背中


零は先を歩くエンデヴァーとホークスの背中を見つめながら、ようやく一人静かに息を吐き出した。

ここに来るまでの経緯は至ってシンプル…いや、酷く残酷だったとも言えよう。
早朝電話をかけてきたエンデヴァーに要件を尋ねれば、「少し頼みたい事がある。至急羽田空港まで来い!」なんて切迫な雰囲気で伝えては、一方的に電話を切られた。

幸い今日は休日で、元々本業の任務が入らなければ学校で壊理を迎える初日として、相澤と共に付き添う予定くらいしか入っていなかった。
なぜ空港で待ち合わせなのかは分からないが、さすがのエンデヴァーもその場で飛行機に乗せるような大胆で強引な行動はとらないだろう。

…“少し”って言ってたし。

そう思った零は急いで身支度を整え、相澤に一言だけ連絡を入れてハイツアライアンスを後にした。

そうして空港に行って彼と合流したわけだが、呼び出された理由を話すどころか、何も言わずにそのまま逃げられないよう身体ごとエンデヴァーに担がれ、強引に飛行機へと乗せられた。
最初は酷く抵抗したものの、元々山育ちで乗り物に不慣れな身体は瞬く間に弱り、抗う事を諦めざるを得なくなってしまった。
そしてようやく初めてそこで、彼が呼び出した理由をたった一言だけ説明したのだ。

ーーお前に付き合ってもらいたい場所がある。

その“場所”をさしているのがまさか九州だったのには驚きだが、ここへ連れてくる事を事前に話さなかったエンデヴァーに、不愉快ではあるが自分の性格を熟知していると感心すらしてしまった。

遠征と聞けば絶対断る。
乗り物に乗れと言われれば全力で嫌がって逃げる。
それらの自分の性格を先回りして読んで、見事彼の計らい通りに事が進んだというわけだ。
そして圧倒的有無を言わさない最終手段として、自分が伸びている間に、既に彼が相澤にも連絡を取っており、数日護衛任務を空けることも了承済の切り札を出されては、もう何も文句は言えなかった。

元々雄英高校の護衛任務は、隠密ヒーローとしての本業が入ればそちらを優先するような条件を置かれている。
ましてや今やNo.1ヒーローの頼みであれば、校長や相澤も首を横には振らないだろう。

とはいえ、さすがに大して何も言わず出てきてしまった事には罪悪感もあるし、エンデヴァーと直接やり取りした相澤のその後の機嫌も気がかりだ。
後で隙を見て彼に連絡しよう…。
そう諦めのため息を吐き出しては腹を括ることにした。

ふと周囲が騒がしい事に気づき、下げていた目線を上げる。すするといつの間にか周囲の市民たちに囲まれて、ホークスはサイン会と写真撮影を始めていた。

『…へぇ、分かっちゃいたけど、やっぱり人気だなぁ。』

思わずそんな独り言が零れる。
今期のヒーロービルボードチャートJPの結果を一通り見たが、彼が二位と高く評価された点についてはとても納得のいく結果だと思った。
ヒーローとしての活躍は言うまでもないが、それに加えて愛想もよく、人望も厚い。
他のヒーローのように強さや周囲からの人気に固執するわけでもなく、彼本人の自由気ままな裏表のない性格がまた、人々からの支持率を上げているのだろう。

立場上の関係で、彼と繋がっているという事はあまり知られてはならない。
さっきは何とか機転を利かせてその場を凌いで初対面を装ったものの、エンデヴァーに悟られずに済んで良かったと心から安堵した。

まぁ何よりも、つい先日都内で偶然出会った彼と、まさかこんなにも早く再会するとは思ってもみなかったが…。

遠目で親切にファンサービスをこなすホークスを眺めていれば、彼の近くにいるエンデヴァーが動き出すのを目についた。

彼は険しい顔つきで三人の少年の元へ歩み寄り、ピタリと立ち止まって手を差し出す。
その珍しい光景に唖然として、思わず情けない声で彼の名を呼んだ。

『え、エンデヴァー…?』

「遠慮などしなくていい。」

彼を前に躊躇している少年にそう零すと、少年は無意識に手を伸ばしつつ、ハッとして反対の手でそれを抑止した。

「えっ、違う。」

「えっ、違うのか?!」

当然ではあるが、エンデヴァーは少年の予想外の答えに動揺する。

「エンデヴァーはファンサなんかせんっ!媚びん姿勢がカッコいいたい……わぁぁっ!!変わってしもうた!変わってしもうたァァッ!!」

少年はファンサービスを試みたエンデヴァーを置き去りにし、泣きながらそう叫んで去っていく。

確かにその子供の言うように、エンデヴァーは今まで堂々たる態度とその強さで、人気を誇るヒーロー的存在でもあった。
それが突然、市民に自ら握手をしに行くような姿勢を見せてしまえば、彼を支持しているファンには動揺を招くだけだろう。
……にしても。

