相澤消太は、眠れぬ一夜を過ごして朝を迎えた。
あまりにも情けなく、考え無しに出た行動に後悔しつつ、ひとまず起きて顔を洗いに部屋を出た。

すると偶然にも洗面室にて、今最も会いたくない人物に遭遇した。
露骨に嫌そうな顔をして奴の隣に立つも、てんでお構い無しにいつものように声をかけてきた。

「おいおいイレイザー、どーしちまったんだよ!いつもよりクマひでぇじゃねぇか!やっべーぞお前。」

「…うるさい、耳元で騒ぐな。二日酔いに響くだろーが。昨日色々あったんだよ…」

「色々?色々ってなんだ?」

「お前にだけは言いたくない…。」

「それって、昨日の晩飛び出してった朧ちゃんと何か関係ある?」

「「み、ミッドナイトさん?!」」

ドアにもたれかかって核心をつく発言をしたのは、怪訝そうな顔でじとりとこちらを見つめる彼女だった。

ミッドナイトは組んでいた腕を解き、ずかずかと歩み寄って至近距離まで顔を詰め、いつになく苛立った様子でこう言った。

「あの子を一番泣かせたくないと思ってるのはあんただと思ってたけど…イレイザー、あんたあの子に何したの?昨日のあれは、尋常じゃなく傷ついてたわよ。」

「……」

返す言葉もない。本当にその通りだとも思う。
一番してはいけないことを、零にしてしまった。
恐れていたことが、現実となってしまった。
不甲斐ない自分に、心底反吐が出る。

「…上手く押し殺してたはずなんです。今までだって、何年もそうしてきた。だからこの先も、俺の本心がアイツに伝わることなんてないと思ってました。」

「い、イレイザー…じゃあまさか……!」

「俺がアイツをどう想っているのか…一瞬の気の緩みで伝わっちまったんだ…。」

マイクにそう答えると、二人は目線を下げた。
たぶん…その目に映る相澤消太という男が、あまりにも情けなく、あまりにもこの現状に堪えているのが分かったからだろう。

ミッドナイトは大きくため息を吐き出してから、もう一度こちらを見て、今度は優しい声付きで提案した。

「場所を変えましょ。ひとまずあんたをどうにかしないと、たぶん彼女…戻ってこないわよ。」

その言葉に酷く胸を痛めながらも、彼女の背中を追いかけて歩いたのだった。


※※※

「……なるほどね。んで、あんたは結局追いかけることも出来ず、眠れない一夜を過ごしたってわけか。」

「……はい。」

向かいに座るミッドナイトに萎縮しながらも、小さく頷いた。
その隣に座っているマイクは、自分があまりにも大胆な行動に出た事が余程意外だったのか、目を見開いたまましばらく硬直していた。

「まぁ、あんたの気持ちもわからなくないけどね…。正直昔に比べると距離は近くなったし、生徒達に好意を寄せられているあの子を見ていると、余裕が無くなるのも頷ける。」

「でもよォ、俺は正直零ちゃんもイレイザーと同じ気持ちだと思うんだよなぁ。見てるとなんかこう…おめぇの前だけは少し雰囲気が違うっつぅかなんつーか…」

「…確かにそれはあるけど、あの子からしたらそれが異性としての好意なのかどうかは、まだ判断がつかないのよ、きっと。イレイザーから話を聞く限り私たちと違って、育ってきた環境も特殊みたいだから…」

ミッドナイトの意見は、ご最もだった。
自分達が当たり前のように身につけてきた感情や心を、彼女は今ようやく少しずつ学び始めたところだ。
それなのに零の気持ちを考えず、自分の欲のままに行動をとった自分は、あまりにも大人気なくて無責任だ。

「でもさぁイレイザー。これはただの私の勘だけど、あの子が泣いて傷ついたのは、そんな理由じゃないと思うのよね。」

「えぇ、どういうこと?」

自分よりも先にマイクが彼女に尋ねる。
ミッドナイトは顎に人差し指を立てつつも、それに返した。

「あんたが自分を責めてる理由って…あの子が自分を家族と思ってるのに、その信頼を裏切った行為に責任を感じてるんでしょ?」

「……まぁ。」

「私も仲良くなったのは最近だから、あんたほど分かるわけじゃないけど……あの子、あんな風に自分の事で思い詰めるような子じゃないんじゃないの?」

「……っ、」

ミッドナイトのその一言は、あまりにも核心をつく一言だった。
確かに今まで何度か涙を流した姿を見てきたが、その大半が誰かを思って泣いている。

もしそうだとしたら、零は恐らく信頼を裏切られたことに悲しかったんじゃない。

「……アイツ、俺を傷つけたと思ったのか?」

無意識に声に出して、再び昨晩のことを思い返した。

零がいちばん感情的になったのは、あの時こぼしたたった一言だった。

ーーすまん、忘れてくれ。

忘れた方が、零のためになると思った。
忘れていつも通り接してくれる方が、そばにいられると思った。

でも実際は、その言葉で彼女を酷く傷つけてしまったのだと考えた方が辻褄が合う。
あの時声に出した言葉はそれだけだったと言うのに…。

「……まさか、……!」

あの時、愛しいと思った。
心から好きだと思った。
だから夢の中でほかの男の元へ行こうとする彼女を離したくなくなって、無理やりあの細い腕を引き寄せて、唇を重ねた。

もしそのタイミングで彼女の個性が発動して、自分の本当の気持ちが分かったうえで、それを“忘れてくれ”と言われたら…。
零は、この想いを自ら忘れさせようとしたことに傷ついたということなのだろうか。

