背中


ホークスは“剛翼”の個性に集中しつつ、先程二手に別れた零の事を考えていた。

あの時ーー。
目の前の脳無に恐怖と憎悪を抱き、確かにエンデヴァーを助けようとしていた。
けれど彼は零を戦いに巻き込ませまいとそれを拒み、俺も彼女を戦いから遠ざけた。

理由はふたつあった。
ひとつは、朧と呼ばれる彼女の立ち位置だ。隠密ヒーローは諜報活動や隠密行動を主とした特殊なヒーロー。民衆のいる場で目立つ行動は避けなければならない。
そして最大の理由は、零の存在、個性が敵連合に悟られては何かとマズイ点が多すぎるということだ。

自分がよく知っている昔の零なら、あの場で迷わず戦うことを避けただろう。
しかし彼女は、エンデヴァーを失う未来を恐れて加勢しようとした。
隠密ヒーローとしての立場や空中戦において不利な状況である事すらも忘れて、だ。

彼女は変わった。
あらゆる感情を持ち、あれだけ避けていたはずの他人を好きになった。
誰かを失うことを恐れ、誰かを傷つけて涙を流せる零はもはや、“公安の人形”でも、虚ろな存在といわれた“朧”でもない。

ただでさえその変わりっぷりに驚いたというのに、彼女は感情的になった自分に冷静さを取り戻すため、自らの手を痛みつけ、頭を冷やした。

そしてその数秒間の間に、痛みで正気を取り戻し、もう一度顔を上げた時。

この瞳に映った零は、間違いなく“朧”の顔をしていた。

ホークスは先程目の当たりにした零の凛とした姿を頭の中で思い浮かべては、わしゃわしゃと頭を掻きむしる。
そして、誰にも聞かれない独り言を零した。

「……ありゃヤバいっしょ。女相手に“カッコよくて武者震いした”、なんて情けなくて口が裂けても言えねぇや。」

あの時の瞬時に気持ちを切り替える零を見て、確かに全身が震え立った。
そして同時に、“コイツには敵わない”と悟らされたような気がした。
力の強さとか、ヒーローとしての強さとかじゃない。
零自身の意思や心の強さと、彼女の心の中に抱く信念の強さだ。
改めて隠密ヒーローという称号を与えられた彼女の勇ましさを実感させられる瞬間だった。

ーー“ホークス、一つ下の階に軽傷者6名。お願いします。”

「…ほいほい、っと。」

羽を通じて聞こえてくる零の声に、届くはずもない返事を返しては、六枚背中から飛ばし、救助へと向かわせる。

こんな状況にも関わらず、零の事を考えてました。なんて後で彼女にバレてしまっては、示しがつかない。
ホークスは一旦零について考えることを諦め、羽を飛ばす方向を誘導してくれる彼女に遅れを取らないように、再び救助活動へと集中した。

「……それにしても、見事なまでに無駄のない動きをするなぁ。」

エンデヴァーと脳無戦闘により、高層ビルのあちこちが破壊されていく中で、零はこの地盤が緩い建物を、さも平地のように軽快にかけていく足音を出していた。
崩れた瓦礫の陰に隠れた人影、逃げ遅れた市民たちを混まなく探し出しては、こちらが羽根で聞き取れるような声量で報告してくる。

人命救助は、一分一秒たりとも無駄にはできない。
一瞬の気の緩みや、僅かな気の迷いが自分も含めて命取りになる。
零は普段からこんな人命救助なんてやらされるような立場ではないし、彼女にその教えを伝えた訳でもないというのに…本当に何でもそつなく熟す奴だ、と感心していた。


時を振り返ること数分前。
この作戦を発案したのは他でもない零で、ホークスは最初、彼女が迂闊に動くことに反対した。
それを聞いた零は、ムッと唇を尖らせてはたまたま通りかかった部屋に飾られていたものを持ち出し、ニヤリと笑みを浮かべてこう言った。

『要は、私の存在が公にならなければいいんですよね。じゃ、これで問題解決ってことで。』

「……お前な。」

零は偶然手に入れた烏帽子を得意げに深く被り、顔を隠した。
元々今日はエンデヴァーにただ呼び出されただけだったので、いつもの忍び装束とは違い、薄い桜色の着流しを纏っている。
彼女の容姿を知っている人物だとしても、一目見て朧と判断出来るものはそういないだろう。

ホークスは半ば強引さを感じる零に呆れては、ため息と共に“はいはい”と聞き流した。

『すみません…でも、じっとしていられなくて。今私にできることをしたい。私が動いて少しでも助けられる人がいるのなら、助けたいです。……だから今は、零として戦わせてください。』

「……あぁ、分かってる。」

『じゃあ、私はこっちから回ります。どこからでも羽根が飛ばせるような位置へ移動をお願いしますね。』

「了解ッ!」

凛としたその声には迷いも躊躇もなく、くるりと方向を変えて光の如く走り去っていく零の背中は、とてもまだ十代の女の子のものとは思えないほど逞しかった。

「……ったく、どうしてあぁもカッコよく育つもんかねぇ。っていうか、なんで俺はこうも零に弱いんだ?…あぁ、クソッ!ニヤけるな、俺の顔!」

不謹慎にも、久しぶりに彼女と共にヒーロー活動を出来ることを喜ぶ自分に喝を入れつつ、できるだけ動きやすい位置へと移動したのだった。


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