『……フフッ。』

キャラじゃない彼の行動に思わず噴き出して笑ってしまう。
エンデヴァーはそれにピクリと反応し、こちらへズカズカと歩み寄ってきた。

「おい零、今笑っただろう!」

『え?あ、いやぁごめんなさいっ。なんかエンデヴァーが、ちょっと可愛く見えちゃって。』

「かっ、かわっ……?!お前、俺をおちょくってるのか?!」

『やだなぁ、おちょくってませんよ。本心です。それにいい傾向だと思いますけどね、私は。…一歩前進ってとこですか?』

「ぐっ……」

ニッコリ微笑んで彼にそう返すと、エンデヴァーはそれ以上言葉が出ないのか、奥歯を噛み締めて黙りこんだ。
すると静かにその光景を見ていた周囲の市民たちが、急にわっと声を上げ始めた。

「え、なに?!いまのなに?!エンデヴァーを言い負かせよった!あの子だれ?!ヒーロー?!」

「えらい可愛い子やな…エンデヴァーの事務所の子か?!」

「なぁなぁ姉ちゃん、あんたもヒーロー?!なんて名前?!」

『えっ?わ、うわっ……!』

波のように押し寄せてくる市民に圧倒され、思わず身体を仰け反らす。
咄嗟にバランスを崩し人混みに飲まれそうになると、ふわりと身体が浮いたのに気づいたと同時に、人肌の体温を感じた。

『あ……』

「危なかったですね。大丈夫ですか?零さん。もしかして、人混み苦手です?」

『えっと、その……すみません。ありがとうございます。』

どうやら赤い羽根を広げてにこやかに笑う彼が、転びそうになったのを見て助けてくれたらしい。
しかし公衆の場で彼に横抱きにされているこの光景は、逆に更なる注目を浴びさせてしまった。
零は何とも言えない状況に顔に熱をともし、この不利な体勢をどうにかしようと焦りだした。

『あ、あの下ろしてください!皆さんの目線が気になります!』

「え、もしかしてこれくらいの事で照れてるんですか?…可愛いですねぇ。なんなら俺は、このまま空中でのエスコートをさせて頂いても構いませんが。」

『ほっ、ホークスッ!からかわないで下さい!』

「からかってませんよ。本心です。だって零さん、お綺麗ですし…ねぇ。」

『なっ、』

親密な関係だと知られてはいけないというのに、どういう訳か彼はどんどん調子に乗って口を走らせる。
しかもなぜか周囲の市民たちは、「ホークスいいぞぉ!」「ヒーローが堂々と口説き文句言ってらァ!」なんてよく分からない盛り上がり方を見せた。

たたでさえ人混みが苦手なのに、こうも注目を浴びさせられては正直気が気でない。
どうこの場を収めようと頭を抱えていれば、まるで助け舟を出すようにエンデヴァーの怒鳴り声がこの当たりの空気一体を絞めた。

「おい貴様ッ!零が困ってるだろう!さっさと下ろせっ!!」

「…ちぇ、怒られちゃいました。残念。」

ホークスは渋々地に足をつけ、自分の腰足に回していた手を離す。
ようやく解放された事にほっと安堵の域を零しては、未だ自分が何者なのかと興味を引いている市民たちに、簡潔に説明した。

『あ、あの…私、まだヒーローになりたてで、No.1ヒーローの元で修行中なんです。まだ何かとなれていない身なので、どうかここは騒がず、穏便に済ませていただけると助かります。』

「そーかそーか!頑張りぃよ姉ちゃん!」

「ホークスとお似合いなのにもったいねぇ!」

「ぜひこっちでヒーロー活動してくれよォ!」

『が、頑張ります……』

既にヒーロー活動している身として恥ずかしさと、咄嗟に着いてしまった小さな罪悪感を抱きつつ、一度頭を軽く下げて足早にその場から離れたのだった。


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