背中
ホークスは零とエンデヴァーを病院へ配送する手配をとった後、誰の目にもつかない場所で荼毘と再び顔を合わせていた。
「もっと仲良く出来ないかな、荼毘。」
ひとつの羽を大きくし、奴の喉元へ突きつける。
しかし奴はそんな脅し道具に目もくれず、いつもの様に陽気な口調で言葉を返した。
「…雑魚羽しか残ってなかったんじゃねぇのか?」
「…嘘つきと丸腰で会うわけにはいかなかったからな。」
自分でも、怒りを押し殺して声が震えているのがわかる。
「予定は明日。街中じゃなく、海沿いの工場だったはずだ。それにあの脳無、これまでのと明らかに次元が違ってた。そういうのは予め言っといて欲しいな。」
「気が変わったんだ。脳無の性能テストって予め言わなかったっけか?」
奴はニヤリと薄気味悪い笑みを浮かべ、不満を明かした。
「しかし違うと言うならそっちもそっちだぜ?“適当に強い奴”って言ったろ。No.1じゃ話にならねぇ。」
「……No.1に大ダメージ。喜ばれると思ったんだけどな…。約束は破ってない。反故にしたのはそっちだけだ。」
「いきなりNo.2を信用しろって方が無茶だぜ。今回はお前の信用テストでもあった…。なんで今日のアレが死者0で済んでる?俺たちに共感して協力願い出た男の行動とは思えねぇや。」
「こっちにも体裁があるんだって。ヒーローとしての信用を失うわけにはいかない。信用が高い程仕入れられる情報の質も上がる。あんたらの利益のためだ。もちょい長い目で見れんかな…」
苛立ちの声が増す。
しかし奴はまだ何か不満があるのか、紡いでいた口を解き、“じゃあ…”と零した。
「さっき見かけたあの仮面のヒーローは何者だ?お前なら知ってるんだろ。アイツはどこのヒーローだ。」
荼毘の言葉に、ホークスは鼓動を走らせた。
あの場で咄嗟に零が現れてくれたからこそ、エンデヴァーも自分も命を落とさなかったかもしれない。
しかしそれでも、彼女がこの男の前に姿を現してしまったのは相当の誤算だった。
額から汗が伝う。
羽を握る手に自然と力が入る。
ホークスは彼に本心を悟られないように、冷静さを保ちつつこう返した。
「正直俺も知らない。No.1が連れてきて今日初めて顔を合わせたが、まだなんの情報も得られてないんだ。」
「……へぇ。情報力に優れたあんたでも知らねぇのか。……まぁいい。」
彼の零した一言に、一瞬だけふっと肩の荷がおりた気がした。
しかし、話はそこで終わらなかった。
「今日会ったやつについて、調べておいてくれよ。信用を得たいならな。」
「…随分気になってるんだな。」
「当たり前だろ。あの殺気…間違いなく本物だ。なんでヒーロー側にいるかは知らねぇが、あれはヒーローで納まる器じゃねぇ。“敵連合”側に相応しい。少なくとも、お前よりは信用できそうだ。」
「……っ、」
口角を上げてそう話す奴の表情は、新しい玩具を手に入れて喜びを感じる子供のそれとよく似ていた。
よりにもよって厄介な奴に好かれやがって…。
心の中でそう悪態をつくも、決して口には出せなかった。
そして荼毘はフッと頬の力を緩めると、平然とした顔で突きつけた羽から逃れ、歩み出した。
「……まぁ、とりあえずボスには会わせらんねぇな。また連絡するよ、ホークス。」
「……」
ホークスは奴に何も返さず、暫く気配が経つまでその場で待った。
そしてようやく二人が搬送された病院へと向かい始めた。
※※
「敵連合に取り入れ、ホークス。」
ヒーロー公安会に呼び出された矢先、唐突にそんな大胆な発言を零され、さすがに動揺して言葉を返した。
「ちょっと待ってください。意味がわからない。そっちで捜索チーム組むんでしょ?グラントリノさんとかが。」
「…どこで聞いた?まだ公表していない話だが。」
「……」
慌てて口を塞いだが、“時すでに遅し”とはまさにこの事だ。
公安会は眉を顰めつつも、再び説明を続けた。
「そういうところよ、ホークス。あなたは目聡く耳聡い。」
「神野戦いは拉致被害者の安否もあり事を急いだ。…結果、情報が足りず相手の力を見誤った。闇組織を根絶するために多くの情報がいる。
特にあの改造人間…オールフォーワンの力だけであれが作れるのか…連合に関する全てを丸裸にしなければ、同じ過ちを繰り返すことになる。」
「……取りいる間、奴らが出す被害は?目を瞑れって?」
「瞑れる男だと見込んでの頼みだ。」
虫唾が走った。
敵連合という強敵を倒すためには、手段を選んでいられないと言われているようで。
そして奴らを制圧するためには、多少の犠牲は付き物だと腹を括っている様子だった。
確かに言っていることは分かるが、仮にもヒーローとして生きている以上、それを快く“はいそうですか。分かりました。”なんて受けいられる訳がなかった。
しかしそう考える反面、どことなく嫌な予感がたぎる。
自分の記憶の中で、普段こういうのをメインに動いているヒーローを知っている。
幼くして感情をなくし、諜報活動はもちろん、情報を得る為に闇に紛れて鮮やかな身のこなしをする、一人の少女の痛いげな姿が頭の中に思い浮かんだ。
ーー仮にもし、断ったとしたら……?
