文化祭


緑谷出久は、隣を軽快に走る零を横目で見ては、複雑な感情を抱いた。

彼女の個性は身体能力を超過させる類のものではない。
もちろん随分前からそれは知っているし、元々の運動能力が高いことも把握済みだ。

しかしどうだろう。
今実際、自分はいち早く学校へと戻るために足に個性を発動させて走っているのに、彼女はそれに生身の体一つで、しかも息一つ乱すことなく平然とこのペースについてくる。
平然どころか、随分余裕すらありそうな様子だ。

そんなことを密かに考えながら、移動中にいくつか疑問を抱いた点を彼女に尋ねてみる事にした。

「そういえば零さん、その額の傷どうしたんですか?昨日の夜最後にみた時はなかったと思うんですけど…」

『あぁこれ?どこぞの石頭に頭突きされたんよ。まぁちょっと赤く腫れてるだけで大した事はないけど…なんか目立つからとりあえずガーゼ貼ってあるだけ。気にしないで。』

「…(どこぞの石頭って…)」

“石頭”という単語を聞いて、自分の頭の中で咄嗟に思い浮かんだ人物は、昔から馴染みのあるクラスメイトの一人、爆豪だった。
何かとケンカっ早い彼が最終手段として使うのが頭突きだが、さすがにまさか好意を抱いている零にそんな事はしないだろう、とすぐに候補からは消え去った。

まぁ相手が誰であろうと、大した傷になっていないのであればいいか、と気持ちを切り替え、次の質問を投げかけた。

「それとさっき気になったんですけど…零さんってハウンドドッグ先生と仲いいんですか?」

『え?仲良しとは言い難いかなぁ…正直あの先生は、雄英高校に来てから初めて顔合わせした人だし…なんで?』

「あのハウンドドッグ先生があぁも簡単に説教もせず引き下がるなんて、珍しいなぁと思って、それで…」

素直にそう返すと、零はクスッと小さく笑ってこう言った。

『彼ね、たぶん私の事苦手なんだよ。』

「え?!苦手?!」

『そう。ほかの先生と比べると、妙に余所余所しいっていうか…ほら、プレゼントマイクとかミッドナイトとか、セメントスとは全然態度違うでしょ?』

「ま、まぁ…」

正直、セメントスはまだしもプレゼントマイクとミッドナイトの二人と社交性を比較する点についてはどうかと思うが…。

そんな思いを心の内で吐き出しながらも、彼女の続ける声に耳を傾けた。

『以前、誰かと彼が話してる会話をたまたま聞いたことがあるの。私はあんまり人間らしい匂いがしない、って。それと、どうも彼は、私の本質的なものを見抜いているようで、少し怖がってるみたい。』

「本質…?」

『ほら、服部家の忍として人生の半分は歩んできたわけだから…感情も薄くて、おまけに時折無意識にする冷たい目が、まるで梟のようで怖いんだって。』

「梟…ですか。まさに忍っぽい感じしますね。カッコイイです!!」

『そうかなぁ?』

「よ、ようは…獣の本能で零さんを恐れてるって事ですよね。」

『まぁ、そうなるね。』

ここまで話していて、ようやく理解した。
零が昨日とは違い、どことなく元気を取り戻しつつあるという状態だという事に。
表情や声色も少し前の感覚を取り戻していて、受け答え等もしっかりしている。

その額にできたたん瘤が関係しているのかは分からないが、零がいつもの様子に戻ってくれればこちらも安心だ。

そう思いつつ心の中で安堵の息を零すと、今度は彼女の口からそれを悟ったかのような口ぶりで、小さな声が聞こえてきた。

『…ゴメンね。たぶん、緑谷君は気づいてたよね。ここ最近の私の様子が違うことに…』

「えぇぇっ?!…えっと、はい…。気づいてました。」

突然の切り返しに、思わず素直に首を縦に振り、申し訳なく思う。
しかし彼女は逆に「ごめん…」と小さく謝罪の言葉を述べた。

『本当にゴメン。また心配かけちゃったよね…でももう、大丈夫だから。今日は壊理を笑わせてあげるように、お互い頑張ろう。』

その言葉を聞いて、ふと足をピタリと止めた。
違う。そうじゃないんだ、という思いが募り、とうとうそれを口に出した。

「…違いますよ、零さん。」

『ん?』

彼女の言葉を初めて否定したかもしれない。
でもしないわけにはいけなかった。
だって彼女が例え何があったか教えてもらえなくとも、力になれなくとも…

「僕は、轟君やかっちゃん、相澤先生のように、零さんに上手く自分の気持ちが伝えられないから…。心配くらいさせて下さい。僕にはそれくらいしかできません。」

『や、それだけでもほんと十分なんだけど…』

「それに…それにっ!僕は今日の文化祭で、零さんにも笑って欲しい、って思ってます。今までなんやかんやあったけど、結局僕は零さんにいつも助けられてばかりだったから…。だから零さんにとっての初めての文化祭は、“楽しくてサイコーの思い出”にしたいんです!」

ようやく思っていた事を彼女に打ち明けていた。
感情に任せて言い終えてハッと我に返り、恥ずかしさのあまり頬を真っ赤に染めて口を紡いだ。

しかし零はそれを聞いた後、しばらく驚いた様子を浮かべては、穏やかな笑みを浮かべてこう言った。

『…ありがとう、デクくん。私も君も…壊理にとっても、皆にとっても、最高の文化祭になるといいね。』

「…はいっ!!」

確かにハウンドドッグが恐れように、表情やリアクションも他の人に比べると薄いし、瞳も冷たく見える時もあるかもしれない。
それでも、零の優しさはもう既に十分すぎるほど身に染みてわかっている。
そしてこの時嬉しそうに微笑む彼女の顔を見ては、とても“梟”に例えらるような冷血とは思えぬほど、可愛らしく、少しだけ子供のように無邪気なような気がしたのだった。


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