背中
「エンデヴァーさん、飛べるんですか?!」
「…落ちないだけだ。抜かるなッ!コイツはまだ動く…!」
ホークスとエンデヴァーの大きな声でのやり取りに、零はハッと我に返った。
先程エンデヴァーの脅威的な強さの一発を受けた脳無は、彼の言うように確かにまだ形を残している。
それどころか、見る見るうちに破壊された身体の一部を再生し、無傷の状態へと戻していった。
『…あれは、超高速再生の個性…』
目の前の得体の知れない敵に、零はその身を震わせた。
しかも、ただ理解できないだけじゃない。
以前見た脳無とはまた一回り進化したであろうその姿と、近くにいるだけで全身に伝わってくるその脅威的な強さに、無意識に警戒レベルが頂点へと達していた。
ーいけない。早くエンデヴァーを加勢しないと…!彼が危ない!
約束したはずだ。
自慢出来る父親にも、No.1ヒーローになろうとしている、“エンデヴァーを支える”と。
あの日轟家の家族の温かさを知って、彼らの笑顔を守りたいって思ったんだ。
もう、誰も失いたくない。出来ることなら誰も悲しませたくない。
そんな想いが溢れ出し、感情的に彼の名を叫んだ。
『……っ、エンデヴァーさん!私も……ッ!』
ー隠密ヒーローは公衆の場で闘ってはいけない。
体に染み込まれてきたはずのその掟を忘れてしまうほど、気づけば目先の事に必死になっていた。
刀の柄に手をかけ、彼を加勢するためにとその身を乗り出そうと、鉛のように重かった足を動かす。
しかし一歩踏み出したその矢先、後方にいたホークスに勢いよく肩を引かれた。
「待ってください、零さん!」
『止めないで下さい!早くエンデヴァーを援護しないと…!』
「おい小娘!」
『……ッ!』
外から聞こえるエンデヴァーの強い声に、ハッと身体を強ばらせて身を固めた。
「俺がお前をここへ呼んだのは、共闘するためじゃない!下手に手を出すな!」
『でもっ……!』
「悪かったな、妙なことに巻き込んで。だが、お前だけは…何があってもヒーローとしての俺の力を…認めているじゃなかったのか?」
『……っ、』
卑怯だと思った。
前に自分が言った言葉を、今ここで出してくるなんて…。
そんな言い方をされたら、加勢したことで彼への信頼が無い、と遠回しに言ってしまうことになる。
零はその場で立ち尽くし、強く拳を握りしめた。
こうしている間に、エンデヴァーは脳無と激しくぶつかり合って目の届かない位置へと移動していく。
ホークスは彼がこちらの声が届かない距離へと離れたのを確認して、もう一度零の肩を強く掴んで自分の方へと振り向かせた。
「零ッ、今はとにかく落ち着け!冷静になれ!今感情的に動けば、お前まで危険な目にあう…!今更手“手を出すな”なんて都合がいい話かもしれんし、確かにこれは結果として俺が招いた事態だが…それでもここは、耐えてくれ!」
『くっ、……!』
「零ッ!」
彼らがなぜ、自分に手を出させないようにしたのかは分かっている。
自分が公で戦えば…いや、もし脳無に自分の存在を知られ、それが敵連合に伝わる事態を招いてしまったとしたら…。
今後隠密行動の任務に着くのも支障が出るし、この個性を悪用しようと考えるかもしれない。
そして公安は、そのふたつの可能性を最も恐れているからこそ、敵連合の捜査から自分を外したのだ。
ここで目立つように交戦してしまっては、この国を密かに守る隠密ヒーローの意味がない。
ーー分かってる、分かってる!!
頭の中で何度もそう言い聞かせ、強く拳を握りしめた。
頭では理解はできているものの、一瞬でも気緩めれば体が勝手にエンデヴァーの元へ駆けつけようとする。
しかしこうも二人に言われた以上、彼らの意志を無駄にすることはできない。
それならーー
「……零?」
突然大人しくなった零を前に、ホークスは不安げにその名を呼んだ。
零はそれに応えぬまま、近くに落ちているガラスの破片を手に取り、勢いよく手のひらで握りつぶした。
「……?!おい零、何やって……!」
『うっ、……』
ガラスの破片が刺さった箇所から痛みが走る。傷口からポタリと静かに血液が流れ、畳に血痕を作った。
だが傷なんて…痛みなんて今はどうでもいい。
むしろこの痛みは今、感情的になっている頭を冷やして冷静を取り戻すに必要だった。
零は目を閉じて大きく息を吸い込み、ゆっくり吐き出した。
そして再び視界を開けた時、その金色の瞳に曇りはなかった。
『……すみません、こんな非常事態に私のせいで数分を無駄にしましたね。でも、今ので冷静になりました。人命の救助に急ぎましょう。』
「……あ、あぁ。」
ホークスは勇ましい彼女の姿に圧倒されつつも、建物から出るためのルートを先導するために、零を連れて部屋を出た。