ホークスは考えた。
自分の今生まれた突発的な感情だけで、この話の返事をしていいものなのか、と。
そして頭の中でひっかかりを覚えた嫌な予感に、微かに唇を震わせて、彼らに尋ねた。
「…仮に俺がこの話を蹴ったとしたら、この役目。誰がやるんですか?」
「……あなたも知ってると思うけど、当然“彼女”にお願いするつもりだわ。」
「……ッ、」
公安会の言う“彼女”は十中八九“朧”だと悟った。
元々隠密ヒーローという名を受け継ぐ者だ。
彼女であれば諜報活動なんてものは卒無くこなすだろうし、自分よりも断然上手く立ち回るだろう。
しかし、伊達に情報を集めていない訳では無い。
つい最近彼女の話題を時折耳にすることもあった。
“公安の人形”、“隠密ドール”。
そんな異名が付けられた隠密ヒーロー“朧”が、最近少しずつ変わり始めている、と。
どういう経緯でそうなったかまでは誰も知らない様だったが、感情を持ち始めているように見えるという話は、しっかりとこの耳で聞いた確かな情報だった。
朧の事は、幼い頃から知っている。
育った環境のせいで甘えることを知らず、人を頼ることすら知らない。
自分の命を軽んじて、無茶な行動ばかりをとる娘だ。
何よりまだ世の中の汚れた風景を見るには、あまりにも幼すぎた。
しかしそんな朧が、少しずつ感情を持ち始めていると聞いた時は、正直嬉しくさえ思えた。
閉ざしていた傷ついた心が少しでも開いてくれればいいのに、と思って今まで見守ってきた。
そんな彼女がようやく一歩闇から抜け出したというのに、この任務につけばまた逆戻りだ。
ホークスが頭の中でそう考える中、公安は小さくため息を吐いて、思わぬ言葉を零した。
「…ただ、できればあの子には任せたくないのよ。」
「……珍しいですね。普段は朧に頼りっぱなしのあなたた達がそんな事を言うなんて。」
「正直あの娘の個性は、あまりにも膨大な力で不安定だ。しかし、戦闘に置いて使い方によっては喉から手がでる程欲しい個性でもある。
普段の隠密行動に支障がないとはいえ、今回ばかりは相手が悪すぎる。敵連合にいる全ての人員の個性も割り出しているわけではないからな…。
万が一、本人の意思とは関係なく彼女を操り味方につけるような事態が起きてしまっては、それこそ取返しがつかん。」
「…なるほど。」
「そしてもう一つ…。最近朧に少し変化があるように見られていてね。」
「…変化?」
「あの子…失ったはずの感情を少しずつ取り戻している気がするの。」
「いい事じゃないですか。」
ホークスは何も考えずそう返した。
しかし連中はその発言に更に眉間にしわを寄せ、大きくため息を吐き出すと共にそれを否定した。
「バカ言わないでちょうだい。隠密ヒーローたるもの、感情や私情は時に“余計なもの”になるの。私たち公安警察の諜報員もそういう訓練を受けているわ。あの子はそんなものを受けなくても、最初から感情がなかったからすぐに採用したけれど…。
このまま感情が自然になるようになってしまえば、間違いなくあの子は任務を失敗する日が来る。その日を“敵連合”の取り入る時にしてほしくないのよ。早いところ目を覚まさせないと…。」
ーーこの女…。
ホークスは目の前で呆れて話す公安に、密かに苛立ちを覚えた。
朧にとって感情が“余計なもの”?
確かに立場上は感情のままに動いていい任務ではないが、あの子ならきっと感情を手にしてもうまく立ち回れるはずだ。
幼い頃に失った光をようやく手にできそうな彼女を否定するような物言いは、どうしても納得ができなかった。
だからこの時決意した。
朧に…いや、零に明るい未来が来るように。
少しでも彼女を“公安”と服部家の呪縛から解き放てるように。
「…わかりました。なら俺がその役目、引き受けさせてもらいます。」
迷いなどなかった。
真っ直ぐに見つめた公安の連中も、その返事の裏に何の意図があるかもわからずに安堵した顔を浮かべているのを見て、ホークスは密かに口角を上げたのだった。