半ば強引に零をホテルへと連れ込んだホークスは、ひとまず彼女を泣き止ませて落ち着かせるため、そのままシャワー室へと放り込んだ。

別に特になんの目的や意図があった訳では無いが、ツインルームを取っておいて正解だった、とがさつな自分を褒めてやりたくなったものだ。

ベッドに腰を下ろし、零がシャワールームから出てくるのを待つ。
世間では“速すぎる男”と呼ばれていても、こういう時の一分一秒はやたら長く感じてしょうがない。
ものの数分で落ち着きがなくなって、狭い部屋の中をウロウロ歩き回りながら、ここに辿り着くまでの経緯をもう一度振り返った。

隠密ヒーロー“朧”。
その存在自体は、以前からヒーロー公安会とは接点があったため、知らないはずはなかった。

最低でも高校を卒業してヒーロー社会にやってくる常識を一人の幼い少女が覆したという、この業界を最も騒がせた革命的存在だった。
そしてその幼いヒーローが、公安と最も近い存在として国のために働き、圧倒的強さと精神力を持つという情報を得た時は、どんな奴なのかと密かに興味が湧いた。

最初にそんな話を聞いてから直接お目にかかれたのは、それから随分月日が流れてからではあるが、初めて朧を目の当たりにした時、不覚にも吸い込まれそうで、普段よく動く口がピクリともしなかったことを覚えている。

闇に溶け込むような気配のないオーラとそれに合わせたコスチューム。そして衣装の黒とは真逆の色である純白のふわりとくせのある細い髪。じっと相手を見つめるその瞳は、狼や鳥獣のような強い野生動物を連想させ、“食われる…”と無意識に悟った。

しかし実際、外見とは違い話せば良い奴だとわかり、何度か仕事が重なるうちに、歳も近いせいか仲良くなるのに時間はさほどかからなかった。
ただ仲良くなったと言っても、彼女の事を全て知っている訳では無いし、当然なぜそんな幼いうちにヒーローになった事情も詳しくは知らない。

滅多に表情を作らない“公安の人形”とまで呼ばれた彼女にあんな露骨に傷ついた顔を見せられたのは、正直気が気じゃなかった。

『……ごめんなさい、少し落ち着きました。』

「……お、おう。」

ようやく姿を見せた彼女に、思わず息を飲んだ。
艶やかな髪から滴り落ちる雫が、元々持った色気を更に引き立てているような気さえした。

しかし今はそんな事に気を取られている場合ではない。

「で、何があったんだ?お前がそんなに狼狽えるなんて尋常じゃないだろ。俺でよければ話聞きますが?」

『…じゃあ、少しだけ…。』

「え。」

『え…やっぱダメですか?』

「いや、聞く聞く。聞くって言ったの俺だし。」

すんなり話す気になった零に、またしても驚いた。
随分汐らしくなったものだと感心しつつ、ポツポツとこぼし始める彼女の言葉に耳を傾けた。


「ーーで、びっくりして飛び出してきたわけか。」

『……はい。』

事の経緯を話した後、零は思い出したのか再びうっすらと涙を浮かべた。
それにしても、五年も前から彼女を見守り続けて未だ手を出さなかった相手の男には尊敬すら覚えるほどだった。
彼女が言う“消太さん”は、間違いなくヒーローである事は容易に理解できる。しかしいくらヒーローとはいえ、“男”には変わりない。

そんな長い間、異性として見続けた相手によく紳士を努めてきたものだ。
自分には到底真似できないな…と心の中で感心しながらも話を続けた。

「実際、朧はどうなんだ。その相手の奴の事好きなのか?」

『……』

「そもそも家族のように大切な相手だったんだろ?それなりに想うこともあったんじゃないのか?」

『……例えば今、ホークスに好きな相手がいたとして、今すぐに関係性を持とうと思いますか?』

「……」

彼女の零した一言は、自分が求めていた答えではないものだった。
しかし代わりに投げられた質問は、あまりにも重く、即答することは出来なかった。
零の“今”は間違いなく、自分の今の立場の事を指している。
もしその問に答えるとしたら…

「いや、無理だな…。」

『…そう、ですよね。』

彼女はくしゃりと顔を歪ませた。

「隠密ヒーロー……いや、公安から受ける仕事は大概危険性を伴うものしかない。親密な人を作れば作るほど、リスクは大きいし場合によっては巻き込んでしまう可能性もある。だから最初から関係性をある程度コントロールし、ある一線からは越えさせない…元々そういう考えか。」

