊ぶ。ご飯はしっかり食べる。無理のない程度に勉学を学ぶ。話はそれからです。いいですね?』

「……うん!」

『今日はもう帰らないといけないので、私の連絡先を施設長に伝えておきます。話したくなった時は、いつでも連絡してきて下さい。』

「……先生、ありがとう。」

『施設長は、君のことを本当に心配されてました。例え実の親じゃなくても、施設長から君への愛は本物です。だから、あまり心配かけないようにしないとダメですよ。』

「……うん。」

零は彼の頭を何度も撫でた。
最初は手に負えない獣のような警戒心を持っていた彼も、ものの数分で頬を赤らめて嬉しそうな顔を浮かべていた。
そして不思議そうに、彼女に尋ねた。

「…零先生、ほんとよく分かるんだね。先生にも、そんな家族みたいな人いるの?」

零は少し驚いた表情をする。
そして、柔らかい笑顔を浮かべてこう言った。

『…いますよ。決して私の手を離さず、ずっと優しく見守ってくれる人が。私はその人のおかげで、人への愛情や誰かを大切に思うことを学びました。かけがえのない、大切な人です。』

彼女の答えに、後方にいた相澤が硬直してしまう。
少年はそれを見て“そっか”と言いながら、満面の笑みを浮かべたのだった。


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