9話
激しく音を立てながら扉を閉めてそのまま畳に座り込む。
「っ…はぁ…はぁっ…」
そこまで体に負担のかかる動きをしたわけではないのに、シオンの息は乱れていた。耳を塞がずとも自らの心臓の音が聞こえてくる。どうしてこうもナナリの声はシオンにとって耳障りで不快なのだろう、それは彼自身にも答えのわからない問いであったという事は言うまでもない。幼い頃から雑音には人一倍苦しめられてきたが、その雑音のなかでもナナリの声だけは執拗にシオンの耳に届くのである。
「落ち着け…落ち着け」
シオンはそのまま目を閉じて眠りの世界へと誘われた。
どれくらいの時間が経過したのだろうか、シオンは廊下でしていた不穏な音で目を覚ました。
「ん…ふっ…!んん…」
さえない頭にこびりつく不快な音、ナナリだ。どうやらアクメが帰宅しているらしい。扉の向こう側のそう遠くない場所でその声がしていた。恐る恐る扉を開くとシオンの目の前で黒い塊が小刻みに震えていた。
「シオン、飯はどうした」
「え、あっ…」
アクメはあからさまにため息をついた。
「まったく…紙を見なかったのか」
「えっと…」
シオンは思わず口ごもった。彼自身、アクメに怒られたことはないが、普段からナナリへの暴力を見ているせいか、アクメのことを多少は恐れていた。
シオンはナナリがなぜアクメに暴力を振るわれているか、詳しい理由は知らない。それはアクメがいつ自分に暴力を振るってくるか、それが未知数であることを示していた。
はっきりと返事をせず目だけ泳がせていると、アクメが口を開いた。
「今日はもういいが、明日からは俺がいないんだから、ちゃんとしてもらわないとお前が困るぞ。冷蔵庫にパンが入ってるから、腹が減ってるなら食べていい」
「ごめん兄貴…今日は…もう…いいや」
そうか、と一言つぶやいて、アクメは自室に戻っていった。そのやりとりをしている間ナナリは全く動かなかった。ただ、大きく息をしてそれに合わせて体がかすかに波打つだけであった。
「ナナリ…」
シオンはできるだけ小さな声で名前を呼んだ。シオンに背中を向けていたナナリはゆっくりと寝返りをうって彼の方に顔を傾けた。相変わらずナナリの顔は汗や涙やその他もろもろの液体でグショグショだった。
「かわいそうだから、お風呂沸かしてあげる。おいで」
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