『…まぁ、そんな感じです。』

「でも、泣いて飛び出すほど相手のことを思ってたのも事実だろ?」

『……言えません。』

「言えませんって……」

何もそこまで強情になる必要があるのか?
傍から聞いていたらただの両想いにしか聞こないのに、なぜ彼女ははっきり答えようとしないのだろう。

『……声にだしたら、きっとそれを認めてしまう。今まで蓋をしてきた気持ちが溢れ出てしまいそうな気がして…。私は、誰かに好意を持っていいような存在じゃない。だから今までは、異性として“好き”、人として“好き”の区別が分からないってずっと自分に言い聞かせるように答えてきました。』

彼女の理屈は分かる。
この人が好きだ。と思い始めてそれを口に出すと、初めてその気持ちを認めたような感覚になる。
そして相手に想いを伝えてたとしても、自分にとって弱点になりかねないし、危険な目に合わせることになる場合もある。
何より他のヒーローよりも危険度が高く、いつ死ぬかも分からない死と隣り合わせの立場に立っている彼女は、そういう気持ちがなお強いのだろう。
ましてや残された側の痛みを知ってるからこそ、簡単に口に出せないのだ。

『ずっと我慢してたはずなんです。私の中ではある一線を超えないように…って。
慎重に動いてたはずなんです。でも、どうしても消太さんとの距離感は、どんなに頑張っても抑えられなかった……。』

「…それだけ大事な無二の存在ってことでしょう。…っていうかそもそも、先に気持ちを明かしてしまったのは向こうなだろ?なんで朧は自分を責めてるんだ?」

『唇が触れた時、声が届いたんです。初めて心の底から強く思った彼の声が…』

「なんて?」

『……』

頬を赤らめて口篭る彼女に、大きくため息を吐き出した。

この天然で超がつくほどの鈍感な零が相手の好意に気づかせる言葉は、恐らく“好き”よりも強いものでないといけない。
安易に予想が着く“消太さん”の心の声を再現するかのように、気持ちを込めて吐き出した。

「零、愛してる。」

『……ッ、なんで…』

「いや、さすがに反応見てれば凡そ検討はつくけど…。」

他人の言葉だとはいえ、代弁した自分の声に頬を赤らめた彼女が、あまりにも可愛らしくて密かに頬が緩んだ。

『そんな風に思ってる消太さんに、“忘れてくれ”って言われた。あの時たぶん、あの言葉に誰よりも胸を痛めていたのは消太さんです…。あんなに強く伝わってくる想いを、たぶん私が困ると思って、無かったことにしようとした…。消太さんを傷つけたのは、他でもない私なんです…でも、かと言ってそれを素直に受け止められないのも事実なんです。なので、どうしていいか分かんなくて……こんな事に。』

「なるほどなぁ。正直、立場的な問題もあるから難しいっちゃ難しい問題だ。特に朧の場合は、ようやく人並み程度に感情を理解し始めてるしな…でも、その人から離れることはできないんだろ?」

『……』

確信めいた言葉を述べると、彼女は首を縦に振る代わりに膝の上に置かれた手をぎゅっと握った。

少なくとも今は彼女と似たような立場にいるし、男の方の気持ちもなんとなく理解はできる。
普段から自由気ままに生きている自分の口からあまり真っ当な回答は出せないが、八方塞がりの零の状況を少しくらい和らげてやることはできるだろう。

「……苦しいのはお互い様だろ。朧…零だって、ずっと気持ちを押し殺してきたんだ。それに消太さんだって、何よりも零を失う事を恐れてると思うけどな、俺は。」

軽く首を傾げた彼女は、どうして分かるの?とでも言いたげだった。

「分かるよ…ずっと大切にしてきたものを壊すのは、誰だって怖い…。でも、人間ってのは思っより欲深いんだ。たまにふとした瞬間に、そのリミッターが外れちまう時がある。でもその人は、自分の気持ちを突き通すよりも零の気持ちを優先して、困らせたくなくて“忘れてくれ”なんて言葉を選んだ。それは何よりも、零の気持ちを尊重している証拠だ。」

『私の、気持ち……』

たぶん互いに想い合う心が強すぎて、変にこじれてしまっているのだろう。
どの道今あれこれ言ったところで、初な彼女が全部受け止めるのは無理がある。

だからこういう時、自分のやることはひとつだ。

「ま、あれこれ難しく考え過ぎるのも良くないからな。とりあえず明日休みなら今日はもう寝て、久々に暇を持て余した俺と付き合ってくれよ。な?」

『……うん。』

そう答えた彼女は、少しだけ晴れた笑顔を見せたのだった。



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