文化祭
ーー翌日。
午後からは文化祭の準備に時間を当てるため、相澤消太は楽しそうに取り組む生徒たちを遠目に見守りながら、その視界の先に入る零に意識が向き、小さくため息を零した。
窓に腰を下ろして、うたた寝をしている。
よほど秋風が心地よかったのか、それともこの晴天の日差しが安らぎを持たせたのか、零が平気で人前で眠りについているのは珍しかった。
いや、もはやここにいる生徒たちは、彼女にとっては警戒する存在ではなく、心を許しているからこその無防備さなのかもしれない。
僅か数か月の間に、随分クラスに打ち解けたもんだ、と感心すれば、自然と口元が緩んだ。
「おーいおめーら、準備捗ってっかー?」
「「プレゼントマイク先生!!」」
冷かしなのか、それとも本当に職務を全うするためにこの教室に現れたのか。もしくは個人的な理由か。
入口でにやりと笑った彼は、生徒たちに歓迎されて中へと足を踏み入れた。
「…何やってんだ、お前。」
「退屈だからよォ、各クラスの進捗状況を確認してんだよぉ!っつーかあれ…!?」
「…零ならそこだ。」
大方プレゼントマイクの動向は分かっていた。
普段職員にはあまり姿を見せない零を見るには、この教室に来るのが一番手っ取り早い。
恋愛感情…とはまた違うだろうが、零自身に興味を抱いている事だけは、先日から薄々気づいてはいた。
目を細めて彼を見つつ、零の方向へと親指を指すと、更にプレゼントマイクのテンションは上がった。
「何あれ超キュートじゃねぇかイレイザーッ!!寝顔なんてレアなんじゃねぇのぉー?!」
「…まぁ。普段はあんまり教室でうたた寝する事もないんだがな…昨日はどうも、寝付きが悪かったらしい。朝見た時も、クマが酷かったからな。」
「oh...お前が言うとリアルだぜ…」
「うるせぇ、ほっとけ。」
無性に絡むマイクをあしらおうとすれば、奴は教室を出るどころか眠っている零の傍へと足を動かした。
「…おいやめろ。そっとしといてやれ。」
「いーじゃん近くで見るだけだしぃー!」
やれやれ、とため息を深く零し、後方でその光景を見守る。
しかし奴が零の至近距離に到達した瞬間。
突然教室内の空気をガラリと変えてしまうほどの悍ましい殺気を感じたと共に、マイクが床に押し倒され、零が上に覆いかぶさって刀を彼の首元に近づけていた。
文化祭の準備をしていた生徒たちの視線も、一瞬にそちらへと集中した。
「…零?」
「まままままてまて!零ちゃん、俺、俺!!」
『…っ、あ。』
情けない彼の声にようやく意識がはっきりしたのか、慌てて体をどけて刀を鞘に戻し、深々と頭を下げた。
『ご、ごめんなさい、マイクさん!私、なんて事を…』
「…いや、今のは寝込みのお前にちょっかいをかけようとしたこいつが悪い。気にすんな。」
「えぇっ?!正直に言いすぎだろイレイザー!!……いえ、すみませんでした。」
ひとまず二人の仲介に入って口を挟んだ後、強引にマイクを謝らせてから教室から押し出し、入ってくるなと釘を刺してぴしゃりと扉を閉めた。
そして再び零の方へ振り向けば、やってしまったと言わんばかりの青ざめた表情を浮かべて、茫然と立ち尽くしている姿を目にした。
明らかに様子がおかしい。
本来なら寝込みとはいえ、近づいてくる気配に殺意があるかないかくらいは、容易に察知できるような奴だ。
さっきのマイクにはとても殺意を持っていたようには思えなかったし、寝ぼけていたとはいえ、零が放つ殺意は本物だった。
その証拠に、生徒たちは唖然とした様子で立っている彼女を見ているし、正直あまりにもの恐ろしさに、額から汗を流している者もいた。
「…おい、零。」
『…すみません…』
額に手を当てて愕然と落ち込む零を見ては、返す言葉もなく肩を竦める。
こんなに余裕のない彼女を見るのは久しぶりだ。
とにかく今回は、寝ている零にちょっかいをかけようとしたマイクが全面的に悪い。
自分が叱る必要もなければ、零が酷く落ち込むような事でもないだろう、と考え、彼女の肩に手を乗せつつ、口を開いた。
「まぁ、お前のソレは無意識だからしょうがな…」
『…っ、』
「…?」
そっと肩に触れる程度だったはずなのに、声にならない悲鳴と零の表情が険しくなるのを見て、違和感を覚えた。
触れた手のひらに意識を集中させれば、微かに熱を感じる。そして目視すれば、じわりと浮かび上がる赤い染みを目の当たりにした。
「お前っ…、まさか……」
『は、離してください……』
必死に誤魔化そうと手を払おうとする彼女に、より一層力を込めた。
強がるにも程がある。
こんな触れただけで傷の深さを悟れるほどの重傷をなぜ、今まで気づかなかったのだろう。
そう思うと自然と表情は、酷く険しくなっていった。
零は知られてしまった現状に、何も言葉を発することなく目を逸らす。
ーーこれは放っておいていい傷じゃない。
「……お前らは引き続き文化祭の準備を進めろ。零、ちょっと来い。」
「えっ、相澤先生?!」
生徒たちが動揺する中、どの声にも応じず強い力で零の腕を引き、教室を後にした。
下手に生徒たちに心配させてはいけないと最大限の配慮で、零を保健室へと連行したつもりだった。
しかしこの時。あの一瞬の出来事で彼女が負った痛いげな傷に気づいた生徒がいることなど、知る由もなかった。