「……ダメだ、都合のいい方に考える。俺はつくづく零の事となると阿呆だ。」

大きく吐き出したため息とともに、自分の情けなさと諦めの悪さを実感する。
その場に崩れるように机の上に伏せると、それを見ていたミッドナイトが再び口を開いた。

「…ねぇイレイザー。あんた何歳?何年そうやってきて大人ぶってあの子を見てきたの?」

「大人ぶってって…」

間違ってはいないが、いざ言われると少し傷つく。
無意識に不貞腐れた表情を浮かべていると、彼女は更に強い口調でこう言った。

「好きだって気持ちが伝わったからって、あんたらの関係って崩れるほど浅くて脆いものだったの?あんたの気持ちって、あの子があんたの好きって気持ちが受け入れられなかったら、もうそこで諦めて終わりなの?」

「……っ、」

「そんな簡単に諦めれるような半端な想いなら、さっさとフラれて新しい女でも探しなさい。でもどうしてもあの子がいいって言うんなら、気持ちがバレようが何しようが、絶交されるまで傍にいればいいじゃない。」

「……ミッドナイトさんの言う通りだぜぃ。おめぇはどの魅力的な女よりもあの子がいいから、今までずっと抑えて傍にいたんだろ?だったら別に無理に無かったことにしなくても、あの子がそれでもいいってんなら、堂々とそばにいりゃいーじゃねぇか。だいいちお前、あの子の言い分聞いたのかよ?」

「……聞いてない。」

マイクに的を得たことを指摘されたのは認めたくはないが、二人の言うことはその通りだと思った。

確かにまだ、零の意見を聞いていない。
あの時決して“嫌だ”とも“嫌い”だとも零さなかった零は、一体何を思って涙を流し、あんなに傷ついたのだろう。

「あの子は色々と難しいから、本当の気持ちはあんた以上に隠すのが上手いかもしれない…。でもやっぱり聞くことを辞めるのはよくないわよ、イレイザー。いつまでも自分の情けなさに落ち込んでないで、まず捕まえてゆっくり話しなさい。」

「……そうします。」

心が少し軽くなったような気がした。
そうだ、まだ絶望するには早い。
幸運にも零が途中で仕事を投げ出すことは無いだろうし、彼女にとっての自宅は今やハイツアライアンスだ。
数日以上不在が続けば、生徒たちが不安がることも分かっているから、必ず帰ってくる。
だから、話すチャンスは絶対にあるはずだ。

まずは今後、どうしていくべきかを零自身とゆっくり話そう。
落ち込むのは、その結果を聞いたあとでいい。

「……ありがとうございます。少し、気が楽になった気がします。」

とりあえず話を聞いてくれた二人に素直に礼を言うと、ミッドナイトは少し安心した様子で笑みを浮かべ、マイクはニヤリと嫌らしい笑みを浮かべていた。

「ま、お前が零ちゃんと話してボロボロに粉砕したら、その時は俺がこの胸を貸してやるぜぃ!」

「いやいい。お前の胸なんざ死んでもかりん。」

「じゃあ私は、零ちゃんとより仲良くなっちゃおうかしら。いつもイレイザーの気持ちを私の口から漏らしちゃいそうで、今まで距離置いてたのよねぇ。」

「…それはそれで、アイツの今後が心配なんでやめてください。」

零がミッドナイトのようになってしまったら、それはそれで見てられない。
話を聞いてもらった手前、控えめに嫌そうな顔をすれば、ミッドナイトもマイクも声を上げて笑った。

「ま、なるようになるわよ、イレイザー。あの子だって馬鹿じゃないし、一応大人なのよ。あんたが思ってる以上に、たぶんね。」

「言いたいことは言わなきゃわかんねぇからなぁ…。ったくそれにしても、あんな可愛い子を悩ませられる存在なんて、羨ましいぜチクショーッ!」

ようやくいつも通りの空気になった頃、考えがまとまり始めた自分にソワソワし始め、いてもたっても居られない衝動にかられた。

「……やっぱり俺、少しアイツを探しに行ってきます。」

「「行ってこい!」」

二人の強気な見送りを受け止め、急いで外へ飛び出したのだった。



5/11

prev | next
←list