11話



おそらくナナリは『異形の人間』で、これから先の通常の人間が獲得できるような明るい未来を生きることはできないだろう。そう母親は思った。このことは、夫には内緒にすることにした。夫は異形の人間の話をまともに信じていなかった。その時から彼女は、自分の大事で哀れな子供を目一杯愛していこうと決心したのだった。

ビー玉の他にも、ナナリは色々なものを食べたが、健康に大きな支障をきたすこともなく、すくすく元気に成長した。

ナナリが4歳になる時、弟のアクメが誕生した。
「おかあさん。きょうからぼく、おにいちゃんだね!」
「そうよ、ナナリは今日からお兄ちゃんなの。だから、もっとしっかりしてね」
ナナリは嬉しそうに「うん!」と首を縦に振って笑った。母親は幸せだった。たとえ、アクメにも異形の人間の血が流れていようとも絶望はしなかった。

アクメには視神経がたくさんあった。そのために、彼の視界はゆがんでいるらしかった。ナナリの場合もあまり有用でない異形であったが、アクメの場合は更に生活に支障をきたすほどの異形であった。また、ナナリの場合は見た目から異形の人間であることを見破ることはできなかったが、アクメの場合は眼球に幾つもの瞳孔があるため一目でそれがわかってしまう。母親が一番悩んだのは、どうやってこの事実を夫に隠し通すかであった。

最初の方は、アクメの目を隠すように包帯をまいて、医者にこうしろと言われたと言って誤魔化したが、少し経つとそれも危うくばれそうになった。
そして、事件はアクメが2歳になった頃に起こった。

母親がベランダで洗濯物を干していると、階下からアクメの酷い泣き声が聞こえた。母親はすぐさま階段を駆け下り、声の聞こえる和室の扉を勢いよく開けた。
「アクメどうしたの?大丈……ナナリ…?」
その部屋には、激しく泣き声をあげるアクメと血まみれでガタガタと震えるナナリがいた。
母親はここで起こったことや、アクメがないている理由が瞬時にわかってしまった。しかしそれを理解するには少し時間がかかった。
「ナ…ナリ…もしかして、アクメの…腕」
「ちがうの、おかあさん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…!」
ナナリは怯えたように謝罪の言葉を繰り返した。しかしその間も、指についた生暖かい血をゆっくりと舐め上げては熱い息を漏らしていたのだった。
「ナナリ、わかったから話は後で聞くわ。お母さんはアクメを病院へ連れていくから、それまでに綺麗にしておいて」
母親は飛び散った血を踏まないようにアクメの元まで行き、えぐれた腕とは反対側の腕を掴んで、泣きじゃくるアクメを急いで病院へ連れて行った。ナナリはその間も這いつくばって畳についた血を舐めていた。


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