相澤消太は晩酌する中、向かいに座る零が楽しそうに文化祭の話をする様子に、複雑な感情を抱いていた。

普通の生活を送っていれば、こういうイベント事の思い出が出来るのは、ごく当たり前のことだ。
実際自分がこの学校に学生として通っていた時も、そんなもんだった。

でも、零にとってはそうじゃない。
生まれて初めての学校生活。加えて彼女を特別視しない対等である生徒たちと共に過ごした今回の文化祭は、何よりも心に残る特別な一日となっただろう。

もちろんそうなって欲しいと思ったからこそ事前に零を警備ではなく文化祭を楽しんでもらうように手を回したつもりだった。

死柄木弔との一件を聞いたから、という理由もあったが、文化祭が近づくにつれて徐々に表情を強ばらせていく彼女に、どう楽しめばいいのか教えてやりたいとも思ったからだ。

しかし実際、それが自分が秘めている彼女への想いに対して複雑さが増して素直に喜べないという事実もあった。
こうして楽しそうに今日の出来事を話すのは、今に始まったことじゃない。
段々と仲良くなる1-Aの生徒達の話をこうして聞いていると、彼女により近い存在でいられるのは、自分ではなく歳の近い彼らの方なのではないかとすら、思うようになってしまったのだ。

今まで自分が最も彼女に近い存在でいられたのは、零自身が他の人達との接点を恐れ、“相澤消太”しか知らなかったからからかもしれない。

もし仮に自分が生徒側で文化祭に参加していたら、今日の零の思い出の中に残ったんじゃないだろうか。

嫌でも突き付けられる歳の差とあるべき立場に、どうにもならない“嫉妬”を抱えていた。

その気持ちを飲み込むようにいつもよりハイペースで酒を飲み、視界もぼやけて思考回路が停止した時。

プツンと意識が途絶えて、ある残酷な夢を見た。

隣を歩いている零が、ふと名前を呼ばれて振り返る。
そこには顔ははっきり見えないが、彼女と歳の近い男が立っており、嫌という程甘い声で囁くのだ。

「零、おいで。」

『消太さん、行ってきます。』

なんの躊躇もなく、まるで家にいる親に告げて去っていくような軽い物言いに、心は穏やかではいられなかった。

保護者にならなければ、零の隣に男としていれただろうか。
零は俺を、異性として好きになってくれたんだろうか。

そんな欲望にまみれた言葉が浮上して、気づけば離れようとする彼女の腕を掴み引き寄せた。

「……行くな……」

本当はほかの男の所になんて、行かせたくない。
ずっと守り続けた零だけは、何があっても誰かに渡したくない。

愛してる。誰よりもそばに居たい。

そう思った矢先、彼女の後頭部に手を回し、想いのままにその身を寄せ、唇を重ねた。

せめて夢の中くらい許せ。

目が覚めたら、彼女は誰にも縛られない自由の身だ。
普段と変わらず、猫のように気ままに寄り添う天然魔性の女に戻る。
だからせめて夢の中だけは、お前に想いを伝えてその心も身体も、全部独占させてくれ。

そう思ってとった行動に、触れた唇から体温が伝わるのに気づいた。
酒飲みすぎたせいか?

「なんか、夢の割に生々しい感触だ、な……」

虚ろな目の視界は、間違いなく硬直している零を映していた。
そしてわずか数秒で、夢だけに留まらず実際に彼女にキスをしてしまったことを悟り、さっと全身の血が引いた。

この状況をどう打破する?
いっその事彼女に想いを伝えるべきか?
いや、家族として見てくれている零の信頼を崩してしまえば、それこそもう隣にいてくれなくなるかもしれない。
じゃあ行動に起こしてしまったこの現状を、それ以外にどう切り抜けられると言うのだろう。

いろいろ焦って知恵を絞り出すも、状況が状況だけに上手く凌げる言葉が出てこない。

それでも何か言わねばと、咄嗟に口に出した言葉がまた、最悪だった。

「す、すまん!魔が差した…あ、いや、その…寝ぼけて、だな……」

『“魔が差した”って…』

唖然として零す零の声に、再び冷や汗がどっと湧き出た。

「いや、悪い。違うんだ零。今のはほんとに間違いで…」

言えば言うほど、墓穴を掘って彼女の表情が悲しげになっていき、とうとう静かに泣き始めた様子に更に動揺した。
こういう時十も歳上なのにまともに凌げないのは、恋愛経験のなさからくるものだと不謹慎にも自覚する。

本当は今すぐ伝えたい。
零が好きで、この気持ちを消したくても強くて適わないこの想いも。
大人気なく生徒達に嫉妬し、彼女に強い独占欲を持っていると言うことも。

しかし、伝えてしまえば全ては崩れてしまうのだ。
そう思うと、喉から今にも出そうな気持ちを押さえ込み、情けない声でこう言った。

「すまん、忘れてくれ。」

自分で言って、情けなく思った。
恐らく彼女にとっては、異性とキスすることすら貴重な体験だっただろうに。
それを自分の欲で奪い、更には忘れてくれの一言なんて、どのクソ野郎が言える言葉だろう。

それでも、彼女に重く受け止められて避けられるよりはマシだった。
いつものように、“全く何やってるんですか、消太さんは”の皮肉の一言でも飛んでくれば、まだマシだと思った。

しかし、彼女が返した言葉は予想をはるかに超え、目にいっぱいの涙を流し、力みながらこう言った。

『なんで…そんな事言うんですかッ!私は……』

私は……?なんだ?

こんなまずい状況を作ったのが自分というのにも関わらず、まだ彼女の言いかけた言葉に期待を抱いてしまう。

しかし、彼女はそのまま何も言わずに部屋を飛び出していってしまった。
何度呼びかけても、当然だがそれに応じて足を止める事すらして貰えなかった。

一人部屋に残されて、夜風に触れながら自分の失態に嘲笑った。

「何やってんだ俺は……余裕無さすぎだろ。今までだって耐えてきたのに、俺が壊してどうする…」

隠し通せると思っていた彼女への思いは、自分が想像していた以上に欲深く、ほんの僅かな緩みで一瞬にして溢れ出てしまった。

そしてこの日初めて、零との関係に溝が生まれたのだった。


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