朧月
すぅ、と息を吸い、目の前にある大きな門に両手を添え、全力でゆっくりと押し開ける。
何度足を運んでも、階段の後のこの重い門は本当に身体に堪える。
しかし、いつもその扉の先にあるのはーー
『消太さんっっ!!!』
「おわっ……!」
扉を開けた瞬間、勢いよく腕の中に飛び込んでくる一人の女。
まるで遠距離恋愛をしている恋人のように、頬を赤らめて嬉しそうに微笑む彼女の顔を眺めながら、どさりと尻を地に付けた。
「ったく、何度言ったらわかる。もう子供じゃないんだ。あんま抱きつくのはやめろ。」
強く打ち付けた尻を労りながら、相澤は胸の中に蹲る彼女の襟元をつまみ、身体を強引に引き離させる。
それはまるで主人に懐いた飼い犬をあやすようにも思えるが、彼女はそれすらも笑って受けて止めた。
反省の色なし。聞き入れる気もなしだ。
『ごめんなさい。昔の癖がなかなか離れなくて……それに、正面からわざわざ来てくれる人って、あんまりいないし……』
「はいはい、分かったから。だいたいお前十も上のおっさんに飛びついて何が嬉しいんだ。」
『何年経っても消太さんは消太さんですよ。私の恩人、お兄さん。憧れのヒーローですから。』
「聞いた俺が馬鹿だったよ…」
ケロッと笑ってみせる彼女に、半ば呆れた表情を浮かべて溜息をこぼす。
屈託のないその笑顔を見せる彼女こそが、校長が相澤に連れてくるよう頼んだ、“彼女”こと服部零。
まだ歳は十九だが、プロヒーロー資格は十三歳で取得し、その活躍は著しく素晴らしく、頼もしい実力の持ち主だ。
『それより、どうしたんですか?急に家に来るなんて。私の安否を確認する周期にはまだ早いですが…』
「安否確認ってお前な…ボキャブラリーセンスがひどいぞ。……今日はお前に、仕事の話をしに来たんだ。」
『……仕事の話?』
可愛らしい笑顔を向けていた零の表情が、一瞬にして真剣な表情へと変わり、ピリッとした緊張感が伝わってくる。
普段の様子とは同一人物とは思えぬほどの変わりっぷりに相変わらずだと思いつつも、相澤は小さく笑みを浮かべた。
「とにかく毎度のことだが、飲み物をくれ。ここに来るまでに一苦労してるんだからな。」
『わかりました。居間の方へ行っててください。すぐ用意します。』
凛とした声でそう言っては、くるりと背中を向けて屋敷へと歩んでいく。
背筋をピント伸ばして歩くその姿勢は、より一層彼女の美しさを増し、同時に逞しささえも感じてしまう。
今よりももっと幼い頃からその背中を見届けていた相澤からすれば、よくもまぁこれだけ逞しくなったものだ、とらしくもなく親の気分を味わいながら、彼女の言う居間へと足を動かしたのだった。