結局日中はホークスの凄まじい行動力に付き合わされて、夕方には既に体力が付きかけていた。

秋の冷たい風にあたりながらふと空を見上げると、日は既に落ちかけて綺麗なオレンジ色の空が広がっていた。

「…どうした?空なんて見上げて。」

『…いえ、何でもありません。』

心配そうな声で尋ねたホークスに、嘘をついた。
本当は空を見て、昔の記憶を思い出していた。

相澤が定期的に屋敷に顔を出すようになってくれた最初の頃。
これくらいの時間になるまで、よく稽古に付き合ってもらって、その後一緒に夕食の支度をして二人で食べたものだ。
そんな些細な日常が、自分にとっては何よりも大切な思い出の一つとなって鮮明に記憶に残っている。
しかしいくら記憶を遡っても、今回のような二人の関係性に溝が生まれるような事は今までにだって一度もなかった。

それはたぶん、彼が私が困らないようずっと気遣って思いを告げずにいてくれたからなのだろう、と改めて思い知らされた。

そんな考え事をしている横顔を、ホークスがじっと見ている事すら知らずに、ただ彼の事を考え続けた。

するとふと体が宙に浮き始めている事に気が付いた。

『え、え…?!』

「そんなに空が見たいなら、俺が連れてってやるよ。」

声がした後方へと振り向くと、ホークスが得意げに笑ってはふわりと抱き上げて一気に上空へと飛び立った。

『…わぁっ!』

目の前に広がる綺麗な夕日と都会を見渡せる絶景に、無意識に感動の声が漏れる。
普段街を出歩くのは職業柄夜が多く、こうしてまだ明るい時間に空から街を見下ろす機会なんて一度もなかった。

「どうですか?お姫様。たまには空中デートってのも悪くないでしょう?」

『素敵っ!ホークス、ありがとうございます!』

「お、おぉ…」

満面の笑みを浮かべてお礼を言うと、彼は少し照れくさそうに目をそむき、そのまま優雅に空を飛びまわった。

しばらくの間初めて見る光景に目を奪われていると、ふと彼が笑う吐息を耳にした。

「…なぁ零。確かにお前の考え方は理屈もわかるし、納得もいく。その立場で特定の大切な人を作るのは、正直デメリットが多いっていうのは俺も思う。けど、零は“朧”である前に、一人の女なんだ。服部零っていう、立派な女なんだよ。」

『…ホークス?』

「だからさ…立場どうこううんぬん考えるよりも前に、お前がどうしたいのか考えてみたらどうだ?別に隠密ヒーローだからって、終始感情を殺さなきゃいけないわけじゃない。たった一秒でも、たった一瞬でも本当の気持ちを吐き出すことは、誰だって許される事じゃないのか。」

『…たった一瞬でも…。』

「それにな、お前は昔から“隠密ヒーロー”という立場に固執してるが、俺は別にそうじゃなくてもいーんじゃねぇのかな、ってたまに思う。あ、もちろん零が隠密ヒーローとしてふさわしくないって意味で言ってるわけじゃなくてな。
俺は素直に“朧”の力も認めてるし、尊敬に値する存在だとも思ってる。でも、俺やお前を知ってる他の連中は、お前が傷ついてまでその立場でい続ける必要はないとも思うんだ。
隠密じゃなくたって、ヒーロー活動はできる。それこそ、俺みたいな自由気ままなヒーローにでもなれば、もっと楽に生きていける。生涯ずっと縛られ続けるような環境に、ずっといる必要はないんだ、零。」

とても難しくて、思いやりのある言葉だと思った。
自分のような存在は、“隠密ヒーロー”でしか今の社会に居場所が作れないと思っていた。
けれどそれは実際は違って、彼のような普通のヒーローとして活動する選択肢もあるという事を、ホークスはきっと教えようとしてくれているのだと思う。

でも今はまだ、この称号を捨てる事はできない。
自分はまだ、この道を歩むきっかけを作ってくれたヒールハンドの言ったように、父を見返してやれるほどの実績を積み上げていない。
だからこそ、頑なに今の立場から離れる気にはなれないのだ。

ただもし本当に、彼の言うように普通のプロヒーローのような立場になれる時が来るのなら…その時は。

『…ありがとうございます、ホークス。あなたのおかげで、少しだけ視野が広がったような気がしました。』

「…そうかい。そいつは良かった。」

彼は満足そうにニッと口角を上げては、少しどこか思いつめた様子へと変わり、消えそうな程静かな声でこう言った。

「あと、これだけは言っとく。零…自分を見失うな。これから先、何があっても。」

彼のそう言う表情を見て、その言葉に深い意味があるのだと知った。
ホークスも今、自分が置かれている立場にいろいろと考えるところがあるのだろう。
それは決して安易に口に零す事のできない、重要な任務に携わっている彼だからこそ、それと向き合う深刻さと恐怖心が自然と伝わってきたような気がした。

だからこそ、いつものような強気な口調で返した。

『…はい。あなたの方こそ、まだ死ぬには早いですからね。』

「…ったく、相変わらず漢前の返し方するねぇ。…っと、そろそろだな。」

『…え?』

独り言のような彼の小さな発言に首を傾げると、徐々にふわっと身体が宙に浮いたのを感じ取った。

「俺の役目はここまで。今日はデートに付き合ってくれてサンキューな。いつか落ち着いたら、俺の地元にも遊びに来いよ。」

『え、えっと、待ってください。話の流れが急すぎて何を言ってるのか…』

「んじゃ、俺はお前のナイト様に下手に噛みつかれると困るんで、この辺で退散させてもらいますよ。ほら行くぞ、せーの…!」

『ちょっ、…!』

ホークスは上空でぱっと手を離し、あっという間もなく急降下していく自分に満面の笑みを浮かべながら手を振った。

『あんにゃろっ…、』

呑気に手をヒラヒラとさせる彼を見て、咄嗟に悪態をついて吐き出すも、降下していく勢いは増していくばかりでそれどころではなかった。

どうにかこの状況から着地しなければ、下手をしたら怪我どころでは済まない。
何とか空中で体の向きを変えて地面へと目線を変え、落下地点との距離を測る。
しかし思った以上の高さから手離された事を改めて認識し、絶望なあまり嘆きの声を上げた。

『クッソ、落すなら落とすでもうちょっと優しい高さから落としてよ…!』

もう届きもしない訴えを独り言で吐き捨てながらも、どうやってこの身動きのとりにくい服装で着地すればいいのか瞬時に思考を凝らした。

するとその時、その場に聞こえるはずのない“彼”の声がどうしてか耳に届いたのだった。



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