背中


ホークスは病院に到着して受付で状況を確認した早々、急ぎ足で病室へと向かうハメになった。
つい数時間前に運ばれたエンデヴァーと零の容態を聞き、血相を変えて真っ先に向かった病室は彼女の方だった。

「零ッ、!」

今日が初対面。という設定すら既に忘れて、彼女の名前を叫ぶと共に病室の扉を開ける。
最後に彼女を見たのは、荼毘と接触するために変装した零の姿だった。
しかし扉を開けて最初に目に映りこんだのは、よく見なれた白髪の姿で、白いベッドに横たわり、酸素マスクと医療機器に囲まれた、青白い肌の零だった。

「し、静かにして下さい!……っ、ホークス?」

突然現れた訪問者に、看護師が怒鳴りつける。しかしその扉の前に立つ姿を見て驚き、口をぽかんと開けてその名を呟いた。

目の前の予想外の光景に、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
確かに突然の戦闘において、彼女は体を張ってくれた。しかし病院に運ぶ前の彼女は、目立った外傷もなかったはずだ。
だから慣れない救命活動に疲れたか、個性の過度な使用で少しだけ体に負担がかかった程度かと思っていた。
それが今、目の前にいる彼女はどうだろう。
彼女を今まで見てきた中で、こんなにも弱々しく人間らしい姿を見たのは初めてだった。

おぼつかない足で零の方へとゆっくり歩み寄ると、まるで人形のように静かに眠っている様子だった。

「…先生、彼女の容態は…」

隣にいる白衣の裾を無意識に指で摘まんだ。

“大丈夫だ”と言ってくれ。“大した事ないから、すぐに退院できる”みたいな安心させてくれる答えをくれ…。

そう心の中で必死に叫ぶも、自分の震えた声に返ってきた言葉は思いもよらぬものだった。

「まぁ、幸い命を落とすまでではないでしょうが…危険な状態ではあったと思います。…というより、情けない話分からないんです。」

「…分からない?どういう事ですか?」

ホークスは初めて医者の顔に目を向けた。
まだ四十代そこそこの柔らかそうな雰囲気をもつその男の医師の顔が、少しだけ悔しそうにさえ映った。

「私の知識では…いえ、彼女は一般的な医療知識ではどうしよも対処できません。外傷がないのに呼吸困難になっていたようですし、吐血された後も確認できました。ただ、身体検査を行っても異常は特に見られなかったんですよ。なので考えられる可能性としては、“個性使用の反動”としか言いようがありません。」

「…個性の反動だけで、こんな…?」

「……まぁ、あくまでも可能性の話ですが。正直私も初めて請負いましたよ。こんな恐ろしい反動を持つ個性があるなんて…」

そう嘆く医者を他所に、ホークスは再び目線を彼女の方へと戻した。
確かに幼い頃から零を知ってはいた。もちろんその強さも、その身のこなしとヒーローとしての実績も優に認めていた存在だ。
そして彼女が持つ“読心”と“結界”の個性も随分前に彼女の方から明かしてくれた記憶がある。
しかし、個性の使用の反動がこれほどまでも生命に関わる程重たいものだとは聞いた事もない。

大抵の症状は、体内の臓器に異常が発生して現れる事が多いが、頭痛、めまい、吐き気、腹痛…過度な使用をしたとしても、数日動けなくなる程度のものがほとんどだ。

ーー“個性の強さと反動は比例する”。

そんな理論を述べている学者がいた。
もしその話が事実なのだとしたら、この華奢な体に抱え込む個性はどれほどの強さなのだというのだろう。

ホークスはぐっと拳を強く握りしめ、奥歯を噛み締めた。
零は恐らく、人々を助けるために個性を躊躇なく使用し続けた。
途中で現れる脳無を抑えるために、その身に培った戦闘術で対応した。
今回の事態は自分でも想定外だったとはいえ、本来巻き込まないようにと遠ざけたはずの彼女を、結局頼りにし、甘えてしまった結果がこれだ。

「…彼女の体を一番把握しているかかりつけ医等が分かればまだ改善の余地はありますが、私のような一医者の立場では彼女の身元を含め、細かい情報を得られませんでした。…ホークス、この方ともし親しい間柄にあるのであれば、どなたかと連絡を取っていただけませんか?」

「…分かりました。連絡入れてみます。」

必死に絞り出した声は、何とも弱々しいもので。
しかし医者はそんなホークスの姿を見て、小さく安堵の笑みを浮かべては、看護師と共に病室から出て行った。

「…っ、俺のせいだ…」

病室で彼女と二人きりになった瞬間。悔しさと自分への苛立ちを覚える。
これからたくさんの事を知って、いろんな人と出会って、幸せになって欲しい。
そう切に願っていたはずの自分が、彼女を闘いに巻き込み、結果として負担をかけてしまった。
唇を強く噛み締めるあまり、つぅっと血が伝い落ちる。
しかしそんな事に気づかぬほど、自身を責め立てる事ばかり考えていた。

するとふと、握っていた拳に冷ややかな感触が走る。
ハッとして顔を上げて零の方を見れば、虚ろな目を細め、僅かに顔をこちらに向けて手を重ねていた。

「…っ、零?」

血が通っているのか疑いたくなるほど、彼女が触れた手のひらは冷たく感じた。
目線を合わせる彼女の目と口元が、微かに弧を描く。
自然と体ごと彼女に寄せると、今にも風の音でかき消されそうな程酷く弱々しい声を耳にした。

『…大丈夫だから、……ごめん、ね。』

あれだけ見たいと思っていた笑顔をすんなりと見せ、確かに彼女はそう零した。
ホークスは酷く驚いた様子で茫然と彼女を見つめた後、募った苛立ちを吐き出すように彼女へ返した。

「…んで謝るッ!謝んのは俺の方んや!」

『あなたは何も悪くない…。“任務を遂行するためなら、多少の犠牲はつきもの”だから…。だから、謝らないで…。胸を張ってて。』

「……ッ、俺は……!」

ゆっくりと弱々しい声で語る零の言葉は、何よりも耳に響いた。

あぁ、零はこんな世界の中をずっと生きてきたのか…。

今日改めて彼女がこなしてきた任務の重みを痛感した。

しかし、出来ることならば彼女がその“犠牲”になる事だけは避けたかった。

ホークスはそっと触れた彼女の手のひらを握り返し、必死に込み上げてくる気持ちを心の中で吐き出した。

ーーヒーローが持て余す社会…必ず他に入れてやる。俺の出せる最高速度で。
そして零を…この残酷な世界から、解放させてやる。

強い意志に、自然と指の力も強まった。
またこの時初めて、零の個性が発動しない事を切に願ったのだった。



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