朧月
相澤はいつもと同じように教室内と入る。零もそれに続き教室へと足を踏み入れると、その姿を見た瞬間、生徒たちがざわつき始めた。
「みんなおはよう。今日はお前たちに重大な発表と紹介したい奴がいる。」
どの生徒たちも、初めて見る彼女の姿に驚きの表情を隠せない。
そんな中で、その小さな手がきゅっと音を立てて拳を作るのを横目で確認した。
『初めまして。今日から相澤先生のサポートに着くことになりました、服部零です。よろしくお願いします。』
深々と頭を下げる凛とした姿勢に反し、声は微かだが震えている。
彼女にとって、最も恐れる相手を前にしているからだ。
昔から何の根拠もないのに、その身に生まれ持った個性と白と変わってしまった髪の色のせいで、彼女は鬼のような化物だと、近所の子供たちから恐れられたらしい。
どれだけ酷く、どれだけ冷たい目で見られたかまでは実際に見た訳では無いが、無意識に歳の近い相手を避けるようにしている辺りからして、余程嫌な思いをしたのだろう。
友達もできず、家族にも見放された彼女が負った傷は深く、大きい。
それでも必死に前を向こうとする彼女の強い心に敬服しつつも、説明を始めた。
「今回零にきてもらったのは、先日の林間合宿、並びにUSJの敵連合の襲撃事件のようなことが今後ないよう、学校のセキュリティを強化する方針に変わったからだ。彼女はウチのクラスを中心に…特に校外での授業には付き添い、寮生活の警備任務に当たってもらうことになっている。お前らと大して歳は変わらんが、これでもプロヒーローに身を置く存在だ。彼女から学べることもあるだろう。」
そう告げると、彼らの目が彼女へと向き輝きを灯し始める。
ヒーローを目指す生徒にとって、身近なプロヒーローがまた一人増えることに感動を覚えているのだろう。
「先生、質問をお許しください!」
ガタン、と椅子から勢いよく立ち上がり、背筋に沿って腕をピンと伸ばす飯田を見て、零がビクリと肩を震わせた。
「…なんだ。」
「その前に…服部先生、とお呼びしたらいいんでしょうか。」
『教師ではないので“先生”はつけないで欲しい。それと、訳あって苗字で呼ばれるのは得意ではないので、下の名前で呼んでもらえると助かります。』
即座にそう答えた彼女の表情は、笑みひとつさえ浮かんではいなかった。
それもそうだ。馴れ合いのために下の名前で呼んで欲しいと言っている訳では無い。
彼女にとって、服部というその血筋自体が受け入れられないからだ。
飯田は淡々と話す零に少し動揺しつつも、質問を続けた。
「で、では零さん…大変恐縮なのですが、僕はあなたを見たことがありません。プロヒーローというお話でしたが、どちらの部署に所属されていらっしゃるのか、お教え頂けますでしょうか!」
「……」
ヒーローに憧れる者として、目の前にいるプロに好奇心を抱くのは無理もない。
しかし彼女はそれにどう答えるのか。
こればかりは口を挟めないので、彼女にその返しを任せた。
『…どちらの部署にも所属していません。そして私のプロヒーローとしての活躍においても、今まで報道された事は無い。』
「それって結局、資格だけ持ってるけどマイナーってことなんじゃねぇのかよ。」
どこかから聞こえてくるその突き刺さる言葉に、零は顔を向けた。
ーー爆豪、か。
自分が認めたヒーロー以外は、相変わらず容赦がない。
特に訳あって名も知られないように徹底している彼女からすれば、相性が悪いのは免れないだろう。
口を挟むべきか、見守るべきか。
そう考えているうちに、爆豪の言葉を否定する声が上がった。
「ち、ちがうよかっちゃん!!零さんは、マイナーなんかじゃないよ……」
「……はぁ?!んだよデクッ!知ったような口聞きやがって!」
「あえて報道やヒーローの活躍を公にしないようにしているんだよ。そうじゃなきゃ、零さんの仕事が成り立たないから……」
「緑谷、お前もしかして…」
緑谷の彼女を知っているような発言に驚いた。
彼女はじっと立ち上がった緑谷を見つめ、独り言のように小さく呟いた。
『驚いたな…まさか君がこのクラスにいるなんて。』
((((わ、笑った…?!))))
クラス全員が、彼女の顔を見てあっと驚く。
今まで笑顔のひとつすら見せなかった零が、緑谷の姿を見ただけで、微かに笑みを浮かべているからだ。
相澤自身もそれには動揺を隠せず、思わず彼女に尋ねた。
「緑谷と面識があったのか。」
『えぇ、以前仕事中に接触したことがあって…。まぁ、このクラスの皆とほぼ毎日顔を合わせることになる訳なので、言わずとも知られる事になるとは思いますが……それまでは。』
緑谷に向けて、人差し指を立てて口元へ添える。
そんな彼女を見て、緑谷は動揺しつつも小さく頷いた。
『私のヒーロー名は、皆さんが悟る日が来るまでは明かしません。そしてもし私が何者かわかった時も、出来れば口外しないようにして欲しい。これはあくまでもお願いなので強制はしませんが……私はヒーローとしてではなく、一個人として、君たちを護るつもりでいます。』
凛とした声が、生徒たちに届く。
彼女の姿勢を理解したのか、生徒たちは各々でそれに返した。
「口外なんてしねぇ!約束する!」
「零さんの仕事に困るようなことは、私たちだってしたくないしね。」
「そもそもどのヒーローなのか、全然思いたる節がないがな。」
「俺たちにとっちゃ、“零さん”は“零さん”って事でいいんじゃねぇの!」
その言葉が予想外だったのか、零は穏やかな笑みを浮かべて、小さく“ありがとう”。と返したのであった。