16話


それは、母親が退院してから数日後のことであった。
母親がシオンと遊んでいた時、別の部屋から突如夫の怒鳴り声がきこえて、同時にナナリの叫び声も聞こえた。その音を聞いて泣き出したシオンを抱いたまま部屋へ行くと、取り乱した様子の夫が、拳にカッターナイフを握り顔を強張らせて黒い塊を見つめていた。薄暗い部屋の床に突っ伏したままナナリはピクリとも動かない。
「ちょっと…!何てことしてるの?!ナナリが…ナナリ!」
「違う!俺の指をみてくれ…!」
大窓から入る日差しを頼りに急いでナナリに近寄った母親は、振り返って夫の手を見た。なるほど、大きな噛み跡がついて血だらけになっている。
「こいつが…ナナリがやったんだ…!俺を食べようとするなんて、ば、化け物だ!」
父親はちぎれかけた人差し指で小さな化け物を指した。
この日から、父親は子供達を今まで以上に嫌った。同じ空間にいることさえも耐えられないというように、家族の前にあまり姿を現さず、しまいには家に帰ってこない日もあった。母親は、異形の人間の血が流れているだけで息子達を忌み嫌う夫を憎んだ。そして、この事件で大きく右頬が切れてしまったナナリの、口から耳にかけての痛々しい傷を指でなぞりながら母親はついに決心した。

それは久々に夫が家に帰ってきた日であった。
「おかえりなさい…久しぶりね。どこへ行っていたの…?」
無言で戸を開けて入ってきた夫に怪しげな微笑みを返しながら、母親は言った。
「ああ、気にするな。なんでもない」
夫は下を向いたままそそくさと自分の部屋へ入る。その様子を部屋の扉が閉まるまで彼女は見つめていた。

「ナナリ、アクメ、シオン!ご飯よー!」
夕飯時、いつものように母親は三人の可愛い息子の名前を呼ぶ。食卓には豪華な料理がたくさん並べられていた。
「うわぁ…すごい!こんなの久しぶりだ」
彼女の予想通り、息子達は歓喜の声をあげた。シオンもその雰囲気につられてかきゃっきゃと笑い声をあげた。彼女はとても満足していた。三人の息子達は美味しそうに卓上の料理を頬張った。ただ一人、ナナリだけが料理を口にした途端に青ざめて、野菜以外の食物にいっさい手をつけなかっただけで、それ以外はいつもとなんら変わらない幸せな夕飯時であった。



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