背中
零は隣で深刻な話を交わす二人の声に耳を傾けながら、ぼんやりと外の景色を眺めていた。
ーー神野区事件。
その一件は世間に敵連合を知らしめる最初の大きな開幕となる事件だった。
“林間合宿に励む雄英高校の生徒が一人、敵連合によって誘拐された。至急奴らの拠点を探り出しす捜査に、ぜひ君の力を借りたいと言っているんだが、どうする?”
別の任務を終えてたまたま警察庁に顔を出せば、出会い頭に久我にそう尋ねられた。
もちろん答えは二つ返事で、その件を統括している担当刑事が馴染みのある塚内だと聞いた後、すぐに連絡をとって状況の説明を求めた。
雄英高校には、保護者代理でもあり自分の大切な人が勤務している場所だ。
最近は互いに忙しくて顔すら合わせていないが、まさかそんな彼の身に何かあったのでは…?と心の中で焦るもう一方で、そんな話を聞いてもなお、冷静に対処している自分に些か嫌悪した。
雄英高校の記者会見、塚内から聞かされた経緯。
どれにも相澤が関与しており、誘拐されたのが彼の教え子だと分かった以上、何としてでも無事に返してやりたいと強く思った。
しかし朧の存在が敵連合に悟られてはいけないという最難関の条件がある中で、大胆な動きはとれず、思った以上に捜査は難航した。
そしてようやく奴らの拠点を見つけたと同時に、この世のものとは思えない悍ましい生物の存在を知った。
それがーー“改人・脳無”。
オールフォーワンの“個性を奪う”能力を利用し創り出された、いくつもの個性を複合した敵連合のあやつり人形だった。
当時誘拐された少年を救出させると共に、その脅威となる存在も制圧するよう警察に報告したのは、他でもない自分だ。
今まで数えきれない程の敵達を見てきたが、あんな恐ろしいと感じたものは初めてだった。
そしてその時、初めて目にした脳無という生き物を前に、“読心”の個性が大きく波を打つように発動した事を、今でも覚えている。
人の形をしていない脳無達から、微かだが触れてもいないのに頭の中で複数の声が響いた。
聞き取れるほど人間の言葉に近しいものではなかったが、何かを必死に訴えるようなその声に、絶対的な恐怖と憎悪感を抱いた。
もしあれが全部ではなく、まだ他にも何体か隠し持っていたとしたら…。
しかも当時回収した脳無がまだ試作段階で、比較的目立った動きをとっていない敵連合たちがまさに今、更に進化した脳無を密かに開発しているとしたら…。
「……勿体つけるな!結局何がしたいんだ貴様はッ!結論を言えッ!」
『……、あれ?』
物思いにふけっている間に、いつの間にか二人が険悪なムードになっている事態にようやく気づいた。
「No.1のあなたに、頼れるリーダーになって欲しい。立ち込める噂話をあなたが懸賞して、“安心してくれ”と胸を張ってあなたが伝えて欲しい。俺は特に何もしない!昨日も同じようなこと言いましたけど、要はNo.1のプロデュースですよねぇ。」
『……』
「貴様…」
「俺は楽したいんですよ、ホント。適当にダラダラパトロールして、今日も何も無かったとクダを巻いて床に就く。これサイコーの生活。……ヒーローが暇を持て余す世の中にしたいんです。」
『ホークス…』
彼が陽気に吐いたその深い意味を持つ言葉に、零は胸を痛めた。
互いが見つめ合う異様な空気が漂い何か言わねば…と言葉を模索する中、ふと遠方からこちらに向かってくる嫌な気配を全身が察知した。
『……ッ、!二人とも、気づいてますか?…なにか来ます。』
「……ん?」
「……エンデヴァーさん。」
三人の空気が一瞬にして緊迫感で張り詰めた。
まだ距離があるというのに、この悍ましい気配。肌をビリビリと刺激してくるほどの威圧感。
ーー間違いない。強い奴がこっちに向かってきている。
しかしその場にタイミング悪く、店員が部屋へとやってきた。
「お客様、お飲みのの…」
「下がって!!お姉さんッ!」
ホークスがその店員を護るように身を重ねたのを目視し、急いで三人の前へと走り、瞬時に全神経を集中させて結界を放った。
『“防御結界”ッ!』
そう叫んだとほぼ同時に、大きな窓ガラスが凄まじい勢いで割れ、破片が飛び散った。
後方にいる全員が無傷であることを確認しては、目の前の恐ろしいほど殺気に満ちた気配に再び目を向けた。
脳の部分がむき出しになり、形は人間とは程遠い容姿。
ー間違いない。“脳無”だ。
「ドレガ一番ツヨイ……?」
『……ッ!?』
…喋れるのか?
カタコトではあるが、確かに今奴が声を発した。
先程の嫌な予感は、どうやら的中してしまったらしい。
突然目の前に現れた以前よりも進化しているその存在に、零は思わず息を飲み硬直した。
「ホークスッ!避難誘導をッ!」
「了解!エンデヴァーさんは?!」
「噂ではなかったか…なんとも間の良い奴だ。…まぁいい。どのみちそのつもりで来たッ!」
エンデヴァーの激しい炎を纏った強力な拳で、脳無が上空へと再び押し出される。
そしてそれを追うように窓から飛び出したエンデヴァーの背中を目で追っては、焦る余りに拳を握った。
「……来い。俺を見せてやる。」
圧倒するほど力強い彼の言葉を耳にしても、零は密かに不安と恐怖心を募らせていたのだった。
そしてこの時、なぜだかナイトアイと彼の背中が重なって見えた。